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異能の共鳴  作者: 久住岳
第1章 ダークテミス編

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ダーク・テミス 早乙女果那

第二章 ダーク・テミス 早乙女果那


 早乙女果那


 二千四年五月の深夜、東京の住宅街にある一軒家に何者かが忍び込み、父、信也と母、栞が殺害された。当時三歳だった少女は無傷で発見されている。両親を殺害された少女…少女の名前は今泉果那。果那はその後、母方の祖父母に引き取られた。父には身寄りが無く唯一の親族は、母方の祖父母だけだった。果那が三歳の時に受けた心の傷は、彼女の心に重くのしかかっていた。そして一瞬だが垣間見た犯人の顔は、果那の記憶に刷り込まれていた。


 祖父は古武道を嗜む人だった。柔道や空手ではなく昔の剣術に近いものだ。刀や小刀、鎖鎌…そういった古式の剣術という感じの心得を持つ人だった。孫娘の果那の心の傷を癒す為か、祖父は果那に古武術の指導をした。祖母も優しく寄り添って、果那の心が回復する事を願った。小学校に上がる前には徐々に果那の心の闇は晴れていった。祖父母の愛情が果那の心に光を注ぎ込んだ事もあるが、殺害された両親の姿を見なかった事も幸いしたのかもしれない。


 祖父『果那はなかなか筋がいいな。とてもいい姿勢だよ、構えもとても自然だ。』


 果那『ほんと!お祖父ちゃん、もっと教えて。』


 祖母『女の子が武道なんて…まあ果那が楽しいのなら…。』


 祖父と稽古をする孫の楽しそうな顔を見て、祖母は心配気味に笑っていた。祖父も果那を武道家にするつもりはなく、厳しく指導する事は無かった。果那が穏やかに過ごせるように、遊びの一つとして果那との稽古を続けた。引き取ってしばらくは口も聞かず笑う事もなかった孫娘が、門弟たちと稽古をする祖父の道着を掴んで初めて笑った。稽古が果那の心の傷を癒す事になるのではと期待して稽古を続けた


 果那に教える技も護身術程度に抑えていたが、果那は小刀の使い方だけは拘っていた。何故か祖父に刀の使い方を熱心に問い、祖父も果那の意に応じて教授していた。身体の小さな果那に合う武具、祖父が手渡したのは両刃の細長い小刀だった。刀の長さは四十センチ、刃身は二センチにも満たない両刃の小刀、遠い昔に武家の姫の警護に当たった女官が使ったとされる武具だった。先端は錐のように尖っていて切るよりも刺す武具にみえた。


 祖父『良いか、果那。こんな武具でも急所に刺されば命を落とす事になる。くれぐれも使い方を間違わないようになさい。』


 祖父は優しく果那に言って聞かせた。小学校に上がる前に祖父から武具を受け取り、果那は一心に武具の習得に励んだ。自分の動きと武具の動きを考えて、真剣に修練に励んでいた。祖母は刃を振るう果那の様子が気になっていた。祖父と立ち稽古をしている時とは、果那の表情や目つきが明らかに違う。父母を殺害された恨みが、まだ心の何処かに残っているのではと危惧していた。


 祖母『あなた、果那は大丈夫でしょうかね…』

 

 祖父『…私達が見守って優しい子に育てていかねばならないね。亡くなった栞の為にも…。』


 祖父母は果那が小刀を振るう姿を見ながら、孫娘を幸せに育てねばと心に誓っていた。小学生になる前の年の十一月、果那は祖父部に早乙女姓を名乗りたいと伝えた。産まれてからずっと名乗っていた《今泉》とう苗字を変えたい…何が孫娘の中に起こっているのか祖父母は困ってしまった。果那の父も母も早乙女家の菩提寺に埋葬されたが、早乙女家の墓石の隣に今泉家の墓石を建てて納骨した。今泉という名前を変えたい理由がわからなかった。


 祖母『果那、わかっているの?今泉果那っていう名前はね、貴女のお父さんとお母さんがつけたんだよ。』


 果那『わかっているよ。パパとママからは果那という名前を貰って、お祖母ちゃんとお祖父ちゃんには早乙女を貰うの。いいでしょう?』


 孫の必死の頼みに祖父母は折れ、果那を養子として迎える事にした。果那が何故、早乙女姓に変える事に拘ったのか…その理由は今泉を名乗っていれば、いずれ両親を殺めた犯人を追う時に、すぐに素性がわかってしまうかもしれない。果那は三歳の時の事を忘れてはいなかった。はっきりと見た犯人の顔を忘れる事は無かった。古武道の稽古に取り組んでいるのも、小刀の鍛錬を真剣に繰り返しているのも、あの犯人の笑った顔が許せなかったからだ。


 翌年四月、早乙女果那として小学校に入学した。入学式には祖父母が同席し、孫娘の晴れ姿をみて涙を流して喜んだ。小学校では友達も多く出来て学校では普通の子として過ごしていた。まだ果那自身、自分が持っている能力には気づいていなかった事もある。三歳の時に殺人犯の刃先が触れようとした瞬間、忽然と消え、隣の部屋に移動していた事など果那は憶えていなかった。鮮明に覚えているのは犯人の顔だけ、それ以外は夢の世界の出来事の様な感じだった。


 初めて自分の能力を垣間見たのは、小学五年生の時だった。学校の帰り道に友達二人と歩いている時、前方からトラックが突っ込んできた。歩道のない通学路だったがトラックに気づいた果那は、友達二人を道路の端に突き飛ばして助けようとした。しかし…果那自身は逃げる余裕がなくトラックは果那に向かって突っ込んできた。


 運転手『ああ、避けて…あ、』


 必死にブレーキを踏む運転手だったが、ブレーキオイルが漏れていて全く効かなかった。トラックの運転手にも目の前にいる小さな子が見えていたが、何も出来ずにトラックは果那に突っ込んでいった。運転手は目を閉じ悲鳴を上げた…友達二人も周囲にいた数人も目を塞ぎ悲鳴を上げていた。


 果那『あ…』


 果那の目の前にトラックが迫り、もう駄目だと思い目を閉じた。走馬灯のように母と父の顔が頭の中を駆け巡った。激しい衝撃音が辺りに木霊しトラックはそのまま民家の壁に突っ込んでいった。激しい衝撃音で激突したトラックの全部は大破し、民家の壁を突き破っていた。衝撃音は果那の耳にも響いたが身体には何の衝撃も痛みも無かった。


果那『きっと死んじゃったんだわ、全然、痛くないもん…でもパパとママに会える…』


 そっと目を開くと目の前にトラックの前部が見え、果那は民家とトラックの間の空間に座っていた…身体には一つの傷も無く。血を流しながらトラックの運転手は車を降り、前方で座っている果那を見つけ無事を確認すると意識を失った。運転手は右足と左腕の骨折で全治二カ月の重傷だった。友人二人も果那をみつけて駆けよってきた。泣きながら狭い空間に座る果那に手を差し伸べた。近所の人が集まり果那を救い出して、友人二人は抱き着いて泣きじゃくった。救急車や警察が駆け付け事故の実況見分が行われた。事故の目撃者は奇跡だと警察に話していた。もう駄目だと思ったそうだ。


 その夜、布団の中で果那は事故の事を思い出していた。トラックが突っ込んできた瞬間、頭の中に何か違和感を覚えた。まるで身体が消えていくような感じがして、気づいた時には狭い空間に移動していた感じだ。その違和感は遠い昔…そうあの夜、犯人と遭遇した時に感じた違和感だった事を思い出した。記憶にも無かった事だったが、事故の衝撃で記憶が蘇っていたのだろう。


 果那『あの時も確か…そうよ、あの男が近くにきた時に…』


 果那は事件の夜の事と今日の事故の事を考えながら眠りについた。まだ十一歳になったばかりの少女は、自分の身に起きた事を客観的に捉えながら検証を始めた。意識が遠くなる感覚の後、身体が消えていくような感覚があり、気づいた時には別の場所にいる…身体には傷一つ残さずに…その日から果那の《特殊能力》の鍛錬が始まった。


 果那『きっと危なくなると発動するのかも…どうしよう…車にぶつかる訳にもいかないし、危ない事をしたらお婆ちゃんが心配するし…』


 果那は部屋の真ん中に椅子を置き、頭の中で車や硬いものにぶつかる事を想像して、退避する事を念じて椅子にぶつかっていった。果那の部屋は二階にある、一階の居間で家事をする祖母は、二階から聞こえてくる音に驚いて、何度も果那の部屋に飛び込んできた。祖母が部屋を覗くと椅子が転がり、その前に突っ伏して倒れる果那の姿があった。


 祖母『果那!どうしたの、大丈夫かい?』


 果那『大丈夫だよ、古武道の訓練をしていただけよ。』


 その後も祖母の心配をよそに果那の訓練は続いた。中学生になる前の三月、卒業式の日に祖父母が来てくれた。特に祖父が果那の成長を喜んでいた。《特殊能力》の訓練を初めて一年半、果那の能力が急速に目覚め始めていた。祖母を心配させた物音は半年前から聞こえなくなっていた。椅子にぶつかる瞬間、果那の身体は霧のように霧散し、椅子の向こうで実体化するようになった。


 果那『この感覚だ…なんでこんな事が出来るんだろう?…よくわからないけど…きっと役に立つはず。』


 次に果那が目指したのは、危機が及ばない時でも《特殊能力》が使えるようにする事だった。意識的に身体を霧散化できるように、意識を集中して椅子に歩いていった。中学卒業後の春休みには、意識的に身体を霧散化する事が可能になった。そして訓練を進めるうちにこの能力には、地理的な制約がない事にも気づき始めた。


 椅子に歩いて行って霧散化した後、椅子の向こうにいたり部屋のドアの所にいたり…やる度にまちまちだった事が、果那が気づいたきっかけだった。中学生になると霧散化した後に、移動する事を念頭に訓練を始めた。最初は部屋の中で実体化する場所を決めて、心を集中させて取り組んだ。思ったようにはすぐにいくはずもなく、押し入れの中だったり机の上だったり、目指した場所とは違う場所に立っている日々が続いた。


 古武道の稽古にも熱心に取り組んだ。祖父は女の子が強くなってもと言って、激しい稽古には臆していたが、果那のやる気を見て仕方なく稽古をつけた。小刀の使い方も刀身に保護カバーを付けて練習した。中学二年生になった時には校内で、素手の喧嘩で果那に勝てる男子はいなかった。女子や他の生徒が虐められたりすると、果那が割って入り諫める事も多くなった。霧散化の能力以外に格闘術も上達していた。


 中学二年生の夏休みなると実体化する場所を、ほぼ自分の意思で決められるようになっていた。まだ部屋の中だけだったが範囲を少しずつ広げていった。突然、背後に果那が現れ祖母が驚いた事が何度もあった。二階で霧散化し一階で実体化する、果那のレベルは徐々に上がっていた。


 ある日、消しゴムを持ったまま霧散化した時、消しゴムも身体と同じように霧散化し、実体化する事に気づいた。『小刀でも出来るわよね』果那は小刀を手に持ち霧散化し実体化する訓練を繰り返し、身に付けている物や手に握っている物などは霧散化し実体化させる事も出来る様になっていた。


 祖母『果那?お爺ちゃんが倒れたの。すぐに戻ってきて。』


 祖母から電話を受けたのは中学二年生の十月、修学旅行で京都に来ていた時だった。両親が殺害されて十二年、優しく見守ってくれた祖父が倒れた。祖父の優しい顔が浮かんだ次の瞬間、果那は病院の部屋の中に立っていた。目の前には口や腕に管をつけられベッドの上に寝る祖父の姿があった。果那はベッドに駆け寄り祖父の手を握っていた。


 祖母『果那!なんで?』


 果那に電話をして病室に戻った祖母は、部屋の中にいる果那を見て驚いていた。果那自身も驚いていたが今はそれどころではない。意識の無い祖父の心配が先だった。修学旅行先でも突然いなくなった果那の行方を、教師や友人が探し始めていた。祖母が学校に電話をして祖父が倒れて、果那が病院に駆け付けた事を伝え旅行先の騒動は収まった。祖父は七十四歳、脳卒中で倒れそのまま病院で息を引き取った。


 男性『早乙女師範には本当にお世話に…。』


 葬儀には沢山の人が詰めかけた。祖父がまだ現役で指導をしていた頃の弟子達も、数十人が集まり全員が涙を流して別れを惜しんだ。地域の中でも様々な活動をして親しまれていた祖父、果那にとってはとても大切な祖父だった。葬儀が終わり落ち着きを取り戻した家で、祖母と果那が居間に座っていた。祖母は仏壇の骨壺を眺めながら果那に話しかけた。


 祖母『お爺さんは幸せだったと思うわ。果那のママ、栞が死んで悲しかったけど、果那がいてくれたからね。ありがとう、果那』


 果那『お婆ちゃん、お爺ちゃんには何も孝行できなかった。お婆ちゃんは長生きしてね。』


 祖母『ふふふ、有難う、果那。…不思議な子だね、どうやって病室にきたのかは知らないし、聞かない事にするけど…気をつけるんだよ。あまり人に話しては駄目だよ、世の中には変な人も多いからね。』


 祖母は何かを感じていたようだが、それ以上は聞く事はしなかった。果那は暫くのあいだ学校を休み、祖母と二人きりで共に過ごした。祖父や亡くなった母の事を思い出しながら、一日中、二人は居間で語り合っていた。二週間後、家から少し離れた菩提寺に納骨する事になった。一般的に納骨は四十九日と言われているが、住職の都合や祖父の親友達の都合もあり、十月下旬の秋晴れの日に祖父は母と父の眠る墓の隣、早乙女家の墓石に収められた。


 果那『あの時…』


 納骨が済み通常の生活に戻って、果那はあの日の事を思い出していた。祖母から連絡があった時、ふっと思った瞬間、病室に身体が移動していた。京都のホテルから多摩郊外の病院、距離にして四百キロ以上、病院も病室も知らなかった果那が突然、祖父の病室で実体化した。その時、自分自身の中で起きていた事を、冷静に思い出そうとしていた。


 祖母から電話を受けた時、優しかった祖父の顔が浮かんだ。会いたい!という想いで心の中が凝縮されていく感じを受けた時、気が付くと病室に立っていた。あの時の事を普通に出来るようになれば、一瞬で霧散化し移動する事が可能になる。果那は祖父がしてくれた最後の稽古のように感じた。あの時の悲しみもぶり返すが…果那には必要な能力だった。何度もあの時の事を思い出しながら、涙を拭いて繰り返し訓練を行った。


 果那『お婆ちゃん、手伝おうか?』


 祖母『あれ、いつ戻ったんだい、気が付かなかったよ。』


 果那は祖母を実験台に使った。家から離れた場所で祖母を思い出し、祖母が気づかないように実体化する。それを心がけ念じて訓練を重ねた。徐々に果那の中で理屈ではなく、実感として移動する仕組みがわかってきた。最初は愛しい想いを凝縮させたが、やがて心に浮かぶ人や家、風景を思い浮かべ始めた。強い想いを持たなくても《特殊能力》が発揮できる、これが果那にとっては一番重要だった。


 この力を何に使うのか?果那は三歳の時の事を忘れてはいない。あの時…平穏で平和に暮らしていた家庭を襲った、卑劣な暴漢の顔を忘れる事はなかった。中学生になるまではあの男達に対する復讐心から、日々の鍛錬を繰り返し行ってきた。しかし中学生になり当時の事件を調べてみると、果那が知らない男が自殺体で見つかり強盗殺人犯になっていた。


 果那『違うわ、こんな人じゃないのに…日本人じゃなかったわ。』


 果那は悔しい思いを持ちながら、当時の父の事なども調べてみた。政府の開発援助に関わった仕事、盗難に遭ったものは何一つ発見されていない。中学生の少女でも裏で何かが動いていると…そう感じるのに時間はかからなかった。この時から父母の復讐の目的が変ってきた。警察さえも欺く悪人が日本にはいる、父母の復讐の先にいる闇にまぎれた者達をあぶり出し、正当な裁きを受けさせる事、それが果那の目的に変わっていた。きっと自分の能力はその為に、天から与えられた力だと果那は確信した。


 警察さえも欺く犯罪者…そういった種族と対峙するには、法律の知識が必要だと思った果那は、その頃から法律の勉強を始めた。弁護士や検察官、裁判官になるつもりは無かったが、法学部に入る為に勉強は進んでやっていた。祖母はそんな果那の事が自慢のようで近所の人や知り合いに、嬉しそうに孫の事を話していた。


 高校は地元の都立高校に進み高校でも成績は優秀だった。体術や特殊能力の訓練も行い、この頃は自由に移動できるようになっていた。初めて果那が事件的な事に能力を使ったのもこの頃だ。高校一年の秋、中学時代の親友とお茶をしている時だった。


 果那『あれ、京子は?』


 親友『誘ったんだけどさ、京子から返信も無くって…なんか…』


 果那『うん?何かあったの。』


 親友『京子さ、高校に入ってから変じゃない?果那は最近、会っているの?』


 果那『そういえば…暫く連絡が無いかも。ラインも既読にはなるけど返信は無かったし。』


 田辺京子という女性は、果那の小学校からの親友の一人だった。小中学では控えめで大人しい女子で、いつも果那たちの陰にいるような感じだった。高校は少し離れた私立大学の付属女子高に通っていた。親が教育熱心で何でも決めてしまうタイプの母親だった。京子は私立付属女子高ではなく、果那たちと同じ学校に通いたかった。父親は企業の幹部社員で裕福な家庭だが、家庭には関心がなく京子の事は母親任せにしていた。京子の気持ちは叶えられなかった。


 親友『よくわからないんだけどさ、家にもいないみたいなのよ。京子と同じ高校に通っている子が、京子のお母さんから連絡があったらしくて。京子がいってないかって。』


 果那『そうなんだ…ほんとに心配だね。』


 その日は京子の事も忘れて親友とお茶をした後、近くのショッピングモールで店を見たりして楽しんだ。家に帰ってから京子の事が気になり始めた。ラインは既読になっているが返信が無い。京子からの返信が無くなってから、一カ月以上が経っている事に気づいた。少し心配にはなったが日常生活に流され、京子の事は薄らいでいた。


 祖母『はいはい、今、いきますよ。』


 果那『お婆ちゃん、いいよ、私が見てくる。』


 金曜日の夜、果那の家のインターフォンを鳴らし、ドアを激しく叩く音が響いた。閑静な住宅街に響くほどの激しい叩き方だ…怪しい人物だったら祖母に危険が及ぶ。祖母を押しとどめての果那が玄関に行き、ドアを叩く人に声を掛けた。


 果那『どちら様ですか。そんなに叩かなくても、聞こえていますよ。』


 京子の母『早乙女さん、中学の時の同級生よね。うちの京子はどこなの?中にいるんでしょう!』


 ドアを激しく叩いていたのは京子の母親だった。祖母も玄関に来てドアを開けると、飛び込むような感じで玄関に入ってきた。靴を脱ぎ家の中に入ろうとする母親を、果那が力づくで制止し、叫んでいる京子の母に祖母が語りかけた。


 祖母『おや、果那の知り合いなのかい?うちには私と果那しかいませんよ。少し冷静におなりなさい!』


 諭すようにそして厳しい口調で、母親の眼を見て祖母が語り掛けた。祖母の言葉に我を取り戻したのか母親は落ち着き、涙を流しながら祖母に非礼を詫びていた。そして娘が…京子が数日、帰宅していないと頭を垂れて話した。京子の部屋にあったものを見て仲の良かったと思われる友達の家を、片っ端に訪ねるつもりだったらしく果那のところが二軒目だったそうだ。


 果那『京子からは一カ月以上、連絡がなくて…私も心配していたんです。』


 京子の母『そうなんですか…あの子…高校に入学して少し経った頃から様子が変わり出して…口も聞かなくなったし…反抗的になっちゃって…』


 祖母『何があったのですか?』


 京子の母『それが…よくわからないんです。勉強をするように言っても、反抗するようになって、部屋にも入れてくれないし、学校からの帰りも遅くなってきたんですよ。夏休みになって外泊して家に帰って来なくなって…』


 果那『いつから戻らないんですか?』


 京子の母『外泊をしても帰って来てはいたんです。一週間前に主人と口論になって出て行った切り…そのまま戻って来ません。主人はお前の責任だっていうし…』


 祖母『子供の事は片親の責任ではありませんよ。御主人にも責任があります。男の人はそういう時は本当に身勝手ですね。うちの人はそんな事はなかったけど。でも困ったわね~。果那は行き先に心当たりは無いの?』


 果那『うん、わからないわ。京子は大人しい子だったから、いつも学校では一緒にいたけど…わからないです、何処にいったんだろう。この間も中学の時の友達に会った時に話していたの。その子も連絡がとれないって言っていたし。おばさん、私も探してみますよ。京子の事を叱らないで上げてください。あの子…結構、我慢していたみたいで…本当は違う高校に行きたかったみたいだし。』


 京子の母『ええ、私がいけないんです。反省していますよ。私が無理やり押しつけてきました。もし京子に何かあったら…』


 祖母が京子の母をなだめて、その日は自宅に帰らせた。果那は祖母が寝静まった後、自分の部屋で京子の事を思い浮かべた。念の為に手には小刀と護身用のステンレスの警棒を持ち、買っておいたレザーのライダースーツを着た。黒いフード付きのライダースーツの足の部分は、伸縮性のある素材で作られていた。

 

 高校生が数日間も行方がわからない…何処かに拉致されている可能性も考えた。特殊能力を使って闇の住人とまみえる時、こちらの姿を視られないようにしなければならない。そして闘う時に邪魔にならない服装、果那なりに考えて揃えた物だった。黒い大きめのマスクをして京子の姿を思い浮かべ、周りに人の気配のない場所で実体化する事を念じた。


 果那の身体が空間に溶け出し、部屋の中から消えていった。実体化したのは何処かのビルの屋上だった。この近くに京子はいるはずだ…しかし果那は実体化した時に、京子の事を感じる事は出来なかった。ビルの中を探し回れば京子を見つける事は可能かもしれないが、どんな危険が待っているかわからない状況では難しい。


 果那『どうしよう…そうだわ、前に試そうと思ったあれをやってみようかしら。』


 屋上の物陰に移動し身を隠すと、京子を頭の中に浮かべて右眼だけに集中してみた。左目は瞑って視界は右目だけにして、京子を思い浮かべ意識を集中させた。暫くすると視線の下に京子の姿が見え、周りにいる男達の姿も見えた。空中には実体化した《目の玉》が浮いていた。京子はソファーに寝転がり意識朦朧という感じに見える。周りには三人の男が立っていた。粗暴な感じの二十歳前後の男達だった。一人が京子のスカートに手を掛け脱がせ始めた。


 果那『あいつら』


 そう思った時、果那は霧散化し右目のある部屋に入っていた。スカートに手を掛けた男の後ろで実体化すると、後頭部を手刀で打ち股間にも蹴りが入れていた。短い悲鳴を上げて男が床に転げ落ちると、残りの男達が悲鳴の聞こえた方向を見た。男達の視線の先に黒いライダースーツを纏う、小さな影が見えていた。男達は焦った顔で果那の方を視ていた。


 男 『てめえ何もんだ。何処から…』


 男が怒鳴り声をあげた時、手に持った警棒で男の額を打ち付けた。最後の一人は仲間を助ける事もせずに、部屋を飛び出して慌てて逃げ出していった。部屋の中はタバコとは違う煙が蔓延している…犯罪を知る為に麻薬や銃器類の事も勉強した果那には、立ち込める煙に匂いが大麻だとわかった。ビルの住所を確認し部屋番号を確認した後、男のスマホを手に取り警察に連絡した。ボイスチェンジャーを使って麻薬をやっていると警察に通報した。


 果那『京子…とりあえず私の部屋に運ばないと。』


 京子を抱きかかえると果那は霧散化し、部屋の中で京子と共に実体化した。あの部屋にあった京子の持ち物や痕跡も、一緒に霧散化させ部屋に移動させていた。他人を霧散化させたのは初めてだったが、緊急の事で何も考えずに果那は行ったようだ。部屋に連れてきたはいいが…どうしたらいいのか果那は悩んだ。下にいる祖母に相談するしかないと思い、居間に降りていった。


 果那『お婆ちゃん。ちょっと部屋に来て。』

 

 祖母『なんだい、こんな夜中に。え?その子は誰だい…京子ちゃんかい?連れてきたのかい。』

 

 果那『京子よ、救い出して来たの。どうしたらいいか、わからなくって。』


 果那は祖母に詳しく状況を話した。自分の持つ能力の事も全て祖母に隠し事なく伝えた。祖母は果那と京子を見てしばし考えこんだ後、果那に京子を助け出したビルの事と、警察に連絡した時間などを確認した。京子がいたビルは果那の家からは、車ならニ十分はかかる位置にあった。祖母は京子を果那の部屋に寝かせた後、果那に言い含めたあと果那を置いて居間に降りていった。


 祖母『田辺さんのお宅ですか。早乙女です、奥様、今からこちらに来る事は出来ますか?』


 京子の母『京子の居場所がわかったんですか?すぐに伺います。』


 祖母が京子の母に電話をしたのは、果那が戻ってから一時間後、すでにビルには警察が踏み込み二人が逮捕された後だった。祖母は果那に京子から連絡があり、あのビルの近くで倒れている京子を見つけた事にした。果那が言うには京子もマリファナを吸った可能性がある。あまり大きな騒ぎになる前に、京子の母と話をする必要があると思ったようだ。


 京子の母『京子はどこにいるんですか?場所を教えてください。』


 祖母『上がってください。少し落ち着いてから話しましょうね。』


 京子の母を居間に通してお茶を出して慰めながら祖母が話を始めた。祖母は果那に言い含めた通りの話を京子の母に聞かせていた。夜、京子から果那に電話が入った。何処にいるのか聞いて祖母が果那を乗せ、車で京子の言った場所に向かった。近くまで行って車を降りて探すと、道に京子が倒れていて車に乗せて連れ帰った。祖母の話は続いた。


 祖母『お母さん、驚いても叱っても駄目よ。果那が言うには京子ちゃんから、麻薬のような香りがするらしいの。うちの果那は法律の勉強をしていて、刑事事件や麻薬とかも勉強しているみたいでね。』


 京子の母『麻薬ですか?なんて事を…』


 祖母『ひょっとしたら誰かに無理やりかもしれませんし。京子ちゃんを車に乗せて戻ってくるときに、パトカーのサイレンの音も聞こえたから、摘発されているかもしれないわ。二階で寝ているのよ…京子ちゃんの意識が戻って事情がわかるまでは…』


 京子の母『有難うございます。そうですよね、京子の話しを聞いてからですよね。』


 祖母『もし大丈夫なら今日はうちにお泊りなさい。娘さんの顔を見に行きましょうか。』


 祖母が京子の母を連れて果那の部屋に入ってきた。果那はベッドで眠る京子に寄り添いながら眠りに落ちていた。二人が入ってくる物音で目を覚まし、ベッドから離れ京子の母に場所を譲った。母は涙を流しながらやつれた娘の顔を優しく撫でていた。祖母は果那を連れて居間に戻った。その夜、京子の母は娘の側で一睡もせずに、娘の事を心配し寄り添っていた。果那と祖母は一階の寝室で眠りにつき四人は翌朝を迎えた。


 果那『おばさん、京子は?』


 京子の母『まだ目を覚まさないわ。』


 果那『麻薬だけじゃなく、睡眠薬とか飲まされているんだわ。本当に酷い…』


 祖母『御主人には伝えたのかい。』


 京子の母『さっき主人から連絡がありました。早く連れて帰って来いって怒鳴り散らされましたけど…怒鳴り返してやりました。主人には麻薬の事とかは話していません。』


 祖母『その方がいいね。暫くうちで預かってもいいわよ。果那と二人暮らしで部屋も余っているしね。』


 三人が枕もとで話す声に京子が意識を取り戻して目を覚ました。ぼんやりとした感じで何が起きているのか、自分がどこにいるのかもわかっていない感じだ。京子の母は何も言わずに泣きながら娘を抱きしめていた。母のぬくもりと愛情を感じ京子の眼にも涙が溢れ始めていた。果那と祖母は黙って二人をみつめていた。


 京子『ママ?私…そうだわ、隆に変な場所に連れて行かれたんだ。え?果那、果那も一緒?』


 京子の母『京子、あなたが早乙女さんに電話をしたそうよ。憶えていないのね…でも良かったわ。目覚めないかと…心配で…』


 京子『ママ…』


 京子は初めて自分の母親が自分を心配して、涙する姿を視たのかもしれない、母の表情は京子が知る顔ではなく、優しい娘を心配する母親の表情だった。京子の眼にも涙が溢れ出し、ベッドから起き上がって母と抱き合っていた。果那の眼にも涙が零れ祖母だけは穏やかな表情で見守っていた。


 京子の意識も回復し祖母のシナリオ通りの内容で、京子に果那が事情を説明した。京子は家が嫌だった。自分の意見は聞いて貰えず、親の言いなりの生活しか出来ない。高校に入学し同じクラスになった女子から誘われ、繁華街にある倶楽部にいったそうだ。その女子や周りにいる男女の自由さに憧れを抱き、隆という男性と知り合った。


 京子『隆は私の話を聞いてくれて…相談に乗ってくれていたの。そんな家なら出ちゃえって言ってくれていて…パパから小言を言われて…自分だってろくに帰って来ないくせに。それで隆のところにいっていたの。』


 隆という男はどうやら逃げた一人のようだ。二十歳くらいの無職の男で、倶楽部や酒場に入り浸っている男らしい。何度か家に帰ろうと思ったが、隆に諭され日が過ぎて行った。そして明日帰ると伝えた日に突然、眩暈がして意識を失ったらしい。何か飲み物にクスリが入っていたのだろう。京子はマリファナも覚醒剤も使用していなかった。部屋に充満したマリファナの香りが、京子の身体に付いていたのを果那が勘違いしただけだった。


 果那『京子、御免ね。京子の事、気づいてあげられなくって。私達が気づいていたら京子がこんな目に遭う事もなかったね。』


 京子『果那…ごめん。心配かけちゃったね、助けてくれてありがとう。』


 京子の母『一番悪いのは私達です。娘の気持ちも考えずに押しつけてばかりで。これからは娘の意向を尊重して、話し合える親子になります。京子。ごめんね。』


 その日の午後、京子と母親は果那の家を出て帰っていった。家に帰った後、京子の母は夫としっかりと向き合って話し合い、母と父は京子に謝ったそうだ。京子もその後は明るさを取り戻し、引っ込み思案も治って学校生活を楽しんでいた。勿論、果那を含めた中学の親友達との交流も続いた。この事件以降、果那は自分の能力を認識し、自由に使えるようになっていった。


 高校三年間、勉強に励み祖父に教わった武術の鍛錬もしながら、特殊な能力の訓練も重ねていた。一方で父母の事件についても調べていた。十年以上前の事件で犯人も特定された事件。ネットや図書館で得られる情報は殆どなかった。まだ高校生の果那にこれ以上の捜査は難しく、歯軋りを咬む思いでいた。警察の資料をみる事が出来れば、何かわかるかもしれないが叶わなかった。


 法律を学ぶうちに、刑事確定訴訟記録法というものがあり、申請すれば閲覧が可能な事を知った。しかし閲覧できるのは裁判終了後三年であり、両親の事件は被疑者死亡での送検で裁判記録も残されていなかった。悔しい思いを抑えながら今は大学受験、法科大学への進学を優先に受験勉強を続けた。


 祖母『果那、おめでとう。栞も賢い子だったのよ。私に似たのかしら(笑)』


 果那『うふ、きっとそうだよ。早乙女家の遺伝だね(笑)。お婆ちゃん本当に有難う。お婆ちゃんとお爺ちゃんには感謝しかないわ。身体を労わって長生きしてよ。』


 祖母は一年程前から体調を崩していた。元々、身体が強い方ではなかったが、ここ数カ月は臥せる日が多くなっていた。大学の合格発表があった日、祖母はとてもうれしそうな表情で果那を祝福してくれた。そして三月の寒い朝、果那が見守る中、七十六歳の生涯を閉じた。最後まで気丈で優しい祖母だった。


 祖母『果那、お前の中には栞や信也さんの事がまだ消えていないんだろうね。私は果那には自分の幸せを考えて、生きていって欲しいと思っているのよ。果那、心を闇に支配されてはいけない。お爺ちゃんが言ってたろう。』


 祖母は最後まで果那の事を気にかけて逝った。祖母の葬儀にも多くの弔問客が訪れた。祖父同様、町民から慕われていた祖母だった。葬儀も終わり弔問客も途絶え、果那は仏壇で祖母の遺骨と祖父母の写真と向き合っていた。最後の親族であった祖母が亡くなり、果那には親族はいなくなった。遠い親戚はいるのだろうが既に連絡は途絶えている。祖母の死は悲しかったがそれが果那の心の抑制を解き放った。


 果那『お爺ちゃん、お婆ちゃん、ごめんね。でも両親を殺害した隠れた悪人は許せないの。私はそういう連中を裁くつもりよ。いつか両親を襲った者も探し出して見せる』


 大学生になった果那は法律の勉強をしながら、外務省がらみの事件を調べ始めた。ODAに関しては様々な疑惑が起きていたが、捜査はされても立件に至ったケースはなかった。大学一年生の秋、果那は祖母の家を出て、都心のマンションを購入し住み始めた。祖母の家は一人で住むには広すぎるという事もあったが、身辺を整理し素性の特定をさせないというのが理由だった。父母の遺産と祖母の遺産で生活に困る事も無かった。


 大学二年の春、新宿の駅前で警察官が犯人を確保した現場に遭遇した。犯人は三十歳位の男、警察官に保護されていたのは二十代半ばの女性だった。何故か気になった果那は、所轄署に連行される犯人と被害者の女性の後を追った。犯人の男性は大きな声で女性に対して怒鳴り声をあげていた。


 男 『おまえ、俺がこんなに好きなのに、警察になんか訴えやがって。ぶっ殺してやるからな。』


 捨て台詞を何度も怒鳴って男は連行されていった。所轄に連行され取り調べを受ける犯人と、事情聴取を受ける被害者の様子。目と耳を霧散化させて果那は聞き取っていた。被害者女性は江戸川区に住む女性で、男とはバイト先で知り合っていた。飲食店のバイトで客として来た男がつき纏い、店を出る女性を尾行し自宅まで押し掛けた。警察にストーカー被害を訴え加害者はストーカー規制法により、警察から警告を受けたがその直後、今回の犯行に及んだ。腕を掴み連れて行こうとしたところを、周辺の通行人が取り押さえている。


 女性『あの男は刑務所に入るんですか?』


 刑事『警告のあとの行為ですが…今回は禁止命令で釈放になるでしょう。』


 女性『私はどうすればいいんですか?』


 刑事『一人にならない事、周りに気を付ける事、これを心がけてください。』


 こんな警察の対応で女性が安心できるわけもない。不安げな表情のまま女性は警察署を出て自宅に帰っていった。男は翌日、釈放された。警察から厳重に注意され、女性への接近禁止命令が出された。男は刑事に挨拶もせずに、憮然とした表情で署を後にした。果那は女性の事が心配になった。男の捨て台詞のような言動、あれが脅しとは思えなかったからだ。


 果那『暫くは見張っておこうかしら。』


 その日から果那は暇をみては、耳と目を霧散化し女性の元に送っていた。駅前で目撃して三日後、午前の授業が終わって昼食の時間になった時、耳と目を女性の元に向かわせた。果那の目に飛び込んできたのは巡回中の二名の警察官と、刃物を手に持ち女性の首を後ろから腕で抱く男の姿だった。


 男 『おまえら邪魔するな。』


 警察『落ち着け、人質を離しなさい。おい、応援を要請だ。』


 男が女性を盾に取り刃物で人質に取っていた。たまたま巡回中の警察官が通りかかり、二人の前に立っているという状況だった。男の眼は血走り非常に危ない状況に思えた。果那はトイレに向かった。姿を消す瞬間を人に視られるわけにはいかない。


 男 『お前と一緒になれないなら殺すぞ。一人殺したぐらいじゃ死刑にはならないんだよ。失敗しても何度でも来るからな、出所したら必ず殺すぞ。』


 果那の耳に男の声が聞こえた。こういった人間が世の中には少なからず存在する。この男は捕まっても釈放されれば女性を狙うだろう。果那の中に巨悪と対した時の覚悟は出来ていた。果那は警察官の死角になる犯人の背後から、耳元に向けて口を実体化させ話しかけた。


 果那『おまえはこの神聖な場所で何をしている。我が聖なる地で何をしている。』


 男 『な…誰だ。何処に…わあ~』


 振り返った犯人の眼には、果那の眼だけが光ってみえた。犯人の男は叫び声をあげ、女性を離すとフェンスに向かって走り出した。果那は草むらの中で足を先だけを実体化させ、走ってくる犯人の足に引っ掛けた。刃物を持ったまま転びそうになりながら、フェンスに倒れる犯人の刃物を逆向きに持たせ、犯人の胸の辺りに押しつけていった。犯人の男はそのままフェンスに激突し、手に持った刃物が胸に突き刺さり倒れた。


 警察官達が倒れた犯人の周りを囲み、救急車の要請をしたが即死だった。現場検証の結果、犯人が草に足を取られ倒れた拍子に、持っていた刃物が自分自身を貫いたという検証結果になった。女性は保護されたが震えが止まらない感じだった。しかし安堵の表情も浮かんでいた。もう襲われる事も付き纏われる事もない。


 その後、犯人の部屋が捜索され、過去の他の女性への被害も確認された。犯人の男は過去に三人の女性につき纏い、二人の女性は会社を辞め都内から田舎に引っ越していた。後の一人は三年前に河川敷で発見された殺人遺体だった。当時の捜査では目撃者も無く女性の関係者の聞き取りでも、男の存在が浮かんでこなかった。部屋には遺留品と思われるスマホと、血の付いた下着が隠されてあった。


 刑事『三年前の殺人事件の犯人だったのか…危ない所だったな。突然、フェンスに向かって走り出したと報告を受けているが。何故…突然、人質を解放して逃げ出したんだ?』


 警察官『ええ私達も驚きました。とても変な感じでした。後ろを振り向いてみた後、悲鳴のような声を上げて走り出したんですよ。クスリでもやっていて幻覚でも見たのかともいましたよ。』


 この時が果那の犯した初めての殺人になる。人を殺める事は良い事ではない、果那にも充分にわかっている事だ。しかし、それ以上に罪のない人が命の危険に晒される事はあってはならない事。果那に後悔の念はなかった。その後の捜査で過去の犯罪もわかり、果那の後悔の念は無くなっていた。


 果那『久住晴翔、確か三年くらい前に直木賞を取った作家よね。』


 果那が初めて久住晴翔を認識したのは二年前の報道番組だった。総合司会は沢渡涼子、涼子が久住をコメンテーターとして番組に招いていた。報道特集として都内で発生した殺人事件と特集が組まれていた。

 

 事件は都内の数カ所で起きた事件で、三件連続で発生した殺人事件だった。襲われた三名に共通点は無く関係性も発見されていなかった。犯行の手口も異なり警察はそれぞれを、別の事件として捜査していた。


 久住『事件のプロファイリングをしてみました。犯人は二十代後半の男性、社交的な性格で普段の彼を知る人からは、今回の連続殺人を彼がしたとは思いも及ばないでしょう。』


涼子『連続殺人ですか?久住先生。先生はこの三件の事件を連続殺人だと仰るのですか?警察の発表では犯行の手口も、凶器も違うという事ですが。』


 久住『ええ、間違いなく連続殺人です。事件現場を確認してみて気づいた事があります。これを見てください。犯行現場の写真を撮ってきました。どの現場にも落ちているんですよ。』


 涼子『これは…枯れ葉?ですか』


 久住が示した写真は犯行現場から少し離れた草地の写真だった。何でもない風景…草地の中に枯れ葉が一枚写っていた。その枯れ葉は久住が採取して持っていた。まだ夏の真最中の草地に枯れ葉があるのも不思議だったが、犯行現場からは五十メートル以上離れた場所だ。警察の捜査員も不思議にも思わないだろう。


 久住『この枯れ葉は関東の平地にはない植物です。高山植物のナナカマドという木の枯れ葉です。三カ所の犯行現場にこの葉は落ちていました。犯人は枯れた葉を持っていて自分の犯行を示唆する為、犯行現場に置いているという事だと思います。犯行の手口や凶器を変えているのは、ただの愉快犯ではなく殺人を試している可能性があります。そういった意味では続くかもしれません。この三枚の枯れ葉から共通の何かが発見されれば、犯人の糸口になるかもしれません。』


 報道番組の終了後、テレビ局が捜査本部に証拠として提出する事を伝えた。連続殺人として捉えていなかった警察は、当初、難色を示したが世間の声に押され、枯れ葉を三枚受け取り鑑定に回した。枯れ葉からは人の汗か唾の成分が検出され、DNA鑑定の結果、同一人物の物と確認された。警察は鑑定結果を受け三件の殺人を、連続殺人に切り替え合同捜査本部を立ち上げた。


 久住はその後も現場で調査を続け、何故か犯人に関わる事を拾い集めていた。犯行後の犯人の行動を的確に追い、警察が捜査をしていない周辺の聞き込みや、通行する車を止めて車載カメラの映像の提出をお願いし、犯人の姿が写った写真に辿り着いた。そして犯人が居住しているであろう家の近くの駅まで割り出した。


 久住の情報は報道番組では流さずに捜査本部に伝えられた。にわかには信じがたい情報だったが、警察も久住の意見は無下に出来ない。捜査本部は情報に基づき、捜査を続け犯人の逮捕に至った。犯人確保の際には沢渡涼子が現場に張り付き、警察が部屋に踏み込み犯人を確保して、警察車両に乗せる姿を生放送で流した。果那がみたテレビはこの報道番組だった。


 果那『久住晴翔、この人も何か特殊な能力があるのかもしれないわ。彼の協力があれば…』


 それからは久住の動向が気になり始めた。彼の出る番組は必ず視て彼の作品も読み漁った。久住の事も調べたがわからない事の方が多かった。特に世界を放浪していた二十八歳までの十年間の記録は一切なく、久住自身も語ろうとはしなかった。類まれ無い洞察力、観察力や論理的な思考だけではなく、証拠や証言を拾い集める術が、果那と同じような能力なのではと感じていた。


 そして…麻倍階元総理の事件が世間を騒がせ始めた。果那は久住が事件の核心を紐解き、麻倍階元総理を追いこんでいく中で、果那自身も目や耳を霧散化させ、麻倍階元総理の周辺をマークしていた。政治家がらみの事件、しかも相手は昭和の時代から君臨する大物だ。父母の事件の事もわかるかもしれない…いや関りがあるかもしれない想いもあった。マークする中で麻倍階元総理の側近の森本が、秘書を通じてコブラに依頼させている事を知った。森本がコブラの構成員に連絡する電話番号を盗み見し、その後は秘書をマークしてコブラのアジトを突き止めた。


 奥多摩のコブラのアジトを発見した後、何度か霧散化して忍び込みUSBをコピーしていた。全てのコピーをし終わった時、果那はコブラのアジトにいきなり現れた。四人の男達は暫く依頼も無いだろうと、アジトでくつろいでいる時だった。真っ黒な上下の服に目出し帽を被り、果那は四人のアジトに姿をみせ、彼らにそっと囁くように言った。


 果那『人殺しの悪人が随分、寛いでいますね。』


 コブラ『誰だ、いつの間にそこに。』


 流石にただの男達ではない。国内外で戦闘訓練を受け、格闘術や銃火気類の扱いはプロだ。振り向きざまに二人が果那に向けて発砲し、銃弾は正確に果那の胸と頭を狙っていた。銃弾が果那に迫った時、果那の身体は霧のように消え、撃った男の背後にあらわれた。そのまま小刀を一閃し一突きで、男の心臓を貫いていた。三人は驚きながらも正確に果那に向けて実弾を発射した。しかし果那の身体に銃弾が届く事は無かった。次々と三人のコブラのメンバーも倒されていた。


 アジトに置かれてあったスプレーで、アジトの外の壁に《ダーク・テミス》と書き、そのまま霧散化し自宅に戻っていった。麻倍階元総理にも書面を送った。書面は麻倍階元総理の事務所のパソコンで作成し、事務所のプリンタで印刷していた。インクや何かで自分が特定される事がないように、最善の注意を払った。


 果那『私の両親を襲ったのがコブラではない?麻倍階元総理ではない?』


 アジトから持ってきた画像や動画に両親の物は無く、父の仕事絡みの事も発見されなかった。しかし果那は確信していた。今回の麻倍階元総理の事件で政治家が両親の事件にも必ず絡んでいると。果那の能力では捜査には限界がある。対象が決まればマークして今回のように特定が出来るが、そこまでの調査能力はなかった。果那は久住と接触する事にした。そしてテレビ局にネットを繋ぎ、番組内での対面に至っていた。


 久住『なるほど…十九年前の事件は憶えています。高校二年生だったと思いますが…犯人は遺体で見つかった事件でしたね。』


 果那『はい。でも犯人の顔は憶えています。あの男ではありません。盗難にあったパソコンや資料の事も報道されていません。』


 久住『果那さんは御両親の敵討ちがしたいという事ですか?』


 果那『最初はそれだけでした。でも変わりました、表に出ない恐ろしい事が、当たり前のように起きている。それを裁きたいと思っています。私には先生のような能力はありませんから、捜査するのは難しいんです。』


 久住『僕にも果那さんのような能力は無いですよ。…わかりました。一つだけ約束して戴けますか。殺人は行わないと。』


 果那『出来るだけ努力はします。でも、状況によっては…コブラのメンバーを捕えて久住先生に尋問して戴ければ、何か聞きだせたかもしれませんね。』


 久住『ふふ、正直な人だね。コブラのメンバーのような人種、殺人を生業にする構成員には、僕の精神干渉は効かないと思いますよ。ああいった人種は特殊な訓練をしていますからね。聞き出そうとすれば自分で命を絶つでしょう。僕は作家が本業だから、事件捜査はやるべき時だけですよ。それでいいのなら、パートナーになりましょう。』


 久住は果那の住んでいる場所を聞く事は無かった。連絡が必要な時は果那が久住に会いに来る。住所や電話番号を知っていれば、何かの時に漏洩する可能性もある。果那の正体を人に知られるわけにはいかない。そして会う時は誰も見ていない空間、久住の部屋や監視カメラの無い場所に限定する事にした。


 久住『僕は週に二回、報道番組にコメンテーターとして出演しているから、僕から用事がある時にはサインを出します。そうだね…うん、時計にしましょう。基本的に時計はしないから時計をしている時は、果那さんに連絡がある時だと思ってください。果那さんが会いたい時はいつでも来て下さい。』


 千葉の高層マンションの一室で、ダーク・テミス早乙女果那と異能探偵、久住晴翔。特殊能力を持つ二人が出会った。この二人の出合が日本を覆う闇に光を当てていく事になる。まだ物語は始まったばかりだ。

 

 

 ダーク・テミス編 第三章 神を目指す者の住む館 に続く。


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