ほーん、つまり『トラ転』だな?
アナスタシア・アタラクシアは貴族の娘である。
それも、侯爵家という家柄である。
侯爵家。どう足掻いたって国の重鎮である。
アタラクシア家は王国が世界に名を刻まれた頃から国の平穏を守るために欠かせない存在であった。
人種解放戦争とも呼ばれる召喚代替え戦争の前後では没落しかけたが現王家が王権を握り王朝を築いてからは持ち直し侯爵まで成り上がっている。
その王国の名をフィオレという。
国土は広く、それでいて貧富の差も激しかった。
華やかな都市と長閑な田舎の間には見捨てられた街がいくつもある。
その数を減らすためにアタラクシア家は奮闘し続けているが理解者は少なかった。
偽善と揶揄する者も少なくない。
それでも、アナスタシアは幼い頃から自分が置かれた立場を理解していたし、より『豊かな』国を作るために自分を利用しようと考えていた。
だから兄に負けじと学べる物はなんでも学んだ。
歴史、経済、魔法、剣術。領地運営に役立つならとあらゆることに手を出した。
おかげで淑女としての嗜みである分野はほぼ手付かずで、アナスタシアはすっかり男勝りになっていた。お転婆というよりやんちゃ、深窓の令嬢より姫騎士の二つ名が似合った。
そんなアナスタシアは当然ながら貴族令息からは煙たがられた。
王国で生まれ育った者の傾向として『強い女』は敬遠されるきらいがあった。
女性はたおやかで飾り物であれ、という認識が貴族社会にも庶民社会にも根付いていた。
アナスタシアはこの『強い女』に当て嵌まると同時に『人間』であるのがいけなかった。
フィオレは多様種族で構成された国家である。
加えて言うなら、人間は国の構成人員では少数派に属していた。
世間的には人種差別は撤廃されたと言われているが、実際はまだ種族格差や偏見は世に蔓延っている。
種族格差は国によって異なるが、フィオレの場合、人間は格下に扱われるのが一般的であった。
喩え侯爵家であろうが、種族は人間。
貴族令息たちは人間の小娘にしてやられるのが耐え難かったのである。
その分、どういうわけか令嬢方には大いにモテた。
「ああ、見て! アナスタシア様よ!」
「なんて凛とした御姿なのかしら」
「わたくし、先日アナスタシア様が乗馬をされているのを見たわ。乗馬服がとてもお似合いで、まるで御伽話に出てくる王子様のようでしたわ」
「まあ、羨ましい!」
「男子生徒の制服を着たらきっとよくお似合いでしょうね。考えてはいけないことなのでしょうけれど」
良家子女が通う小学府ではいつだって可愛らしい雲雀たちがさえずっていた。
アナスタシア当人は令嬢、令息共に付かず離れずの距離で察し、アタラクシア家の責務を果たすために『都合の良い』人物の見定めに徹していた。
仮面の友人は多くいた。
だが、本当に友人と呼べる者はひとりもいなかった。
偽りの友情に満足している令嬢たちになにを思うこともなかった。
全ては民に安寧をもたらすため。
そのためなら『個人としての自分』なぞいらなかった。
ある時までは。
「婚約、ですか」
「そうだ。断ることも出来るが、どうする」
とある事件が起きてから一週間。
漸く熱が下がり頭部に負った怪我も治り始めた頃だった。
面会にやってきた父親は些か困ったような表情でアナスタシアに問いかけてきた。
事件の詳細はなんてことはない、同じ学校に通う第三王子が反対勢力の貴族令息たちに害されようとしたところに遭遇し、アナスタシアが邪魔立てした結果王子を庇って負傷したのである。
怪我は魔法による火傷と裂傷、頭部の強打による打撲であった。
力と対峙する機会は剣術や魔法の稽古であったとはいえ、悪意のある暴力に近距離で接触したのは初めてである。アナスタシアはそのショックもあって三日間高熱にうなされ、熱が下がったあとも最低限の面会しか叶わない状況であった。
鏡で顔を確かめた限り、アナスタシアの額の左側には火傷跡が痛々しく残っていた。魔法で治療はしたものの、初期治療の遅れによって傷跡が残ってしまったのである。
アナスタシアの容姿は兎角美しいというわけではないが整った部類になる。傷跡は否が応でも目立つし、それがアナスタシアの『美しさ』とやらを損なうのは目に見えた結論だった。
それを気にしたのが王家である。
将来美しい令嬢となることが約束されていた娘を『キズモノ』にしたとあってそれは騒ぎになったらしい。
責任を取って娶るという結論が出たのはやむなしだろうが、アナスタシアはというと「気にしなくてもいいのに」と思うばかりであった。
「殿下を害する者を退けることが出来たのです。それでしまいではないですか」
「お前の言うことは尤もなのだがな」
普通なら大事な娘に消えない傷跡を負わせられたら激昂するのが親であろう。しかし、アタラクシア家当主として判断するなら娘の行いを褒めこそすれ、傷を負わされたことに不快感を示すことはなかった。彼もまた、『個人』という枠を撤廃した人間である。物言う装置だ。アナスタシアもそうなる未来があった。
「陛下はそれでは示しがつかぬとおおせなんだ」
「あら、まあ」
「セドリック殿下もお前のことを気にしておられた。
毎日のように見舞いに来ていたのだぞ」
「気にしなくてもいいのに」
アタラクシアは民の安寧のために存在するが、同時に王家の盾としても存在する。
守るべき人を守るという至極当然のことを実行しただけである。それが喩え『嫌われ者の第三王子』だろうが道を違えることはない。それだけのことである。
けれども、第三王子はそうとは思っていないようであった。
王侯貴族のほとんどは第三王子のことを良く思っていない。味方もいないに等しい。王子をこれみよがしに見下し蔑む動きがあるのは茶飯事であるから、王子は一〇歳という齢で既に厭世家のきらいを見せている。
誰も王子をかえりみない中でアナスタシアは違う動きを見せた。それが、王子には奇跡のように映ったらしかった。
守られたという事実と負傷させたという呵責は王子を混乱させたことだろう。
第三王子との婚約話は混乱ぶりが顕著に現れた結果であった。
さて、どうしたものか。
「お父様、一度セドリック殿下とお話ししたいのですけれど、叶いますかしら」
「縁談を受けるのかい」
「殿下のことをなにも知らないで決めるのは早計です。冷静になれる環境で互いに現状を把握する必要があると思うのです」
「殿下側は縁談を進めるつもりでやってくるぞ」
「その時は冷静になるよう進言するだけです」
努めて冷静に言うアナスタシアにアタラクシア家当主はひとつ頷き部屋を出ていく。
それを見送り数分後、アナスタシアは腕組みをし延々と思考を巡らせてから誰に言うでもなく呟いた。
「ほーん、つまり『トラ転』だな?」
凛々しき男装の麗人がハッスルお嬢様に転身する三日前のことであった。




