第4話 キスして戻して
パチッと目を開ける花蓮は、部屋の窓のカーテンから漏れる朝の光で目が覚める。
ゆっくりと上半身を起き上がらせると、枕の横に視線をやる。そこには、昨晩ピアノ部屋で拾ったフェルトの人形が置いてあった。
花蓮はフェルトの人形を手に取ると、マジマジと見つめる。
「朝になっちゃったけど、この人形がまだここにあるってことは、夢じゃなかったってことだよね…でも、スタインはいない…」
まるでお伽話のように、一晩たてばスタインがまた現れるのではと期待した花蓮。
部屋にいるのは自分1人で、花蓮は溜息をつく。
「この人形を置いておけばスタインが現れるかな?なんて、ちょっと思ったのになぁ…。昨日私が見たあれは、やっぱり幻だったのかなぁ…?」
フェルトの人形の金髪の頭を撫でた後、ベッドに優しく置き、花蓮はベッドからおりて両手を上にあげて伸びをする。
「んーーー…はぁ〜…さて、着替えますか」
ベッドに背を向けて、上のパジャマのボタンを外していく。
パジャマのボタンを全て外した所で、部屋のドアがノックされた。
「おはよう、花蓮ちゃん。起きてるかしら?」
母親の声だ。
「おはよ〜。起きてるよ〜」
「あらっ、珍しいわねえ〜どうしたの」
休みの日は大抵のんびり起きてくる花蓮が、朝早くに起きていることに驚いたようで、ドア越しでも母親が口をあんぐりと丸く開けているのが、声から想像つく。
「え〜…別に…ただ、今日は早く目が覚めちゃっただけ」
口ではそう言うが、本当は、昨日の夜のスタインのことが気になって、朝早くに目が覚めてしまったのだ。
「お母さんこそ、どうしたの?」
「あっ、そうそう。実はね、これからお父さんと少し外出するのだけれど、いいかしら。お昼は過ぎちゃうと思うの。だから、お昼ご飯は作っておいたから、適当に温めて食べてね」
「は〜い!ありがと〜!」
「朝早くに出て、花蓮ちゃんを1人にしてしまって、ごめんなさいね。なるべく早くに戻るようにするわね」
「別にいいよ〜!ゆっくりしてきて〜!」
「ありがとう、花蓮ちゃん」
母親が、階段を下りていく音を聞きながら、パジャマの全てのボタンを外し終える。
花蓮の父親と母親は、2人とも仕事が忙しく、父母子の3人が家でゆっくり一緒に過ごせる日は、なかなかない。そんな父と母だが、年甲斐もなく今もラブラブで、時間さえあれば2人で一緒に外出している。
最近は父親が特に忙しかったため、今日も久しぶりなはずだ。
「私も、結婚したらお父さんとお母さんみたいになりたいな〜っ」
花蓮はベッドの方にくるりと振り返り、笑顔でフェルトの人形を両手で掴むと、パジャマのボタンが外れ前が開いた状態で自分の胸に押し当てる。
「私は、将来どんな人と結婚できるかな〜?」
クスッと笑いフェルトの人形を胸から離すと、花蓮は両手それぞれの人差し指と親指で、フェルトの人形の手をつまみ、そのまま一緒にワルツのようなリズムでダンスをする。
「好きな人ができたら、ドレスを着てこうやって手を握って一緒に踊っちゃったり…なんてっ、そんな漫画みたいなことは実際起きないけど、想像するだけでも楽しくなっちゃう」
花蓮は段々と恥ずかしくなり、フェルトの人形を頬に押し付けると、ふう〜と大きく息を吐く。
「…だめだめっ、そんな妄想ばっかり。…そうよ、…まずは現実見なきゃ…」
頬からフェルトの人形を離すと、フェルトの人形の頰を指で押す。
着替えを進めるため、フェルトの人形をベッドに置こうと一歩足を前に出す、と、下にあった何か固いものに足が当たり、痛みと反射でよろける花蓮。
「いっ…た!きゃっ」
よろけてベッドに倒れ込む花蓮。
手に持っていたフェルトの人形は、ギュッと強く握りしめられた状態で花蓮の顔の下に。
「あぶなかっ…あ、やだ、寝る前に塗ったリップが人形についちゃっ——」
人形の顔を手でスリスリとなぞっていたその瞬間、カッと激しい閃光でまた目の前が真っ白になる。
「きゃっ!!」
花蓮は顔を両手で覆い、身を縮こませる。
「ふーーーー」
深く息を吐く音が聞こえ、花蓮は恐る恐る顔を覆っていた手を下げると、スタインが片膝を立てた状態で座り、こちらを見ていた。
「……あれ?…スタイン…?」
「あぶねー。戻れないかと思った。花蓮、グッジョブ」
「え、グッ…グッジョブ…??なにが…?」
「なにがって、花蓮が俺を人形から戻してくれたんだよ。あの人形は俺だったんだよ」
「えっ!?あの人形が!?え…!?」
「いや、察しろよ…俺がいなくなって人形が落ちてたら、俺が変化したんかな、とか思うじゃん?」
「えっ…いやいや、だって、スタインはピアノの王子様なんでしょ??ピアノの王子が、なんで人形に変化するのよ…。私はてっきりピアノに戻ったのかと…」
花蓮はじっとスタインを見つめていると、急にスタインが立ち上がり花蓮に近づいてきた。
「…な、なに…!?」
スタインの行動に警戒した花蓮は、眉間に皺をよせてスタインを見上げる。
「——前」
「…え?」
スタインは花蓮の上のパジャマの前部分、左右を掴むと、ギュッと胸の前で交差させる。
「さっきから下着と胸が丸見え」
「あっ…」
目の前に顔を近づけてくるスタインに、花蓮は下着と胸を見られて恥ずかしいやら、綺麗な顔にドキドキするやらで、顔がどんどん熱くなっていくのが自分でも分かった。
「やっ…やだ!気付いたなら、もっと早くに、最初に言ってよ…っ!」
花蓮はくるりと回り、スタインに背を向けて上のパジャマのボタンをする。
「またボタンするの?さっき、着替えようとしてたじゃん」
「そうなんだけど…って、なんで着替えようとしてたの知ってるの?」
花蓮は、顔だけスタインの方へと振り向かせる。
「見てたもん」
「…へ…?」
「俺、人形に変わってても、動けないのと話せないだけで、普通に見えたり聞こえたりはするんだよね」
「えっ……?じゃ…じゃあ、私が人形と一緒に踊ったりしてるの…」
「人形目線で見えてた」
「さっいあく!」
花蓮は顔を歪ませ、スタインから一歩離れる。
「仕方ないだろ。俺だって、見ようとしてたわけじゃないんだよ。…ただ、俺の人形を愛おしそうに撫でたりギュッて抱きしめたりするから…」
言いながら、スタインは恥ずかしそうに顔を背ける。
「そっ、そうなんだけど、でもっ、スタイン本人だって知らなかったんだから、仕方ないじゃな…」
言いかけた花蓮は、横を向くスタインの耳が真っ赤になっていることに気付く。
「ふふっ」
思わぬスタインの可愛らしい部分を知って、花蓮は可笑しくなってしまう。
「…なんだよ」
「ううん、別に」
クスクス笑う花蓮を、照れた顔で見るスタイン。
「とりあえず、俺は後ろ向いてるから着替えろよ」
スタインは花蓮から離れると、背中を向けて床にあぐらを描いて座る。
花蓮とスタインは、1mほど距離をあけて互いに背を向ける。
花蓮はいそいそとパジャマを脱ぎ出すと、スタインは花蓮を見ずに話しかけてきた。
「一応言っておくんだけど」
「ん?」
「昨日みたいな、俺が姿を隠さなきゃいけない場面になったとき、こっちの世界ではさっきみたいな人形に変化することになるんだよね」
「ピアノに変身〜!とかじゃなくて?」
「そう。ピアノに姿が変えられるとかじゃないんだよね。だから、もしまた俺が人形になってたら」
「なってたら?」
「さっきみたく、またキスして戻して」
「うん、分かった、さっきと同じでキ……え…えっ!?」
花蓮は服を着替え途中にも関わらず、思わず勢いよくスタインの方を振り返る。
「えっ、キ…!?…私さっきしてないよっ——!」
「してたよ。したから俺戻れたんだし」
「あれは…!転んだ拍子のアクシデントでっ…!」
花蓮はスタインの背中に話しかけていたが、恥ずかしくなり前を向き、パジャマの下を脱いで長いパンツを履く。
「着替え終わったから、もうこっち見てもいいよ」
花蓮がスタインの背中に向かって声をかけると、スタインがゆっくりと振り向く。
「おぉ、似合うね、その服」
「えっ、そう…?友達には、シンプル過ぎってよく言われるんだけど…」
白色のタートルネックに、ジーンズのみの服を着た花蓮は、恥ずかしそうに自分の体に視線をやる。
スタインはすくっと立つと花蓮に近寄り、花蓮の肩までつかないミディアムヘアの髪にサラッと触れる。
「雰囲気がすごい合ってると思う。髪型も花蓮に似合ってるし」
「え…あ…ありがとう…」
じっとこちらを見つめるスタイン。あまりの整った顔に、心臓がドキドキと止まらなくなる。
スタインは口元にほんの少し笑みを浮かべ、優しい瞳で花蓮の頬に触れる。




