第8章 中央からの視線
その日、ノルドグラードの酒場は熱狂に包まれた。「乾杯!救世主に!」
「あの青白い雨を見たか!?あれこそ神の御業だ!」
粗暴な兵士たちが、私とリシアの席に次々とエール(安酒)を運んでくる。私は酒が飲めないので、果実水で付き合っていたが、リシアはすっかり英雄気取りで上機嫌だ。
「ええ、そうよ!私の魔力がああなったの!アレンはあくまで、私の魔力を調整しただけなんだからね!」
彼女は赤ら顔で兵士たちに武勇伝を語っている。事実なので否定はしないが、彼女の「調整しただけ」
という言葉には、微分幾何学への敬意が足りない気がする。
「……坊主、いや、アレン先生」
向かいの席に、ボロディンがドカッと座った。彼の顔には、もう侮蔑の色はない。あるのは、奇妙な敬意と、微かな困惑だ。
「俺は謝る。お前らは子供じゃなかった。……化け物だ」
「褒め言葉として受け取っておきます」
「だが、目立ちすぎたな。この戦果は、すぐに王都に伝わる。……中央の連中は、自分たちの理解できない力を嫌うぞ」
ボロディンの忠告は的確だった。王立アカデミーを追放された劣等生が、一万の軍勢を単独(正確にはペア)で殲滅したのだ。その事実は、アカデミーの権威、ひいては従来の魔法体系そのものへの挑戦と受け取られるだろう。
「構いません。むしろ、注目を集めるのは好都合です」
私はグラスを回しながら言った。
「好都合だと?」
「ええ。世界が『解』を求めている証拠ですから。……それに、本当の敵は魔物じゃない」
私は窓の外、暗闇に沈む北の空を見た。スタンピードは前座に過ぎない。あの時感じた特異点の反応。それは確実に大きくなっている。世界が計算処理落ち(フリーズ)する前に、私がそのバグフィックスをしなければならない。
「……お前、何が見えてるんだ?」
ボロディンが怪訝そうに尋ねる。
「数式ですよ、隊長。世界を記述する、美しくも残酷な数式がね」
*
一方、王都。王立アカデミー、学長室。緊急の伝令がもたらした報告書を読み終えた学長の手が、震えていた。
「ノルドグラード防衛戦……敵勢一万を、アレン・クジョウとリシア・フォン・エルドリッジの二名のみで殲滅……?」
ありえない。誤報だ。あるいは、何かの間違いだ。だが、報告書には詳細な戦況と、目撃した数百名の兵士の署名が添えられている。
「『青白い光の雨』だと……?そんな魔法、聞いたこともない……」
同席していたガストン教授も顔を青くしている。「あの落ちこぼれが……?そんな馬鹿な!あいつは詠唱もできない欠陥品ですよ!」
「だが事実は事実だ。……調査団を出すぞ」
学長は重苦しい声で決断した。
「宮廷魔導師団のエリートを派遣する。アレン・クジョウの力の正体を暴け。もしそれが、王国の秩序を脅かす『禁忌』に基づくものなら……」
学長は言葉を濁したが、その目は冷酷な光を帯びていた。「……排除も辞さない」
運命の変数が、大きく動き出そうとしていた。私の知らないところで、新たな方程式が組まれつつある。だが、どんな難問が来ようとも、私のやることは変わらない。
定義し、解析し、証明する。それだけだ。




