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ほーん、つまり『悪役令嬢』だな?  作者: もみぞー


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3/6

使用人は知っている、王子様は恐れてる

 メアリアンはアタラクシア家で働く使用人である。

 アタラクシアの本邸は巨大にして広大で、よって多くの人々が住み込みで働いていた。

 メアリアンもその中のひとりである。

 出自は元をただせば子爵家の娘である。彼女もまた令嬢という立場であったが、寄親の横領を始めとした悪事に巻き込まれ一気に貧乏貴族の仲間入りを果たした結果、嫡子以外の子どもらは自分で食い扶持を探す事態となったのである。

 王宮に宮仕えという選択肢はもちろんあった。

 だが、その前に出会した出来事がきっかけで家令に認められ、あれよあれよという間にアタラクシアの使用人となったのである。

 さて、アタラクシア家の次代を担うのは少しばかり歳の離れた兄妹である。

 兄は第一王子の近衛として抜擢され、同時に名門の魔術師学校へ進学したのを機にアタラクシアの本邸から出たが妹のアナスタシアは現在も本邸で暮らしている。

 凛とした顔立ちの少女は学府に通う令嬢方にも人気である。それは、少女が憧れる『王子様像』にアナスタシアがぴったりと当て嵌まったからだった。

 このまま芯の通った方でありますようにと願ったのはメアリアンだけではあるまい。

 だが、メアリアンの思うそれは他者の願いとは違う色合いがあった。


 『アルトノーツ』という物語がある。

 正確にはソーシャルゲームである。

 魔力が僅かにでもあったから故郷では蔑まれ、魔力が僅かしかなかったから魔術専門学校でも蔑まれた視点人物を中心に展開する物語はリアルに公式イベントを複数回行われるほどには人気だった。

 そのゲームの世界と、メアリアンが生きている世界は良く似ていた。

 国の名前、固有名詞、文明の度合い。

 そのどれもがアルトノーツというゲームを想起させ、メアリアンを苦しめた。

 メアリアンは此処がゲームの世界によく似ている現実だと理解している。

 それはメアリアンがゲームのプレイヤーだった『記憶』が明確にあるからだった。

 記憶が発生したのは実家から放逐同然で出奔し、就職活動に明け暮れていた時だった。宮仕えの手段を画策する中でほうぼうを歩き回り、無碍に扱われ地面に頭を打ちつけたのをきっかけに『記憶』が甦ってきたのである。

 メアリアンの中に芽生えた記憶にある『アルトノーツ』は長きにわたる物で、全てが脳内で再生しきるまで寝込むこととなったのは最早懐かしさを通り越して忘れ去りたい事象だった。

 アルトノーツは稼働一〇周年を盛大に祝うほどには長続きしたコンテンツだった。

 コミックスやノベライズ、アニメ映画や舞台化といったメディアミックスの王道は大抵こなしていたし、音楽中心のライブも行われ評判も上場であったのをメアリアンは記憶している。

 もちろん、物語の内容や登場人物も色濃く記憶に残っており、だからこそ、メアリアンはアタラクシア家に仕えるに至れた。

 ゲームの中に舞台の中心地である魔術師専門学校は全寮制の共学校である。

 世界有数の名門校でもあるから、登場人物の出自も個性同様色彩豊かであった。

 一般家庭の出身者は当然のこと、企業の御曹司や富豪の娘、隠れ里からやってきた者まで様々な事情を抱えた登場人物がいた。その中にはフィオレの第三王子も含まれており、その婚約者としてアナスタシアも登場していた。

 アナスタシアの登場は物語の第一部後半からである。

 中盤から端役として少しずつ顔を見せ始め、終盤で視点人物を貶めた末に破滅する悪女がアナスタシアであった。

 ゲームの中のアナスタシアは凛とした少女の面影などなく第三王子に懸想するあまり他者を虐げるヒステリックな我儘女として描かれている。想いの強さのあまりに魔術師専門学校に編入し王子の傍に常に侍り、同じく編入した特待生であるプレイヤーを執拗に虐めるのである。挙げ句、アナスタシアはプレイヤーが孤立するように仕向け、魔術師専門学校を除籍になるように画策するのだ。

 その悪事の数々は婚約者である王子に詳らかにされアナスタシアは破滅し、アタラクシア家も落ちぶれる様が描かれ章は終わる。

 つまり、アナスタシアは『悪役令嬢』なのである。

 プレイヤーだった時分はアナスタシアがシナリオ進行と共に憎くて堪らなくなったメアリアンであるが、今はどうかというとそうではない。

 アナスタシアはどこからどう見ても男勝りな一面のある麗人まっしぐらな少女である。他者を貶めるなんて一番嫌う行為だろう。

 だからこそ、メアリアンはアナスタシアが変貌するきっかけがなんなのかを見定め、阻止するつもりであった。

 アナスタシアに思い入れがあるからではない。アタラクシア家が落ちぶれれば食い扶持が失われるからだ。

 同時にアタラクシアの没落はフィオレ王国の治安にも影響する。アナスタシア破滅後のフィオレはそれまで押さえ込まれていた反人間排斥の機運を一気に高め、内乱が勃発する描写があるのだ。それは次第に大陸全土に広がっていき、遂には大きな対立を生むことになる。

 フィオレは多種族国家だと言われている。

 だが、その割合のほとんどは獣人が占めており、エルフや鬼人族、人間は少数派に属していた。

 獣人族や鬼人族は身体能力が高く、エルフは総じて魔力を持ち魔術を行使する才覚に恵まれている。フィオレの人々にとって、人間は一番弱く劣っていると見なされやすいのだ。

 そんな国で、人間が暮らすのは苦労が伴う。貴族であり続けるのは尚更大変だろうし、侮蔑されようとも忠義を尽くすのは最早偉業であろう。

 その思いがアナスタシアの愚行により萎縮し、絶たれ、大きな諍いを招く事態となると理解した時、メアリアンは確かに恐怖した。

 ひとりでなにが出来るのだと震えた夜もあった。

 それでもアナスタシアの側仕えとなり数年、日々を過ごす中で食い扶持を守る以外の感情も芽生えた。

 アナスタシアの変質を阻止し、最悪の事態を避けようと決心し邁進してきた。

 そんな中で起きたのが第三王子襲撃事件である。

 王子は無事だった。だが、アナスタシアが負傷し高熱にうなされることとなった。

 当然ながら、メアリアンはこれがきっかけで変質してしまうのではと危惧したが、どうやら事態は想定外のほうへと向かっているように感じられた。


「ねえ、メアリアン。魔術を使わないで空を飛ぶにはどうしたらいいと思う?」

「空を、ですか?」

「そうよ。殿下をお守りするには颯爽と現れなければならないわ。走るより空を飛んだほうが速いでしょう?

 でも、魔術で飛んで行ったら魔力感知で邪魔をされてしまうかもしれないじゃない」

「はあ……」


 なんというか、ちょっとアホな子になったように思えるのは、気のせいだろうか。

 

  ◎◎◎◎


 望まれて生まれてきた筈だった。

 スペアのスペアとしてだろうとも、役割を求められて生まれたのだから生まれてきたことを祝福されたのだと思いたかったけれど、セドリックの実母は生来の身体の弱さと無理をおしての出産が重なってセドリックを出産して間も無く鬼籍に入ったことで祝賀ムードは呆気なく四散したと聞いた。

 フィオレは王侯貴族の一夫多妻を認めている。

 よって王宮には後宮も存在しており、正室以外にも何人かの側室が居住していた。

 セドリックの実母は立場の弱い人だった。貴族出身が大挙する後宮において唯一に等しい商家の生まれであった。

 無論、ただの商家ではない。豪商も豪商、世界に名を轟かせる家柄だった。それでも某国に拠点を持つ商家の戦略に大敗し、後は衰退を待つばかりの身になっていた。

 豪商は僅かに残った権利の譲渡と共に王室へと救済を依頼し、差し出した権利に旨みを見出した王室はうら若い娘を輿入れさせる条件も付け加えて豪商への救済処置を施したとされる。

 利用価値はほとんどない娘を娶ったのは同情もあったのだろう。

 娘は──セドリックの実母は持病があり、その治療には多額の費用が必要だった。それらを肩代わりしてやると言われれば、豪商たちは娘を差し出す以外の選択はなかった。当然、娘の意思は鑑みられなかった。

 実母にとって、後宮は居心地の良い場所ではなかった。

 貴族ならともかく、落ちぶれた商人の娘は蔑視の対象でしかなかった。

 穀潰しと揶揄されたことも数知れず、なのに王の寵愛は深く、蔑視侮蔑は日に日に酷くなるばかりだった。

 そんな最中によく身籠れたものである、と思わないでもない。

 さしもの王も警戒を強め娘の身辺に信頼出来る者たちで守ったようだった。

 そういった背景を持って、セドリックは生まれた。

 母の面差しを強く残すセドリックを両手を挙げて歓迎した者はいなかった。

 母を守ることに心を砕いた王でさえセドリックを直視しなかったという。

 正室の子である兄たちは弟が生まれたと喜んだらしいが、正室は商人の血が混じったセドリックを「穢らわしい」と蔑んで憚らなかった。

 格が低くても貴族の血であればまだ侮蔑は少なかったのやもしれぬ。けれども、現実はそうではないし置かれた立場を覆すにはセドリックは幼過ぎた。堪える以外の選択はなかったのである。癇癪を起こせば悪いことしか起きないのをセドリックは物心つく前に学んでいたし、自分の周囲にいる善良な人を貶めたいわけでもなかった。

 堪えて、堪えて、堪え続けて、その合間に己を慰めるように知識を得ようと勉学に励んだ。

 いつか、商人の血が入っていても王室の一員だと認めてもらえる日を迎えるためにと子どもながらに懸命に運命に抗った。


 けれども、現実は残酷だった。


「セドリック様! ご機嫌麗しゅう」

「こんにちは、アナスタシア嬢」


 全ての嫌なことを蹴散らすような微笑みを向けられて、セドリックも自然にはにかんでいた。

 ところは王都の一角にあるアタラクシア侯爵の邸宅である。

 目の前にいるのはまだ医師から安静にと言われているアタラクシア家の令嬢アナスタシアだ。

 アナスタシアとセドリックは良家子女専用とも言える私立の小学府の同級生である。

 クラスも違うし接点らしい接点もなかったが、セドリックを嫌う王妃派の貴族令息たちの襲撃がきっかけとなってアナスタシアと懇意になったのである。

 アナスタシアは勇敢だ。

 炎や氷の礫が逆巻く中、嫌われ者の王子を身を呈して守ったのだから。そのせいで額に消えぬ傷跡が残ることとなったが本人は至ってあっけらかんとしている。

 セドリックは存在自体が疎まれている。

 なのにアナスタシアは「尊き方」とセドリックを認識していた。おべっかだと最初は思ったけれど、意志の強さをうかがわせる芯のある瞳を見て賭けてみたくなってしまった。

 

『背中を合わせ合える友となる』


 アナスタシアはそう言ってくれたのだ。

 婚姻するならばまずは其処から始めなくては、と。

 セドリックをただのスペアのスペアや装置ではなく、『人』として扱ってくれた瞬間だった。

 絆されぬほうが無理だったのだ。

 嫌われ者の第三王子の異名は伊達や酔狂で付いているわけではない。

 貴族以外の血が入っていることもそうだが、忌み嫌われているのは他にも理由がある。

 それはアタラクシアの家の人間たちよく知っているだろうに、アナスタシアは平然とセドリックの手を取るのだ。

 暗闇に囚われてしまうかもしれないのに!


「聞いてくださいな、殿下。

 わたくし、今度からお稽古をひとつ増やすことにいたしましたの」

「お稽古?」


 確か、アナスタシアは家庭教師が来て小学府で学んだことを復習したり予習もしているだけでなく、魔法や剣術も習っていた筈である。

 経済関係の勉強も独学でしていると以前聞いたし、その分令嬢が嗜むべき礼儀作法やダンスレッスンとはとんと無縁であるとも聞いた。

 アタラクシア侯爵は令嬢らしい習い事をして欲しいようだが、アナスタシアの趣向からして難しいだろう。

 よって、セドリックは考えながら首を傾げるしかなかった。

 

「これ以上令嬢方を虜にしてどうするの?」

「虜にするだなんて、そんなつもりはありませんわ」

「でも、学校にいる令嬢たちはみんな君に夢中だよ」

「それは殿方たちに魅力がないだけでしてよ。

 殿方たちに魅力があれば、自然とそちらに目を向けるものです」

「耳が痛い話だね。

 それで、なにを習うの」

「扇子の扱い方を指導していただこうと思って」

「扇子?」


 思ったより令嬢らしい習い事であった。

 扇子の扱い方は令嬢の嗜みでもある。礼儀作法の項目の一端を担うが、アナスタシアがそれだけで済むとはセドリックは思っていなかった。

 

「礼儀作法を習うってこと?」

「お父様が煩いですからね。それを条件に習うことになりましたの」


 言いながら、アナスタシアは一本の扇子をセドリックの前に差し出す。

 手に持ってみると思いの外ずしりとした重さがあった。


「……これって」

「鉄扇です。遠目からだとわかりませんけど」


 確かに、通常なら布や紙が貼られている扇面せんめんは薄く金属とは思えぬ透け感や模様がある。彩りも物々しくないから遠目からなら普通の扇子に見えるだろう。


「この間、殿下が襲撃された時は身ひとつでしたでしょ?

 流石に学校に剣を携えていくわけにはいかないにしても、武器は持っておくべきだと痛感致しましたの。

 魔法だって弾けるんですのよ、この扇子。

 お小遣いが吹っ飛んでしまいましたけれど、良い買い物をしましたわ!」

「………わあ」


 完膚なきまで朗らかに笑うアナスタシアに悪気は一切ない。きっとアタラクシア侯爵は扇子を欲しがったアナスタシアに漸く淑女としての自覚が芽生えたと喜んだことだろう。その実態がこれであるから直ぐに咽び泣いた可能性はある。言い方がちょっと乱暴だし、本人は「良いことを思いついた!」と心の底から思っているからだ。セドリックは少しばかりアタラクシア侯爵に同情してしまった。


「あんまり無茶はしないでね」

「大丈夫! 無茶はしませんわ!」


 無茶は! と溌剌と答えるアナスタシアにいささか不安を覚えてしまったのは致し方のないことだった。

 それは人間的に信用ならないというものではなく、きっと学校でやらかすんだろうなあという不安である。


「学校はいつから行けそう?」

「順調に回復すれば来週の半ばから行ける筈です。

 そうしたら、一緒にお昼を食べましょうね」

「………いいの?」

「殿下さえ良ければ、是非とも!」


 小学府には食堂があり、生徒たちはそこで食べるのが常である。

 だが、セドリックはなるべく食堂での食事は避けていた。

 王妃派の生徒が何かにつけて嫌がらせをしてくるからだ。食べ物を駄目にされたことだって一度や二度ではない。

 アナスタシアと共に食事はしたい、が、食堂に行くことには抵抗があるのが正直なところであった。


「お、お弁当を持っていって、中庭で食べるのは駄目?」


 恐る恐る言ってみる、と、アナスタシアはパチクリと瞬きする。

 堂々としろと言われるだろうか。

 それとも弱虫と言われるだろうか。

 アナスタシアの返事が怖くて目を瞑る、と、アナスタシアの伸びやかな声が耳に入った。


「お庭でピクニック! 素敵ですわね!」

「ほ、本当?」

「ええ、早速メニューを考えましょう?

 ツナポテトのサンドイッチは決まりでしょ。それからフライドチキンに、ソーセージのケチャップ炒めに……。

 殿下は食べたい物はございますか?」


 わたくし、食べ物のことを考えるのが大好きですの!

 

 にっこりと笑うアナスタシアに、セドリックは心の底からほっとして「アナスタシア嬢の好きな物をいっぱい詰めよう」と相槌を打った。

 だって、好きな物を知りたかったのだ。

 それが次の進学先でも続くことになるわけだが、それはまた別の話である。


  ◎◎◎◎


 フィオレ王国第三王子セドリックの立場は存外脆い。

 それはおそらく、アナスタシアが知るゲームの設定より危うい位置にいるだろう。

 ゲームの登場人物、所謂ネームドキャラクターたちの家族事情はイベントやストーリーなどで小出しにされているが語られていない部分も多分にあるので全容はようとしれないのが本当のところではあるにしても、だ。

 アナスタシアが生まれた世界においてのフィオレ王国は王侯貴族が一夫多妻であるのを由としている。

 アタラクシア家は一夫一妻であるが、これはむしろ稀有な部類に属する。

 王室ともなれば側室がいるのはむしろ自然なことだろう。王朝の継続には血脈の維持は欠かせない要素だからだ。

 現在、王には四人の側室がいる。

 それに対し子どもも四人。

 ひとりは正室が生んだ第一王子マリウスと第二王子レオナルド、次いでが今は亡き側室が生んだ第三王子のセドリック、その次に貴族出身の側室が生んだ末妹のリナディアだ。

 セドリックの立ち位置を複雑かつ脆くさせているのが実母の出自だった。実母は手続き上伯爵家に養子に入ったが生家は豪商一筋のお家柄だ。貴族の血はそこに一滴も入ってない。

 言い換えれば半分貴族みたいなものである。これを、多くの貴族たちは嫌っているわけだ。

 その筆頭は正室でもある王妃である。セドリックが男児というのもあってそれはそれは忌み嫌っているのは社交界デビューを果たしていないアナスタシアでさえ知っていた。

 アナスタシアが負傷した一件も王妃派の貴族令息たちの短慮から始まったことである。

 セドリックの立場が危ういのは出自以外にも理由がある。

 セドリックは魔術の才覚がある。問題はその才覚が第一王子や第二王子よりも秀でていることと固有魔術の気質がフィオレ王国では理解されないものだということだった。

 普通、魔術の発現は第二次性徴期に現れる。

 だが、セドリックの場合は違う。小学府に上がる頃には魔術の才能の片鱗を見せていたのだ。

 加えて個人の固有魔術の発現も早かった。固有魔術の発現にも複雑な事情があり、その性質は更にセドリックの立ち位置を複雑にさせた。

 魔術は過去のものになりつつある。

 だとしても、才能があることは喜ぶべきことだった。

 それを容易にさせてくれないのは、フィオレ王国には夜だけの季節があるせいだった。

 セドリックの固有魔術は対象を闇の礫で包み込み塵に変える物である。

 『深淵』を連想させる魔術である。それゆえに、セドリックは一層遠巻きにされ忌み嫌われてしまったのである。


「アナスタシア様!

 遂にお戻りになられたのですね!」

「アナスタシア様、ご機嫌麗しゅう」

「まあ、傷跡が……!」


 久々の学校は相変わらず囀りがうるさかった。

 クラスに入るが否や何処ぞの令嬢たちがアナスタシアを取り囲み、アナスタシアの身をどれだけ案じていたかを競うように言っていたがアナスタシアの頭の中は今日の昼食のことでいっぱいであった。

 

「見ろよ、あの顔。あれじゃ誰も嫁になんか貰わねえよ」

「その心配はないんじゃないか。

 あの第三王子が娶るって話が出てるらしいじゃないか」

「まさに割れ鍋にとじ蓋なわけだ!」


 けらけらと笑う令息たちは放置である。この手の輩は構うだけつけあがるのだ。


「アナスタシア様、セドリック殿下と婚約するって本当ですの?」

「セドリック殿下って、あのセドリック殿下でございましょう?

 わたくし、恐ろしくて聞いただけで目眩がしていましたわ!」

「手に触れただけで闇に囚われると聞きました。

 アナスタシア様、殿下に触れられてなどいませんよね?」


 婚約話を耳にしたからか、令嬢たちも口々に好き勝手なことを言う。

 アナスタシアは「間違いがいくつかあるようですわ」とあくまでにこやかに言いながら訂正することにした。


「わたくしと殿下の婚約話は確かに出てきていますけれど、まだお話の段階ですの。

 ゆくゆくは婚約となるでしょうけれど、今はお互いを知るために『お友だち』になりましたのよ」

「お友だち、ですか?」

「ええ。それに、殿下に触れたら闇に囚われるだなんて妄言を信じては駄目よ、皆様。

 殿下は魔術の才覚がある方。使い所を間違ったり致しませんわ。

 現に、わたくしから殿下の手を取りましたけれど、何処も失われておりませんでしょう?」


 ほら、と、誰にでも見えるように手を差し出すと令嬢も令息たちもまじまじとアナスタシアの手を見る。


「でも、傷跡がありますわ」

「それは剣のお稽古で出来たものですわね。

 守るべき方々のために出来た勲章ですの」

「まあ、アナスタシア様、相変わらず凛々しいですのね」

「野蛮なだけだろ」

「蔑むならわたくしに勝ってから言ってくださる?

 百連敗のボウウィング卿」

「なっ!?」


 名指しされた生徒は顔を赤くして絶句するのを尻目にアナスタシアは自分の席に着く。

 そうして授業をこなし、昼食時間となると待ち合わせ場所である中庭に向かった。

 セドリックは約束通り中庭の一角で待っていた。

 今のセドリックに人目につく度胸はない。

 ゲームに登場した不遜な厭世家になりそうにない気弱な少年だ。それもあってなるべく人目のつかない穴場を待ち合わせ場所に指定したのである。

 椅子もテーブルもないが、敷物は持ってきてある。地面に座って弁当を広げるほうがピクニックらしくて良いだろう。


「アナスタシア嬢、こんにちは」

「こんにちは、殿下。

 お約束のお弁当を持ってきましたわ。

 一緒に食べましょう!」


 空間拡張してある鞄から敷物や食べ物が入っているバスケットを取り出して昼食の準備をする。

 令嬢方が見れば卒倒しそうなカジュアルさであるが、アナスタシアは構うことなく敷物を地面に敷いてバスケットを置き蓋を開けた。


「わあっ、食べ物が沢山入ってる!」


 感嘆の声を上げるセドリックの表情は明るい。

 瞳を輝かせ物珍しそうに料理を見つめていた。


「殿下はピクニック用のお食事を食べるのは初めてですか」

「うん。外に行くのにあまり良い顔をされないから、外出は最低限にしてるんだ。

 何時もは離宮の書庫で本を読んでるよ」

「離宮に書庫が?

 どんな本があるのでしょう。興味がありますわ」


 アナスタシアの前世は重度のオタクであり読書家でもあった。もっというなら本のオタクである。

 本の内容ももちろん重要だが、装丁や図面のデザインなども興味を抱くタイプだった。読めないのに装丁が気に入って買った外国語の本だって所有していたくらいだ。

 離宮とはいえ王宮の一部である。そこに所蔵されてる書物なのだから装丁や図面も素晴らしい物があるに違いない。


「……アナスタシア嬢は本が好きなの?」


 意外そうなセドリックの表情にアナスタシアは「イメージになかったでしょう?」と戯けた調子で答えた。

 以前のアナスタシアの興味は『アタラクシアを健全に生きながらえさせる方法』だけだった。

 個人の趣向など度外視して装置として役目を果たすことのみを目的に生きていた。

 だが、もうその頃には戻れない。

 上書きされた要素の数々はアナスタシアを『人間装置』として稼働させるには不完全に至るものばかりだった。

 書物に興味を持つこともそのひとつである。


「立場上、経済学や運営論を選びがちですけれど、物語や図鑑も好きなんです」

「辞書とかは?」

「辞書! いいですわね! 読み始めたらあっという間に一日が終わってしまうのが難点ですけれど、言葉とその意味の多さの面白さに変えられるものはありませんわ!」


 出版社によって解説文が若干異なるのも面白い部分である。

 辞書も言葉に関する物だけでなく分野毎に存在しているのも面白い。マニアックな分野を見つけた時の喜びは何事にも得難いものがある。

 そこまで勢い任せに言ってからはたと我に返った。

 これはあまりにも今までのアナスタシアから離れすぎた言動ではなかったか。

 が、肝を冷やす前にその憂いは杞憂であることが知れた。

 セドリックがなんとも嬉しそうな表情でアナスタシアの手を取って「僕もなんだ!」と言ったのである。


「古い時代の辞書と現代の辞書では編集されてる言葉にも違いがあるのを見つけたりすると凄く嬉しくなるんだ!」

「わかりますわ! 宝物を見つけたような気持ちになりますのよね!」


 ドン引きされなかったのを良いことにアナスタシアもセドリックの手を握り返して同志を得た喜びを分かち合う、と、今度は我に返ったセドリックが慌ててアナスタシアから手を離して顔色を悪くさせた。


「ごめん、僕なんかが触れてしまって」

「あら、お友だちならこれくらい普通でしてよ?」


 紳士淑女としての体裁が優先されるなら話は別だが、今はプライベートな時間だ。多少『はしたない』行いをしてもたいした損害はなかろうに。

 暗闇を連想させる魔術の使い手だからといって人と触れ合っただけで術が発露するわけではない。

 その点を、セドリック自身も理解しなければならない。


「でも、僕に触れたら闇に囚われてしまうよ」

「そんなこと、起こりませんでしたけれど?」

「今回は運が良かっただけかも」

「殿下は魔術の訓練を人一倍なさっていると聞きました。その努力が裏切るとは思えません」


 ハムサンドを差し出しながら言えばセドリックはぱちくりと瞬きしてアナスタシアを見る。

 そんな風に言われるとは思っていなかったらしい。

 セドリックが自己肯定感が低いのも自信が持てないのも出自と固有魔術のせいにするのは容易い。事実、そのせいである部分も大きい。特に固有魔術の発露は暗殺未遂事件が起因している。理性ではなく本能が反応して発露した魔術は襲撃した暗殺者を闇に捉え、黒い塵に変えてしまった。

 最初の経験談は瞬く間に貴族たちに王家の醜聞として広がっていった。その後、セドリックは固有魔術を自在に操れるよう苦心する様も面白おかしく伝聞されてしまい、『セドリックに触れれば殺される』という妄言のみが確定した事実のように広まってしまったのである。


「今だってハムサンドを普通に持ってらっしゃるわ。

 大丈夫、殿下の努力は望んだ方向に報いてくれています」

「そう、かな……」

「そうですわ。たとえ、仮にわたくしが殿下に触れて身体の何処かが失われたとしても、わたくし、見事に復活してみせますわ! ギャグマンガみたいに! 即堕ち二コマですわね!」

「ぎゃぐまんが??」


 喩えが良くなかったと理解したのはセドリックのあどけない問い掛けを聞いたあとである。

 これは我が出過ぎてしまったとアナスタシアは咳払いして「兎に角」と続けた。


「わたくしのことはお気になさらず、どんどん触ってくださいまし!」


 さもなくばわたくしからお触りいたしますわよと言ってツナサンドをレオナに食べさせると、セドリックはほのかに頬を赤くさせてツナサンドを頬張ったのだった。

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