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ロブスター号航海記  作者: 旗尾 鉄
第十七章 最後の難関
68/72

17-8

 トンネル崩落の衝撃はすさまじかった。


 テレビで土砂崩れやトンネル事故のニュースは何度も見たけど、映像とその場にいるのとは大ちがい、比べ物にならない。

 鼓膜が破れそうな大音響とともに、海竜を閉じ込めたままトンネルが崩れた。


 崩落時のエネルギーが、風と波の形となってロブスター号に迫った。

 まず、土ぼこりを大量に含んだ茶色とも灰色とも見える突風が吹きつけた。たとえるなら、それは爆風だ。爆発じゃないから正確には爆風とは呼ばないんだろうけど、そう表現するのがいちばん近い。アクション映画の爆発シーンで、人や自動車が吹っ飛ばされる、あれだ。

 ワンテンポ遅れて、大波がやってきた。凶暴化した海水の塊が、ロブスター号の船腹を真横から殴りつける。風にあおられ、波に叩かれて、船はものすごい横揺れを起こし、ドリフト走行するかのように海上を横滑りした。どんな舵取りの名手でも、これじゃ、なすすべがない。


 僕は操帆を手伝おうとして、クリムデール砲の砲座から立ち上がろうとしたちょうどそのときに揺れに襲われた。不安定な姿勢だったから当然のように転倒して、甲板に膝を打ちつけた。

 けれど膝の痛みなんて、その直後の出来事に比べれば取るに足りないことだったのだ。


 僕のすぐ隣にいたジーナが、揺れのせいで大きくバランスを崩した。

 あぶない、そう思ったときにはもう、ジーナの両足は甲板から離れ、彼女の体は宙に浮いていた。彼女を空中に置き去りにしたまま、船は押し流されつつある。

「……ユート……」

 ジーナは小さく僕の名を呼んだ。

 驚いたように目を見開き、腕を僕のほうへと伸ばした。僕の眼前で繰り広げられる、そんな悪夢のような一挙手一投足が、僕にはスローモーションのようにゆっくりして見えた。

「ジーナ!」

 僕は叫んで、そしてジーナに向かって跳んだ。

 僕へと伸ばされた手を、絶対に掴まないといけない。

 それ以外のことは、何も考えられなかった。


 不思議な浮遊感の中、空中で僕はジーナの手を掴んだ。

 握りしめた手を、ジーナが握り返してくれる。最悪な状況だというのに、僕の何より大切な人は、嬉しそうに目を潤ませていた。美しい宝石のような大粒の涙が、風に吹かれて空に舞う。

 この人の手を、もう離さない。たとえどんなことがあろうと、世界が違おうとも、この先ずっと、決して離さない。僕は固く心に誓った。


 その次の瞬間、僕たち二人は手を繋ぎ合ったまま、海に落ちた。






 うねる波の下、僕らはバタ足で海面へと上っていく。泡立つ水中は視界が悪いけど、明るいほうへ、日の光のほうへと足を蹴る。パニックに陥らず冷静でいられたのは、たぶんジーナと一緒だったからだ。僕は尻から落ちたらしく、かなり痛かったけどケガはしていない。


 最後の水の膜を破り、僕たちは海上に顔を出した。

「ありがとう。ユートならきっと、助けに来てくれるって信じてた」

「一緒に落ちただけで助けることまではできなかったけどね。ジーナを放っておくことなんてできなかったんだ。これからも、ずっと」

 波はおさまりつつあり、さっきほど高くない。周囲を見回す。ロブスター号は横波に押し流されて、百メートルも離れたところにいた。全員が船べりに立って、こちらを見ている。


「ユート、あれ」

 ジーナに言われて、僕は彼女の指さす方向に目を移した。そして、信じたくないものを見た。

 トンネルがあった場所、崩れて岩塊が積み上がった、その岩塊が揺れている。内側で、なにかが動いているのだ。そんなことができるのは、一人、いや、一頭しかいない。

 揺れはしだいに大きくなる。岩塊の山の、上のほうの岩がいくつか海へと転がり落ちた。重なる岩の隙間から、青いウロコに覆われた腕が突き出てきた。腕が、あたりの岩塊を手当たりしだいに払いのける。岩の下の隙間から、海竜の頭がずるりと抜け出してきた。

 これだけの岩に押しつぶされても、海竜はまだ、生きていたのだ。


 岩の重さをものともせず、海竜が這い出してきた。

 全身が傷だらけで、大量に血を流している。海が赤く染まっていく。

 動作は鈍く、海竜が瀕死の状態であることは、すぐに判った。でもその両眼は、憎悪に満ちて僕たち二人を睨みつけている。瀕死だけど、敵対心は失っていない。


 僕は、背中に斜め掛けしていたクロスボウを構えた。矢はセットされたままだ。安全装置を外し、いつでも撃てる状態にする。逃げることは考えなかった。というより、逃げるなんて不可能だ。この海で逃げる場所なんてない。ジーナは、僕が守る。

 けれど、撃てなかった。普通に撃っても、弾かれるだけなのは実証済みだ。矢は一本しかない。


「下顎の奥、喉にウロコの生えていない部位があります。そこを狙いなさい!」


 エインさんの声が響いた。

 けれど海竜は、僕たちを正面から見据えている。弱点を晒すような隙は見せてくれない。


「私が援護する。チャンスは一度だ。君ならできる!」


 今度はシルビア船長だった。

 弓弦の音がした。

 シルビア船長が長弓から放った矢は空に弧を描き、海竜の頭部へと迫る。海竜は矢の来る方向へと首を向け、頭を振って角で弾き飛ばした。

 首をねじったその動作で、僕のいる位置からは海竜の喉の部分が露わになった。青い全身の中、一点だけ、白っぽい皮膚が露出している。

 僕はためらいなく、引き金を引いた。


 喉元に矢が突き刺さる。海竜は恐ろしい断末魔の叫び声をあげる。

 海竜の眼から、ぎらつく光が消えた。首からも腕からも力が抜けていき、崩れ落ちる。

 巨体をゆったりと波間に浮かべて、今度こそ、海域の王者は動かなくなった。

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