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ロブスター号航海記  作者: 旗尾 鉄
最終章 懐かしい世界へ、新しい世界へ
71/72

18-3

 僕たちは、まずシルビア船長と副船長のエインさんに、僕ら二人の決意を話した。


 二人とも真剣に聞いてくれたけど、あんまり驚いた様子はなかった。


「そりゃあね。ユート君はあんな思いつめた表情で魔導転移機について質問してきましたからねえ。ああ、そういうことかと薄々は察していました」


 エインさんは、にこやかにそう言った。

 どうやら、僕の態度でおおよその見当がついていたらしい。

 知識の宝庫とでもいうべきエルフの魔術師は、僕とジーナの手を、順々にしっかりと握った。


「将来どうなるかはわかりません。知らない世界で、ジーナは苦労するでしょう。それを支えるユート君も同じでしょう。ですが少なくとも、いまこの段階で、君たちは考えうる最良の選択をしたと思いますよ」


 シルビア船長は、じっとジーナを見つめた。


「ジーナ。君が予想している以上に、ユートの世界は難しい時代だ。本当にいいのだね?」

「はい。決めました」

「ならば、何も言うまい。二人で、未来に向かって歩きなさい」


 船長は一度言葉を切ってから、再び話した。


「君と出会ったのは、予定外の補給で立ち寄った港町だった。初めて会って、身の上を聞いたあのときから、私は、君を守りたいと思った。数多あまたある戦争の悲劇の一つに過ぎないと思おうとしたが、できなかった。感情に流されまいと決めていたが、それを敢えて破って君を船に迎えた。もし自分に妹か、それとも娘がいたら、こんなふうだったかもしれない、ジーナ、私は君のことをそう思っていた」


 つねに冷静な船長の思いがけない心の内を知って、僕は胸が熱くなる。ジーナのことを、船長はそれほど大切に思っていたのだ。

 ジーナは目に涙を浮かべながら微笑んだ。僕が見た中で、最高の笑顔だった。


「船長。あなたの背中に向かって、心の中で『お母さん』と呼びかけたことが、何度もありました」


 二人は無言のまま、固く抱きしめあった。






 荷物をまとめるのに、たいした時間はかからない。

 別れの時は、あっという間にやってくる。


 僕と一緒にジーナも転移することは、船長から全員に正式に伝えられていた。

 ジーナが行くならアタイも一緒に行くとクァラさんは言い張ったけど、転移するとただの虎になってしまうかもしれないとエインさんにさとされて、しぶしぶ引き下がった。


 旅立ちの日は、よく晴れている。

 全員が甲板に集合した。最後に、僕とジーナの離船式をしてもらうことになったのだ。船を降りることになった乗組員には、必ず行うのだという。


 僕とジーナは、甲板のほぼ中央に並んで立っている。

 僕たちの真正面に、シルビア船長が立つ。船長の後ろには、ロブスター号の仲間全員が、横一列に整列している。


「離船式って何回かやったけどさ、今回はちょっとスゲー、しんみり感あるんだよな。オレ、泣くかも」


 ビイロフさんが、ぼそりとそう呟いた。

 船長が話しはじめる。


「ユート、ジーナ。いよいよ、君たちとの別れの時が来た。今度の航海はこれまでで最も厳しい探検行だったが、二人とも、陰日向なく、船と仲間のために尽力してくれた。船長として、心から感謝する」


 この世界に来てからの出来事が、走馬灯のように脳裏によみがえる。ゴブリンから救われたこと、屍食鬼の島、戦争、海竜、まだまだ数えきれない思い出がある。

 船長の言葉が続く。


「別世界への転移という特殊な理由で、君たちは船を降りることとなった。だが、忘れないでほしい。たとえこの船を降りようと、別世界にいようと、君たち二人は我々のかけがえのない仲間であるということを。苦しい時は思い出してほしい。我々は、決して仲間を見捨てたりはしない。……それでは、今このときをもって、ユート、及びジーナ両名の、ロブスター号におけるすべての責務を解く。両名への感謝と、永遠に変わらぬ友情を誓い、総員、敬礼!」


 全員が一斉に、僕たちに向かって敬礼した。

 もちろん、僕とジーナも敬礼を返す。

 ビイロフさんは宣言通り、顔をくしゃくしゃにして泣いている。

 そして僕も、涙でぼやける視界をどうすることもできなかった。






 僕たちは全員、ボートに分乗して上陸した。

 陸に上がると、海上とは雰囲気が違っていた。船の上で感じられた風はほとんどない。亜熱帯のような、むっとする不快感だ。空気が淀んでいる感じがする。

 ここ数日間の観察で、夜は非常に危険だとわかっている。昼も何があるかわからない以上、上陸時間はなるべく短くしなければならない。



 デバルトさんが中心となって転移機を設置している間、僕とジーナは船長に呼ばれた。


「これを持っていきなさい」


 船長はジーナの手のひらに、小さな木箱を載せた。そして、蓋を開けてみせる。

 中身は、金色に輝くブローチだった。バラの花をデザインした、美しい工芸品だ。


「以前、話したことがあるだろう。私の家系は、ちょうどユートの時代ごろに端を発した旧い家柄だと。これは、その初代のご先祖様から伝わっているという品でね。いわれの真偽は定かではないが、代々、わが家の女性に受け継がれている。純金製だし年代物だから、売れば当面の生活費になるはずだ」


「そんな大事なもの、いただけません」


「そう言わずに。現在の所有者である私自身が、君に持っていてもらいたいのだ。それともう一つ、これも持っていきなさい」


 船長がジーナに手渡したのは、クレジットカードくらいの大きさの金属製カードだった。数字と、英語で何か文字が彫られている。シルビア・ビクトリウスという船長のフルネームだけは読み取れた。


「それは私のIDカードだ。あくまでもカードは予備で、本体は出生時に皮下に埋め込まれているから心配ない。これはちょっとした思いつきというか、実験でね。世界自体が整合性を取ろうとして変性が起きることは知っているだろう。生物についてはわかってきたが、物体についての法則性はよくわかっていない。どうも「所有」や「持ち主の正当性」という概念が働いているらしい。もしかすると、それが君の身の証になるかもしれないと期待している。まったく無意味かもしれないが、そのときは私の思い出とでも思ってくれ」


 準備できたぞ、とデバルトさんが呼んでいる。

 船長は二つの品を押しつけるようにジーナに渡す。ジーナは深々と一礼して、それらをバックパックに丁寧にしまった。






 日はすでに中天を過ぎて、少し傾きかけている。

 陽光を浴びて煌めくエルメット石の野原の一角に、魔導転移機は設置されていた。


「心の準備はいいですか? よければ、二人とも台の上へ」


 魔法杖を持ち、準備を整えたエインさんが言う。


「ジーナ。いい?」

「……ええ」


 僕は先に立って、転移機に上がった。

 ジーナも続く。

 けれど彼女は転移機の前でつと立ち止まり、海のほうを見やった。視線の先には日の光を反射して輝く波の中、ロブスター号が佇んでいる。


「さようなら、ロブスター号。さようなら、わたしの生まれた世界。わたしはこれから、新しい道を歩むわ」


 小さくそう呟くのが聞こえた。

 ジーナはこちらへと振り向くと、意を決したように転移機に上がり、僕の隣に立った。


 エインさんの、呪文の詠唱がはじまった。

 船長が、もう一度敬礼している。ベイツさんが祈ってくれている。他のみんなが、手を振ってくれている。

 ぼんやりと、転移機が白い光を帯びてくる。


 僕は二度と、この世界へ来ることはないだろう。

 けれど、この世界のこと、この人たちのことを死ぬまで忘れはしないだろう。

 僕に大切なことを教えてくれた、忘れえぬ世界、忘れえぬ人たち。


 白い光は、どんどん上へと上がってくる。やがて僕たち二人は、その光に完全に包まれた。

 何も見えない白一色の世界に、エインさんの詠唱だけが耳に響き続けている。


 ジーナが、僕の手を強く握りしめた。

 僕はそれに応えるため、彼女の肩をしっかりと抱き寄せる。


 そしてその次の瞬間、僕は意識を失った。

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