アタラクシア領にて、ひとつの決意と
朝の七時半に起きて朝食を食べ、少し過ごしたところで朝陽が昇る様を見るというのは不可思議な心地にさせる。
フィオレなら冬の風物詩であるが、『前世の記憶』もとい人格が上書きされたのもあってか見慣れた風景は違う色合いを帯びているように見えた。
わずかな時間の陽射しを毛嫌う理由は何処にもない。
アナスタシアは図書館や書庫で過ごすことも好きだったが庭で過ごすことも嫌いではない。
この日も迷路のように入り組んだ庭園でセドリックやロビンとかくれんぼをして過ごした。
一〇歳という齢では少し子どもっぽい遊びかも知れないが、邸宅内で体を動かして遊ぶ方法はそんなに豊富にはないし、陽が早く沈んでしまうことも鑑みればあまり長く外で遊ぶ選択肢もない。
これくらいの遊びがちょうどいいのであった。
かくれんぼが終わればみんな揃って書庫へ出向く。
レイチェルが本の整頓に精を出す傍らで手伝いをして、気に入った本を見つければ盗み読んだりした。
セドリックは穏やかに過ごしている。
王都では新年の祝いと共に第一王子が王太子に選出された祝いも盛大に行われたらしい。
オルドレイクもその祝いには参加したが、式典が終わって程なくしてさっさと帰ったようである。
第一王子の傍にはアナスタシアの兄でありオルドレイクの息子のユージーンがいる。祝賀の言葉さえ伝えれば取り敢えずの責任が果たせたとみたのだろう。
祝賀祭にセドリックがいないことを咎める声はなかったわけではないようだが、何時ものお小言の範囲で収まっているらしい。それよりも日和見の貴族たちはどうやって王妃派の重鎮に取り入れるかに必死になっているようだった。
アナスタシアは自分の『立ち位置』がいまいち把握出来ていない。
それは現実の立ち位置というより、『アルトノーツ』というゲームでの立ち位置である。
アナスタシアが保有するアルトノーツの記録は濃密でもないし多くもない。断片的な情報のみである。その中に、アナスタシアらしき人物の姿はない。メインキャラのひとりとしてセドリックの顔が思い浮かぶ程度である。
アルトノーツの舞台である魔術師専門学校はフィオレにはなく、別の国にある。
学術国家として名高い国にあり、国際的にも名前が知られる名門校である。
この世界は魔力がある人は少なくないが、魔術師として活躍出来る絶対数は少ない状況にある。国際的に名を馳せた魔術師専門学校の卒業証書は出身国の名門校よりはるかに経歴として誇れる物だ。
だからゲームで語られる魔術師専門学校の登場人物たちは国際色も経歴も色彩豊かだ。共通点は『魔力が潤沢にある』こと。故に、魔力が微弱なプレイヤーは軽蔑や侮蔑の対象になってしまうわけだが。
アナスタシアにも魔力はある。
どの量で『潤沢』と言えるかはわからないので『潤沢に保有している』かは不明瞭だが、魔術師を使う者としては早熟な部類であるのは確かだった。
セドリックにいたっては固有魔術が発現している。魔術の才能があるのは誰から見ても明らかだろう。問題は、その才能を認める動きが何処にもないことだ。
人間のみならず、生物が『魔術』やそれに類する技能を発現するには魔力が必要だ。
魔力とは、空気中に含まれる『魔素』を体内に取り込み自身の熱源のひとつとして保有した物を指す。
人とは千差万別の背景を持った生き物である。
よって、人は様々な魔術を持ち入りながらも根幹には『属性』を持っているのが常だった。
人が持てる属性は六つだと言われている。
炎、水、風、土、光、闇である。
この根幹にある属性により習得する魔術の順番も異なっていく。炎が根幹にあるなら最初に習得するのは火起こしであるし、水が根幹にあるなら氷の礫を発生させるところから魔術という学問に親しむのである。
多くの人は炎、水、風、土の誰かを根幹の属性として持つ。光や闇は希少な属性と考えられており、特に光は高貴な属性として尊ばれていた。
光とは真逆に闇は畏れられる属性であると言われている。世界的にそういった思考なのだから、長い夜があるフィオレで闇属性が忌避されるのは仕方のないことなのかも知れない。
だからといって、そこにあるだけで虐げて良い理由にはならない。
ゲームのセドリックは怠惰な厭世家として登場する。
この世の全てに辟易し暴力で何もかもを解決しようとする若者は有名声優の演技とその精悍でありながら美しいビジュアルもあって大人気であった。立ち位置としては悪役だが、プレイヤーには良い兄貴分な面も見せていた。役所の立ち位置としては不良学生の親分、言い換えれば番長的存在であった。
アナスタシアの目の前で夢中で本を読んでいる少年があんな乱暴者になるとはどうにも信じ難い。
ゲームのシナリオから脱線したいのかと言われるとこれにも困る。そも、シナリオをほとんど憶えていないも同然なので脱線しないほうが無理でもある。事前知識がないのだからどうしようもない。
セドリックには幸せになってほしい。
そのためには目の前にあるセドリックがゲームのセドリックとは別人格になることも致し方がないと思ってもいる。
誰も彼も、アナスタシアも、画面越しのキャラクターではない。この世界で息づいている『人』である。
セドリックの安寧を願ってしまったからには、シナリオから外れるのは決定事項だろう。そこに人格形成の変質も含まれるたとしても、アナスタシアは今更止まる気にはならなかった。
セドリックがプレイヤー時の『推し』ではなかったからキャラクターの変質にも心を痛めないのではない。
目の前に存在する少年が、あの厭世家になったところで幸福にはなれないと思ってしまったからだ。
セドリックは『人』も『世の中』も嫌いではない。拒絶はされながらも『共に歩みたい』と願っていることをアナスタシアは付き合っていく中で良く理解していた。
その展望すら奪われたうえでの、あのキャラクター造形なのだろう。
ならば、アナスタシアはその展望を奪われぬために剣となり盾となり、友として支えていくだけである。
「アナスタシア嬢、僕の顔に何かついてる?」
「真剣な眼差しが素敵だと思っておりましたの」
「えっ」
アナスタシアの視線に気付いたセドリックが問いかけてきたのでアナスタシアは思ったことをそのまま伝えるとセドリックは頬を赤くして尻尾がぼわりと膨らむ。
それを見てロビンが何故か生暖かい視線を向けて再び勉強に戻ったけれど、アナスタシアは「本当のことを言っただけですのに」と小首を傾げてまたセドリックを戸惑わせれば「小悪魔怖い」とロビンは呟いた。
セドリックの周辺は穏やかな日々が続く。
その結果、中学府に進学して間も無くセドリックの一人称は『僕』から『私』になり、『俺』ではなかったことにアナスタシアは「うーん、キャラ崩壊!」とまた自室で胡座をかきながら唸ることになるが、それはいつかの機会に取っておくことにしよう。
こうして時は流れ五年後、ゲームシナリオが発動するやも知れぬ時まで五年を残し、アナスタシアたちはフィオレ王国から旅立ち魔術師専門学校の門を叩くことになる。




