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異世界転生した学者は解析学で世界を救う。  作者: もしものべりすと


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第4章 境界値問題としての雪原

 王都を出て馬車に揺られること二週間。景色は劇的に変化した。青々とした草原は消え、視界を埋め尽くすのは白一色の雪原。そして、空を覆う重苦しい鉛色の雲。


 寒い。物理的に、気温がマイナス15度を下回っている。


「うぅ……寒すぎる……凍る……」

リシアが毛皮のコートに包まりながら震えている。「熱力学の法則に従えば、熱は高いところから低いところへ移動する。君が体温を奪われているのは、君の熱エネルギーがエントロピー増大の法則に従って大気中に拡散しているからだ」


「うるさい!解説してないで暖めてよ!」

「やれやれ」


 私は空中に指を走らせる。空間内の分子運動を操作。馬車内部という閉空間(コンパクト集合)における平均運動エネルギーを上昇させる。いわゆる「暖房」

魔法だ。


 ふわ、と空気が緩む。「あ、あったかーい……。やっぱり便利ね、あんたの魔法」

「便利屋じゃないんだけどな」


 その時だった。御者が鋭い声を上げた。


「お客様!前方、魔物です!スノーウルフの群れです!」


 馬車が急停車する。窓から外を覗くと、白い雪の中に、無数の赤い目が光っていた。スノーウルフ。集団で狩りを行う、極寒の地の捕食者。数は……約30。


「多いわね……!」

リシアが杖を構えて飛び出す。私も続く。「アレン、どうする?あたしの広範囲爆撃で吹き飛ばす?」

「いや、待て。配置が妙だ」


 私は眼鏡の位置を直し、群れの動きを観察スキャンする。彼らはただ襲ってきているのではない。何かから「逃げている」

ような動きだ。その証拠に、彼らは私たちを威嚇しながらも、怯えたように背後を気にしている。


「……来るぞ、もっと大きいのが」


 私の警告と同時だった。スノーウルフの群れを割って、巨大な影が飛び出してきた。


 全長5メートルはある白い巨体。フロスト・ベアだ。だが、普通ではない。その半身が、黒く「欠けて」

いた。


 傷ではない。まるで、空間ごと切り取られたかのように、右肩と右腕が存在しない。断面からは血も出ておらず、ただ黒い霧のようなものが揺らめいている。


「な、なによあれ……!?」

リシアが悲鳴を上げる。「解析開始……」


 私は即座に思考を切り替える。あの黒い霧。魔力の波形が読み取れない。ゼロ?いや、虚数か?通常の物理法則が適用されない領域。


 ベアが咆哮を上げ、残った左腕を振り上げる。その爪が空を裂くと、衝撃波が発生し、スノーウルフ数匹が肉塊に変わった。そして、その凶刃は私たちへと向かう。


「リシア、防御だ!通常の障壁じゃ防げない!」

「えっ、でも!」

「僕の計算に合わせろ!君の魔力総量パワーと、僕の術式ロジックを直列に繋ぐ!」


 私はリシアの背に手を当てる。彼女の膨大な、しかし未整理な魔力が流れ込んでくる。熱い。火傷しそうなほどのエネルギー。


 これを制御する。微分方程式を解くように。暴れ馬の手綱を引くように。


「定義する!我を中心とする半径3メートルの球体内部は、外部からのあらゆる物理干渉を受けない!」

――絶対防御、イプシロン・バリア。


 数式が光の帯となって私たちの周囲を展開する。直後、ベアの巨大な爪が結界に激突した。


 ガギィィィン!!


 金属音のような高音が響き渡る。結界が軋む。私の脳内に、強烈な負荷(計算量)がかかる。重い。単なる物理衝撃じゃない。あの「黒い霧」

が、結界の術式を侵食ハッキングしようとしている。定義を書き換えようとしているのだ。「ここに壁など存在しない」

と。


「させない……!」


 私は歯を食いしばる。論理戦なら負けない。相手が矛盾パラドックスを突きつけてくるなら、こちらはそれを上回る公理系で封殺するだけだ。


「リシア、出力最大!押し返すぞ!」

「わかった!いっけぇぇぇぇ!」


 リシアの絶叫と共に、結界が眩い光を放つ。反作用。ベクトル反転。


 ドォォォォン!!


 ベアの巨体が、自らの攻撃の威力を倍加して跳ね返され、雪原を転がった。起き上がろうとするが、ダメージは深いようだ。


「今だ!トドメを!」

リシアが追撃しようとする。


「待て!深追いするな!」

私は彼女を止めた。ベアは、憎悪に満ちた目でこちらを一度睨みつけると、黒い霧を纏いながら、雪の彼方へ消えていった。いや、消えたのではない。空間に溶けたのだ。


「……逃げた?」

「ああ。今の僕たちじゃ、あれを完全に倒す計算式アルゴリズムが組めない」


 私は荒い息を吐きながら、眼鏡を外して汗を拭った。手が震えている。魔力枯渇(ガス欠)寸前だ。


「あれが……北の脅威か」


 スノーウルフたちは、ベアが去ったのを確認すると、私たちを襲うこともなく散り散りに逃げていった。


「アレン、大丈夫?」

リシアが心配そうに覗き込んでくる。「問題ない。ただ、仮説が確信に変わっただけだ」


「仮説?」


「この世界は、計算ミスをしている。そしてそのエラーが、具現化し始めている」


 あの黒い霧。あれは「特異点」

そのものだ。世界のことわりが破綻している場所。


 辺境都市ノルドグラード。そこにはきっと、私が解くべき「難問」

が待っている。私は震える手で杖(ただの木の枝だが)を握り直した。恐怖よりも、知的好奇心が勝っていた。


「行こう、リシア。講義の時間だ」


 雪原に、私たちの馬車の轍だけが、黒い線を引くように続いていた。


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