第6話 人形に変化していくよ
「花蓮ちゃ〜ん。ただいまぁ」
1階から、母親が声を上げる。
「は〜い!おかえりなさ〜い!」
2階の自室にいる花蓮も声を張り上げると、後ろを振り返ってベッドの上に座るスタインを見る。
「両親が帰ってきたから、ちょっと下に顔を出してくるね!スタインはここで待っててくれる?」
「一緒に行くよ」
「えっ、だめだよ。…親がいない間に男の人を連れ込んだって知ったら、2人とも激怒するよ」
「そりゃそうだ。だから、人形に変化していくよ」
「それなら大丈夫だけど…でも、なんで?すぐ戻ってくるよ?」
不思議そうにスタインを見ると、スタインはニコッと花蓮に笑いかける。
「可愛い花蓮を育てたご両親は、どんな方かなって、気になるだけだよ」
「うぅ…」
「じゃあ、いいよね?よろしく」
「う…うん…て、あっ、やっぱり、ちょっと待っ…!」
ボンッ!
スタインはいなくなりベッドの上には、昨日ピアノ部屋で見たのと同じ、フェルトの人形が仰向けに転がっている。
「あぁ〜〜…」
花蓮は人形を見下ろしながら、肩をガクッと落とす。
「これ、戻すとき…あれじゃない、キスしなきゃいけないやつ…。あ〜…なんかハメられた気分…」
人形をジトーっと見下ろす花蓮。
「動かなくても見えてるし、聞こえてるのよね?スタイン?」
人形になったスタインは、花蓮の言葉反応するわけもなく、花蓮は、はぁ、と溜め息をつき、人形をジーンズの後ろポケットに入れて1階へとおりていく。
「お母さん、お昼ご飯も美味しかったよ。用意してくれてありが…と…」
リビングのドアを開けた花蓮は、リビングの部屋中に広げられた服や歯ブラシ、楽譜などの様々な物に驚いて、その場で立ち止まる。
「あら、花蓮ちゃん、ごめんなさいね、ちょっと今準備で忙しくって〜」
母親は、箱に入ったレトルト食品を、何個か揃えて大きいスーツケースに入れている。
「おぉ、花蓮、すまないな、足の踏み場がないか?大丈夫か?こんな状態で笑いが、ちょっとこっちに来て椅子に座りなさい。話さなければいけないことがあってな」
大きいスーツケースの前に座り、修理道具の確認をしていた父親が花蓮を手招きする。
花蓮は物と物の間を爪先立ちでぬって歩き、リビングの長テーブルの前に行くと椅子に座る。
すると、父親と母親も作業の手を止め、あい向かいの椅子を引いて座った。
「時間がないので結論から言うが、実は私とお母さんは、仕事の関係でしばらく海外に行かなければならなくなった」
「えっ…?海外…?」
「そうだ。花蓮を連れて行くことも考えたが、もう学生ではないし、仕事もあるだろう。それに、涼太くんとの演奏会も近いしな。それで、お母さんとも話したんだが、私達に同行するよりも、ここに残って1人で暮らす方がいいだろうという考えに至ってな、決定事項で申し訳ないが当分は私達とは離れて過ごすことになる。話すのが遅くなってすまないね」
「え…うん、いいけど…いつまで行ってるの?」
「おおよそ1年くらいだとは思うが、それより長くなるかも分からない。連絡は常に取れるようにするから、もし困ったことがあればすぐ連絡しなさい」
「1年かぁ…分かった。それで、いつ行くの?」
部屋中に散らばった物を見回したあと、花蓮は父親と母親を見る。
「2人とも、今日の夕方に発つことになった」
「——えっ、夕方…!?夕方って言った!?今聞かされた話なのに、あと数時間後には行っちゃうの!?色々な手続きとか…どうするの!?」
「すまない。有名な演奏家が今夜日本を発つんだが、それにリペアマンである私も同行する必要があってな。書類上の手続きは、私の弟子に頼んでいる。花蓮は気にせずいつも通り過ごせばいい」
「…そう…ならいいけど…」
忙しいとはいえ、今まで実家で親と暮らしていた花蓮は、急に1人残されることになり心細くなる。ジーンズの後ろのポケットに手を伸ばすと、スタインの人形を取り出し、テーブルの下で両手でギュッと握る。
「ごめんなさいね、花蓮ちゃん。本当はもっと先の話だったんだけれど、急に変更になっちゃったの。あっ、やだわ、あなた、パッキングを早く進めないと、時間がないわ」
父親と母親は椅子から立ち上がり、スーツケースにどんどん物を詰めていくのを、花蓮はただ静かに見つめていた。
ピンポーン
家のインターフォンが鳴る。
父親がリビングのドアを開けると、来客に親しげに話しかけている。
「花蓮、来なさい」
リビングに顔を出した父親に呼ばれ、花蓮は椅子から立ち上がり玄関へと向かうと、そこには隣の家の涼太が立っていた。
父親は涼太の肩に手を当てながら、にこやかな顔で花蓮を見る。
「花蓮、私とお母さんが不在の間、もし急に困ったことがあれば、西くんに頼りなさい。西くんなら幼い頃から知っているから、私達も安心だ。西くんのご両親にも、私達の事情は話してある」
父親は、涼太の方へ顔を向けると、すまないね、よろしくね、などと言い、あとは2人で話しなさいと、リビングへ早々に戻ってしまった。
玄関ホールから、リビングの中で忙しなく動き回る父親と母親の後ろ姿を見つめる花蓮。
「…花蓮、大丈夫か?親父さん達、急に海外に行くことが決まったらしいな。親父さんも言ってたが、何かあれば俺に連絡していいから。なんでも協力するから、遠慮しないで気軽に連絡しろよ」
リビングの中を見つめていた花蓮は、ゆっくりと涼太へと視線をうつす。
「心配してくれてありがとう。でも、大丈夫だよ。ほんと、皆んな心配症だよね、私が今幾つだと思ってるの?今日からこの家で、1人伸び伸び生活するの、楽しみにしてるんだからね」
ふふん、と涼太の前で笑ってみせた花蓮だが、スタインの人形を胸元でギュッと握る。
「強がんなよ。本当は初めて1人になるんで、不安なんだろ。そうじゃなきゃ、いい歳してそんな人形持たないだろ」
スタインの人形を指さす涼太。少し引いてる顔だ。
「別に持ってたっていいでしょ。じゃ、私もやらなきゃいけないことあるから、またね」
涼太の前から立ち去ろうとする花蓮。
「あ、おい、ちょっと待てよ」
涼太に手を掴まれ、スタインの人形を床に落としてしまった。
「あっ、スタ…人形っ…!」
涼太の手をほどくと、慌ててしゃがみスタインの人形拾う花蓮。
「大丈夫かな、痛くなかったかな…怪我とかしてない…?あ、ここにゴミがついちゃった…」
スタインの人形を拾った後、心配そうに頭や体を優しく撫でる花蓮。
「…おい、花蓮、どうした…なんていうか、…本当に大丈夫か?」
人形に話しかける花蓮を見て、心配そうな、不安そうな顔をする涼太。
「え?別に大丈夫だよ」
(スタインに怪我ないかなぁ…?)
心配のあまり、2階の自室に戻ってスタインを元に戻そうと考えた花蓮は、じゃ!と涼太の顔も見ずに小走りで去り階段を上っていく。
「あ、花蓮!ちょ…」
すると、ほどなくして2階の部屋からバタンと扉が閉まる音が聞こえた。
「今日の夜ご飯、一緒に食べようって誘うつもりだったんだけどなー…」
涼太は頭をかくと、小さく溜息をつく。
「まぁ、また後で来ればいいか」




