第2章 感覚派の教室と、孤独な証明
月日は流れ、私は15歳になった。王立魔法アカデミー。国内の魔導師志望者が集う最高学府であり、私の新たな「研究室」
になるはずの場所だ。
はずだったのだが。
「そこ!アレン君!また数式などという落書きをしているのかね!」
教室に、中年男性の怒鳴り声が響いた。初等魔法学を担当するガストン教授だ。豊かな口髭を蓄え、常にワインのような匂いを漂わせている彼は、典型的な「感覚派」
の魔導師だった。
「落書きではありません、教授。これは黒板に書かれた『ファイア・ランス』の術式における、指向性の補正項です」
私は手元の羊皮紙から顔を上げ、冷静に反論した。
「補正項?なんだそれは。魔法とは魂の叫びだ!イメージの爆発だ!君のように理屈をこねくり回していては、偉大な魔法など扱えんぞ!」
教室中からクスクスという失笑が漏れる。同級生たちの視線は冷たい。「また『計算オタク』が何か言ってるよ」
「詠唱もできない落ちこぼれのくせに」
という囁きが聞こえてくる。
このアカデミーに入学して三ヶ月。私の評価は最底辺だった。理由は単純。私が「詠唱」
をしないからだ。この世界では、古来より伝わる韻を踏んだ詠唱こそが正義であり、伝統であり、美徳とされていた。無詠唱で魔法を行使することは可能だが、それは「野蛮」
で「情緒がない」
と見なされる。あるいは、私のように「魔力が少なすぎて詠唱する価値もない」
と誤解されるかだ。
「教授」
私は立ち上がった。これ以上、非効率な講義を聞き続けるのは時間の無駄だ。
「黒板の術式を見てください。魔力循環のパスが3箇所で交差しています。これでは干渉が起きて、出力の20%が熱として逃げてしまう。もし、この円形の回路を双曲線構造に変えれば――」
「黙りたまえ!」
ガストン教授は顔を真っ赤にして教鞭を机に叩きつけた。「伝統ある術式への冒涜だ!そんなに自説が正しいと言うなら、証明してみせたまえ!今すぐここで、私より優れた『ファイア・ランス』を放てるか?」
教室がざわめく。ガストン教授は腐っても王立アカデミーの教師だ。その実力は中級魔導師の上位にあたる。対する私は、入学試験の実技でギリギリ合格点をもらっただけの「劣等生」
。
「……わかりました」
私はため息交じりに席を立った。証明を求められたなら、応じるのが学者の性だ。
演習場へと移動する。的となるのは、魔法耐性のあるミスリル合金製の甲冑だ。まずはガストン教授の番である。
「見るがいい、これが『本物』の魔法だ!――赤き槍よ、穿て!」
朗々たる詠唱と共に、彼の杖から真紅の炎の槍が放たれた。ドォォォン!爆音と共に甲冑が吹き飛び、胸部に大きな焦げ跡が残る。生徒たちから「おおーっ」
という歓声が上がる。
「ふん、どうだ。この威力、この美しさ!君の計算式とやらで、これが再現できるかね?」
教授は勝ち誇った顔で私を見下ろした。私は静かに前に進み出る。杖は持っていない。素手だ。
「杖もなしか。舐められたものだな」
「杖は、ただの増幅器です。信号が純粋なら、増幅する必要はない」
私は甲冑の前に立つ。距離は20メートル。
脳内の黒板に、ガストン教授の術式を展開する。無駄が多い。ノイズだらけだ。微分する。接線を引く。極限をとる。最適化。
私が必要とするのは、爆発的な破壊力ではない。「貫通」
という一点に特化した物理現象だ。炎を槍の形にする必要すらない。空気を圧縮し、断熱圧縮による超高温のプラズマジェットを生成。それを磁場ではなく、空間の曲率操作によって細く、長く、鋭く固定する。
イメージするのは、針。無限に細く、無限に近い密度を持つ、一点。
「――イプシロン・デルタ(厳密なる定義)。収束」
小さく呟き、人差し指を突き出す。
音はしなかった。光も見えなかったかもしれない。ただ、空間に一瞬だけ「線」
が走った。
キンッ。
甲冑が揺れることもなく、その場に立ち尽くしている。「……なんだ?失敗か?」
「何も起きなかったぞ?」
「やっぱりハッタリかよ」
嘲笑が広がる中、私は黙って回れ右をし、出口へと歩き出した。「待ちたまえ!逃げるのかね!」
教授が背後で叫ぶ。
「証明終了(Q.E.D.)。結果は、確認してください」
私の言葉が終わるか終わらないかのうちに、カキン、と音がした。ミスリル合金の甲冑。その胸の中心に、針の穴ほどの小さな孔が開いていた。そして次の瞬間。甲冑の後ろにあった演習場の分厚い石壁にも、同じ位置に孔が開いており、そこから太陽光が漏れているのを、誰かが見つけた。
「貫通……してる?」
誰かの震える声。焦げ跡などない。衝撃もない。ただ、物質の結合を無視して、その座標にあった物質が消滅したかのような、あまりにも静かな破壊。
教授が口をパクパクさせているのを背中で感じながら、私は思った。やはり、この世界の魔法教育は間違っている。こんな初歩的な一点集中(ディラックのデルタ関数)すら、誰も理解していないのだから。




