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恋愛小説シリーズ

王子婚約者選挙『コンヤクラーベ』 の行方 ~図書館勤務の平民女性ですが王子の婚約者に立候補します~

作者: 青帯


「クロエと申します。こ、このたび『コンヤクラーベ』に立候補致しました。よ、よろしくお願い致します」


 私はドレスのすそを持ち上げながら言った。


(き、緊張するわ)


 当然だと思う。

 壇上だんじょうの私には、百人近い視線が集まっているんだもの。

 しかも席から私を見ているのは王家の重臣の方たちばかりだし。


「カナン王家後継者の婚約者を選ぶ伝統の婚約者選挙『コンヤクラーベ』に、まさか平民が応募してくるとはな。ふん」


 最前列の中年男が小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。


(やっぱり場違いだわ。でも法律上は、カナン国民の未婚女性であれば誰でも参加できることになっているのよね? 立候補資金もちゃんと払ったし、私だってミカエル王子の婚約者候補────)


 そう思いながら恐る恐る観客席を見回した。

 このオペラハウスを借り切った『コンヤクラーベ』の審査会場には、投票権を持つ王家の重臣たちが審査員として来場している。


「あのクロエという女、経歴書には王立図書館勤務の司書補佐と書いてあるな。要するに正式な司書ですらないただの雑用係だろう」


所詮しょせんはは平民か。よく立候補資金を用立ようだてられたものだな」


「しかも年齢は24歳? ミカエル王子より4つも上か」


見目みめが美しいわけでもないし。むしろ地味な根暗にしか見えん」


「本当にミカエル王子の婚約者になれると思っているのか。わはは」


 観客席から嘲笑ちょうしょうが耳に痛い。

 私は居たたまれない気持ちになってドレスの裾をぎゅっと握った。


(ああ、惨めだわ。だけど私が『コンヤクラーベ』に参加したのは、ミカエル王子自身に頼まれたからなのよ)


 本来なら平民の、しかも孤児の私が、カナン王家の第一王子ミカエル殿下と接点などあるはずがない。


 だけど奇跡が起こった────。


◇◇◇


 私は物心つく前に両親が亡くなり孤児院で育てられた。

 院長は平民にしては珍しく字が読める人で、本の読み聞かせをしてくれた。

 私は院長が読んでくれる物語に夢中になった。

 そして自分でも本を読みたくなり、院長にせがんで字の読み方を教えてもらった。


 字を読めるようになると、孤児院の本を全て読破した。

 本は高価でとても買うことはできなかったけれど、院長が寄付してもらって本を入手するたびにすぐに読んだ。

 読書をしているときが何よりも楽しかった。


 15歳で孤児院を出ると、真っすぐに王都の王立図書館に向かった。

 無数の本棚にぎっしりと並んだ本を見ると心が躍った。


 そしてここで働かせて欲しいと必死で頼み込んだ。

 司書は読み書きができるならと承諾してくれた。


 図書館で働いているのはほとんどが貴族の学者で、厄介な雑務を押し付けるのに平民はちょうどいいと思ったのかもしれない。


 重い本を運んだり蔵書を管理する仕事を山のように命じられた。

 でも薄給。

 しかも同僚である貴族たちにはほとんど相手にしてもらえない。


 それでも本に関する仕事にはやりがいを感じた。

 そして図書館の本を読めるから幸せだった。

 粗末な集合住宅に帰宅すると借りてきた本を読みふけった。


 だんだんと恋愛の物語にも引き込まれるようになった。

 私は貴族から見れば相手にする価値のない平民。

 同じ平民からすれば読書ばかりしている根暗な女。

 自分なんて生涯恋愛には無縁だろうと思いながらも────。


 図書館でも、仕事の合間にはずっと本を読んでいた。


 20歳になった頃、図書館で読書をしていると自分を見つめている少年がいることに気付いた。


 金色のサラサラの髪と青い綺麗な瞳が魅力的な美少年。

 ただ、どことなく暗い表情をしていた。

 少しためらったあとで、その少年は下級貴族のノアとだと自己紹介をした。


 さらに家で剣術を習っているけれど、なかなか上達しないので辛いと悩みを打ち明けてきた。

 私は読んだことがあった本を持ってきてノアに手渡した。

 気弱な少年が剣士として成長する物語。

 ノアはこの本を読んでみると言って帰って行った。


 しばらく経った日にノアに会うと、はにかみながら近づいてきてこう言った。

 あの本のおかげで少しだけ前向きになれた。

 剣術の稽古も頑張っていると。


 それからノアに会うたびに本の感想を語り合ったり、面白い本を勧めたりするようになった。


 私にとって、ノアと話すことは読書以上の楽しみになっていった。


 そうやって月日が流れていくにつれて、ノアの印象は気弱な少年から魅力的な青年へと変わって行った。

 なんとなく雰囲気にも威厳のようなものが備わってきたように感じた。

 図書館に勤めている貴族たちとは何かが違っていた。


 そして先月────。


 二十歳になったノアに告げられた。


「クロエ。怒らないで聞いて欲しい。ノアというのは実は偽名なんだ。下級貴族でもない」


「えっ」


「僕の本当の名前はミカエル」


「ミカエル様? まさか────」


「そうだよ。僕はカナン王家の第一王子ミカエルだ」


 私は心底驚いていた。


「引かれてしまうと思って名前や身分を偽っていた。すまない」


 実際に恐れ多くなり、私は言葉を失っていた。

 しかもミカエルはさらに信じられないことを言った。


「クロエ。どうか私と婚約して欲しい」


「ご、御冗談を。しがない平民の私と婚約など。それに王子より4歳も年長の行き遅れですし、見た目も地味で、それに根暗で────」


 ミカエルは首を横に振った。


「駄目だよ。そんなふうに、私の好きな人を悪く言わないでくれ」


「好きな人?」


「うん。クロエが素敵な本を勧めて僕を勇気づけてくれたときから、ずっと好きだった」


 ミカエルは少しはにかむと、青い美しい瞳で真っすぐに私を見つめてきた。

 その瞬間、胸の奥でトクンと音が聞えた気がした。


「それに本のことをたくさん語り合っただろう? それが僕にとって一番幸せな時間だったから」


(私と同じことをミカエル様も思っていてくれたの?)


 頬を涙が伝った。

 ミカエルは指先でそっと涙を拭ってくれた。

 私はミカエルの胸の中で泣いた。


「────ですが現実問題として、平民の私がミカエル王子と結婚するなど不可能では」


 私は落ち着いた後で疑問を切り出した。


「そうだね。父にも反対されたよ」


 王の反応は当然だろう。


「だけど僕の婚約者は『コンヤクラーベ』で決定される。20歳になったし、間もなくだよ」


「そういえばそうでしたね」


 王室の後継者に相応しい結婚相手の選定を、王族ではなく重臣たちに委ねる。


「父のときも祖父のときも、立候補者は貴族の令嬢や豪商の娘だけだったらしい。だけど法律上は君にも立候補権はある」


「それでも無理です。そもそも立候補資金が、私にはとても手の届かない金額ですから」


 平民では一生働いても貯められるかどうかという額だ。


「その心配はないよ。これを」


 ミカエルから差し出された袋を受け取った。

 開けてみると、中には金貨が詰まっていた。


「立候補資金にはそれを使って」


「こっ、こんな大金────」


「君と添い遂げられるなら安いものさ」


 金貨の入った袋を返そうとしても、ミカエルは受け取らなかった。


「でっ、でも、私が選ばれるわけが────」


「クロエは誰よりも素敵な女性だから。きっと勝てるさ」


 ミカエルはそう言って微笑んだ。


◇◇◇


(だけど現実は────)


 審査員たちの反応は予想以上に冷ややかだ。

 私は壇上で泣きそうになっていた。


「クロエ殿。ご苦労でした。下がってください」


「あ、はい」


 進行役に促されると救われた気分になった。

 逃げるように壇上の奥へと向かう。


 すると『コンヤクラーベ』立候補者がこちらに歩いてきた。

 私以外で、今回唯一の参加者。


「クス。あわれですこと」


 すれ違いざま、彼女はわらった。

 少しして拍手が巻き起こった。


「リリアナ・スフォルティにございます。皆様、どうぞ宜しくお願い致しますわ」


 リリアナが壇上で優雅に礼をしている。

 公爵家令嬢の19歳。

 容姿に恵まれている上に、私よりずっと煌びやかなドレスを身にまとっている。


(当然の反応だわ)


 より一層惨めになり、裏の通路に逃れるように隠れた。

 一週間後の投票日を待つまでもなく結果は明らかだろう。


「あら。まだいらしたの? とっくに逃げ帰ったものと思ってましたわ」


 審査が終わったらしく、リリアナが通路にやってきた。

 あからさまな侮蔑の視線を向けてくる。


「他の有力貴族の娘たちでさえ公爵令嬢のわたくしが立候補すると知って参加を見合わせたというのに。場違いもはなはだしいのよ! この平民の年増!」


 リリアナが吐き捨てるように言った。


「ミカエル王子に相応しいのはわたくし。あなたなんかが釣り合うはずがないでしょう?」


「────ですけど、私はミカエル王子に好きだと言ってもらって」


「何を寝ぼけているの? そもそも社交界にも参加できないあなたが、ミカエル王子に会えるはずがないじゃない」


「違います! 王立図書館で何年も前から────」


「馬鹿な女ね。そんなの偽物に決まってるでしょう!」


 リリアナの言葉が胸にグサリと刺さる。


(そういえば、あの方は本当に王子だったのかしら)


 渡してもらった立候補資金も貴族にすれば破格というほどではない。

 もしかして、私を晒し物にしてからかうためだけに?

 そんな疑問が頭に渦巻き始めた。


「何をしているんだい? クロエ。それにリリアナ」


 不意に聞こえた声の方を向いた。


「ミカエル王子!?」


 リリアナが声を上げた。


 そう。現れたのはミカエルだった。

 それにリリアナが言ったことから本物の王子であるのは間違いない。

 私は胸を撫で下ろした。


「ミカエル王子こそ何をなさっておられますの? 審査会には、王族は立ち入り禁止のはず────」


「それを言うならリリアナ。他の立候補者への脅迫などあってはならないことだろう」


「きょっ、脅迫だなんて。健闘を称え合っていただけですわ」


 リリアナはそう言いつくろうと、忌々しそうに私を見た。


「一週間後の投票日が楽しみですわね。ごきげんよう。ふん」


 リリアナは足早あしばやに去って行った。


 通路で二人きりになると、ミカエルが心配そうに私を見つめてきた。


「ごめん。リリアナのせいで嫌な思いをしただろう? 彼女は社交界で会ったときも傲慢さが滲み出ていてね。正直僕も苦手なんだ」


「いえ」


 私は内心同意しながら苦笑した。


「それに審査会でも辛い思いをさせてしまったと思う。僕が『コンヤクラーベ』に立候補して欲しいなんて言ったばっかりに」


 確かにあの場は居たたまれなかった。


「本当に済まない。あの審査会はただの飾りで、リリアナ以外の誰にも勝ち目は無かったんだ」


 ミカエルの話によると、投票権を持つ審査員ほぼ全員がリリアナの父スフォルティ公爵に買収されているのだという。

 それも『コンヤクラーベ』が行われる何年も前から。

 リリアナを王室に入れる準備は着々と進んでいたらしい。

 つまりあの審査は完全な出来レースだったということだ。


「審査員たちが嘲笑あざわらっていたのは、それで?」


「うん。根回しが足りなかっただけだよ。君は世界一素敵な女性だから」


 それはない。

 だけどミカエルの目にそう映っているのなら、それだけで幸せだった。


「父は『コンクラーベ』のことでスフォルティ公爵をとがめる気はないらしい。むしろ莫大な財産を持つスフォルティ家が王室に加わることを喜んでいる」


 ミカエルがやるせなさそうに言った。


「クロエ。君は『コンクラーベ』では勝てない。だから、王子の婚約者になることは不可能だ」


 ミカエルの姿が歪んだ。

 私の目には涙が溢れている。


「少しだけ、ミカエル王子と婚約することを夢見ていました。でも諦めます。どうかリリアナ様とお幸せに」


 私は走り去ろうとした。


 だがミカエルに腕を掴んで止められた。


「ミカエル様?」


「クロエ。行かないでくれ」


「でも────」


「僕は王子の婚約者になることは不可能だと言っただけさ」


◇◇◇


 一週間が経過して『コンヤクラーベ』の投票日になった。

 会場の王立コロッセウムには多くの観客が詰めかけていた。


 開票も同日中に行われる。

 王家の重臣たちの投票はだいぶ前に終わって今は開票中だ。


「最後の一票です! リリアナ・スフォルティ!」


 下の会場にいる開票者が投票用紙の内容を読み上げた。


「クロエ、0票。そしてリリアナ・スフォルティ、97票」


(そうなるでしょうね)


 私は観客席から結果発表を見ていた。


「以上を持ちまして、リリアナ令嬢がミカエル王子の婚約者に決定いたしました!」


 観客たちから歓声が上がった。

 多くは貴族たちで、スフォルティ公爵の息が掛かっている者たちだ。


 そして下の会場のリリアナは歓喜している。

 VIP席にいる公爵の父の元に走って抱き着いた。


「さてと。行こうか」


 隣の席のミカエルが立ち上がった。


「ええ」


 私も立ち上がると一緒に出口へと向かった。

 二人とも旅装だ。フードで顔を隠している。

 観客は誰も王子や立候補者とは気付かない。


「王族は投票会場にも入れない決まりだからミカエル王子がいないのは当たり前だけど、立候補者のクロエっていう平民の女がいないのは何故なぜだ?」


「負けることが分かっているから逃げたのだろう」


 出口に向かっていると観客の話声が耳に入ってきた。

 ミカエルが少しムッとした様子を見せたけれど、私は彼の背中を押した。


 コロッセウム、そして王都からも出て街道を歩き始めた。


 しばらくしてから二人ともフードを外した。


「大事件になりますね。『コンヤクラーベ』で婚約者が決まった王子が失踪しっそうだなんて」


「だろうね」


 ミカエルがうなずいた。

 綺麗な金髪がそよ風に揺れている。


「この街道は隣国に続いているんですよね?」


「うん。その国で暮らすための手筈は整えてあるよ」


「ありがとうございます。ミカエル王子」


「もう王子じゃないよ。ミカエルでもない。僕はノアさ」


 『コンヤクラーベ』が出来レースだと分かった時から、ミカエルは私と隣国で暮らすための準備を始めてくれていた。


 王子の身分を捨てて────。

 だから私に王子の婚約者にはなれないと言っていた。


 ミカエル、いや、ノアが足を止めて私を見つめてきた。

 青い瞳に吸い込まれそうになる。


「あらためて────。僕と婚約してくれるかい? クロエ」


「喜んで。ノア」


 どちらともなく手を握った。


(大きくて、温かい手ね)


 そう思っていると、ノアが頬を赤らめて歩き出した。

 手を繋いで街道を歩く。

 それだけで満ち足りた気分になった。


「前に『クロエが素敵な本を勧めて僕を勇気づけてくれたときから好きだった』って言ったことがあったと思うんだけど」


「ええ。覚えているわ。嬉しかったもの」


「実はもっと前からクロエのことが好きだったんだ」


「えっ?」


「クロエが図書館で貴族たちに嫌なことをされて暗い顔になった後でも、図書館で本を運んだり読んだりすると元気になるのを見て、クラっときて」


「もう」


 恥ずかしくなって私はうつむいた。

 そういうこともあったかもしれない。

 ノアに会う前は、本が私の支えだった。


「実は隣の国の図書館で、二人で働けるように段取りをしてあるんだ」


「本当!?」


「うん」


 嬉しい。

 本当に嬉しい。

 またノアと図書館で過ごせる。

 溢れてきた嬉し涙を繋いでいるのとは反対の手でそっと拭った。


「こんなに幸せでいいのかしら。なんだかリリアナのことが少し可哀想になってきたわ。『コンクラーベ』で勝って王子と婚約が成立して、あんなに嬉しそうだったのに」


「彼女はクロエに限らず、立場が下だと思っている人には結構酷いことをしてきたんだ。落ち着いたらそのことも書いた婚約破棄の手紙を送るつもりさ。それで懲りてくれればいいけど」


「だったら読むと元気になれるような本も一緒に送ってあげたいわね」


「うーん。でも婚約破棄された公爵令嬢の物語なんてあるかなあ」


「きっとあるわよ。世界は広いんだもの」


 そう言ってからしばらく無言で歩いているうちに、またあることが心配になった。


「そうだわ。カナン王家の後継者のあなたがいなくなってしまったら」


「大丈夫さ。弟が二人いる。小さい頃から本を読み聞かせてきたから、僕より優秀だよ」


「そうなのね。あっ、でも弟さんたちの婚約者を選ぶときって」


「うん。僕の失踪に懲りたら、『コンクラーベ』なんて馬鹿な制度は廃止してくれるといいんだけどね」


 手を繋いだまま、二人で軽くため息をついて苦笑した。


―― fin ――


時事ネタで思いついた作品を最後まで読んで頂いてありがとうございます!

感想、★、ブクマ、リアクション等いただけますとモチベーションになりますので、よろしければお願い致します。

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