2-4.「名を持つ者がいた場所」
記録支援ユニットの動作が完全に停止した後、ナユタはしばらくその場から動かなかった。
ミナは彼を促さなかった。黙って待ち、再起動信号の波形を確認し、エネルギー供給の完全断を確認した。
やがて、ナユタはカウンターの脇を回り、裏手へと向かった。
そこには、保育施設に似た構造体が接続されていた。外壁の色はほとんど剥落しており、子ども向けの標示やピクトグラムの一部だけが判読可能な状態で残っている。
「第9記録接続ユニットの付属施設。小規模教育拠点だったと推測されます」
ミナの報告に対し、ナユタはうなずきだけで応じた。
中へ入ると、床は砂とガラス片に覆われていた。壁に取りつけられていた記録パネルの多くは割れ、通信端末も朽ちている。
部屋の奥、ひとつのロッカーの中に、ナユタは“それ”を見つけた。
手のひらに収まる程度の、樹脂製のプレート。
裏には粘着シートがついており、おそらく何かに貼られていた名札だった。
白地に淡い緑の帯。表面には、退色しかけた記名がひとつ、手書きで残っていた。
読み取れるのは、音節にして三つ分の仮名。
それは、誰かの名だった。
ナユタは、そのプレートをそっと持ち上げた。
指先にわずかな振動が残る。誰かがこれに触れた、最後の記録のようなものが、表面に染み込んでいる気がした。
「名前だ」
彼は呟いた。
“誰か”に与えられていた識別。
その誰かは今ここにはおらず、名札だけがこの場所に遺されている。
彼は思った。
**「この名前はもう、誰のものでもないのかもしれない」**と。
けれど、遺されたそれを読むことによって、名は再び“呼ばれる”という状態に近づく。
ミナは近づいてきて、ナユタの手元を確認した。
「識別不可能な名前ですね」
「そうだね。でも……」
ナユタはプレートを見つめたまま、静かに続けた。
「ここに名前があったってことだけは、残ってる。それって、けっこう……大事なことじゃないかなって思う」
ミナは、何も返さなかった。
しばらくの沈黙のあと、ナユタは名札をそっと棚に戻した。
それはもう誰のものでもないかもしれないが、ここに残っていたという事実そのものが、彼にとっては初めて他者と出会ったような感覚だった。
廃園の空気は静かだった。
だが、何もなかったわけではなかった。誰かの名が、確かにここには在ったのだ。