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異世界転生した学者は解析学で世界を救う。  作者: もしものべりすと


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第5章 最適化問題(オプティマイゼーション)

 北の辺境都市ノルドグラードは、都市というよりも巨大な「要塞」だった。高さ二十メートルに及ぶ黒曜石の防壁が円周を描き、その内側には無骨な石造りの建物が、まるでカビのコロニーのように密集している。美しい幾何学模様など一つもない。あるのは生存に必要な機能性だけであり、それすらも度重なる増改築によってスパゲッティ・コードのように絡まり合っていた。


「……臭いわね」


 馬車から降りたリシアが、露骨に顔をしかめて鼻をつまむ。彼女の言う通りだ。この街には、石炭の燃える煤煙と、獣の血、そして何より「停滞」の臭いが充満している。気温はマイナス二十度。吐く息は瞬時に白濁し、視界を曇らせる。


「ようこそ、最果ての墓場へ」


 出迎えたのは、歓迎のファンファーレではなく、錆びついた金属のような声だった。防壁の門前に立っていたのは、熊の毛皮を纏った巨漢。顔の半分を覆う古傷が、彼がただの役人ではないことを物語っている。


「辺境伯代理兼、ノルドグラード防衛隊長のボロディンだ。王都からの『特別魔導調査員』というのは、どっちだ?」


 ボロディンの眼光が、私とリシアを交互に舐めるように査定する。その目には明らかな侮蔑の色があった。無理もない。痩せっぽちの眼鏡の少年と、煌びやかなコートを着た貴族の令嬢。どう見ても、ピクニックに来た観光客だ。


「私がアレン・クジョウです。彼女は助手の――」

「リシア・フォン・エルドリッジよ!助手じゃないわ、パートナーよ!」


 リシアが私の言葉を遮って胸を張る。ボロディンは鼻を鳴らし、足元の雪に唾を吐いた。


「子供の遊び場じゃねえんだぞ、ここは。悪いことは言わん、次の補給馬車で帰れ。ここは魔境だ。オムツの取れてねえガキが生き残れる確率はゼロだ」


「確率ゼロ、ですか」


 私は眼鏡のブリッジを中指で押し上げた。数学的に「ゼロ」

という言葉を使うとき、素人はあまりに軽率だ。


「統計によれば、この都市の生存率は前年比で15%低下していますね。その主な要因は、防壁の魔力結界の出力不足と、暖房用魔導具のエネルギーロスによる資源枯渇。……貴方がたの運用は、穴の空いたバケツで水を汲んでいるようなものだ」


 私は防壁を見上げながら淡々と言った。一目見ただけで分かった。防壁に刻まれた防御術式は、三百年以上前の古いアルゴリズムのままだ。経年劣化によるノイズで、魔力伝導率が40%以下まで落ちている。


「あぁ?何だとテメェ……」

「私なら、そのバケツの穴を塞げる。それだけでなく、水量を倍に増やしてみせましょう。……それが、私がここに来た『解』です」


 ボロディンのこめかみに青筋が浮かぶ。場の空気が凍りついた。物理的な寒さ以上に、殺気が肌を刺す。


「……いい度胸だ、坊主。口だけじゃねえことを祈るぜ」


 こうして、私たちは最悪の第一印象と共に、ノルドグラードでの生活をスタートさせた。


          *


 宿舎としてあてがわれたのは、兵舎の隅にある倉庫同然の部屋だった。隙間風が酷く、ベッドは湿気ている。だが、文句を言っている暇はない。私は早速、リシアの「再教育」

に着手した。


「いいか、リシア。君の魔法は『最大化マキシマイズ』ばかりを求めている。だが、重要なのは『最適化オプティマイズ』だ」


 雪の積もる練兵場の隅。他の兵士たちが剣の素振りをしたり、賭け事に興じたりしている横で、私は雪面に数式を書いていた。


「最適化……?」

「そうだ。君は魔力を100使って、100の爆発を起こしているつもりだろう。だが実際は、光や音、無駄な熱として60が失われ、敵に届くのは40だけだ。効率が悪すぎる」


 私は雪玉を手に取り、リシアに見せる。


「君の魔力量は莫大だ。それは認める。だが、それはダムの水のようなものだ。決壊させれば周りを水浸しにするだけだが、水路ロジックを通してタービンを回せば、都市を動かす電力になる」


「うーん……つまり、もっと賢く使えってこと?」

「平たく言えばそうだ。……やってみよう。目標、前方30メートルのカカシ」


 リシアが杖を構える。いつものように大きく息を吸い込み、叫ぼうとするのを私は制した。


「詠唱禁止だ」

「えっ!?でも、それじゃイメージが……」

「イメージに頼るな。計算しろ。座標(30,0,1.5)。風速5メートル、右から左。重力加速度9.8。……放物線パラボラを描くんじゃない。直線をイメージしろ」


 私は彼女の背中に手を当て、微弱な魔力でガイドラインを送る。彼女の体内にある膨大な魔力炉。そのバルブを、私が外部から調整する感覚。


「熱量を一点に集中。拡散しようとするベクトルを、すべて進行方向へ束ねろ。――微分係数を、無限大に」


「くっ……重い……!頭が割れそう……!」


 リシアの額に脂汗が滲む。これまでの彼女にとって、魔法とは感情の解放だった。だが、私が求めているのは感情の抑制と、理性の支配だ。それは彼女にとって、呼吸を止めて走るような苦痛だろう。


「耐えろ。君ならできる。君のその『爆裂』の才能は、制御されてこそ輝く」


 私の言葉に、リシアが歯を食いしばる。杖の先に、以前のような歪な火の玉ではなく、赤黒く圧縮された小さな球体が生まれる。周囲の雪が、熱波ではなく、純粋なエネルギーの余波で蒸発していく。


「今だ、解き放て!」


「――『穿て(シュート)』!」


 リシアの短い言葉と共に、赤黒い光線が走った。音速を超えた衝撃波が遅れて届く。ドォン!!30メートル先のカカシは、燃えることもなく、上半身が消し飛んでいた。その背後の防壁にまで、深いクレーターが刻まれている。


「はぁ……はぁ……嘘……これ、あたしがやったの……?」


 リシアが自身の杖を見つめて呆然とする。消費魔力は、いつもの十分の一。威力は、三倍。これが、最適化の力だ。


「悪くない。だが、収束率がまだ甘い。偏差バリアンスを減らせば、もっと射程は伸びる」

「あんたねぇ……!少しは褒めなさいよ!」


 リシアが抗議の声を上げた時、背後から拍手が聞こえた。振り返ると、ボロディン隊長が立っていた。その顔から、嘲笑の色は消えていた。


「……驚いたな。あの『爆裂令嬢』が、あんな精密射撃をするとは」

「効率を上げただけです。……何か用ですか?」


 ボロディンは私を睨みつけるように見下ろし、低い声で言った。


「警報だ。……スタンピード(魔物暴走)の兆候が出た」


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