12-2.「いない誰かに向けて、いま残す」
輪っかは、軽かった。
空気より少しだけ重く、手のひらに載せると風の流れに逆らうように揺れた。
ナユタは、それを落とさないように両手で包む。
「ここには……誰かがいたんだよね」
問いではなかった。
けれど、それは誰かに答えてほしいような語りだった。
「記録がなければ、それは“なかったこと”になる」
「でも、それっておかしいよね」
「ぼくがこうして見つけたってことは、ほんとはいたってことじゃないの?」
ミナは応答しなかった。
その問いは、記録構造の内側からでは届かない命題だった。
ナユタは輪っかを地面にそっと置いた。
そして、自分のポケットから、小さな紙片を取り出す。
そこには、朝の光の中で彼が思いつきで書いた短い言葉があった。
「“おはよう。あなたがここにいたことを、ぼくは知っています”」
ミナが静かに処理を開始する。
「ナユタ、それは記録対象ですか?」
「ううん。ちがう。
これは……“誰かが読むかもしれない”って思って書いた、メッセージなんだ」
ミナは沈黙した。
それは記録ではなかった。定義も、構文も、照会コードもない。
けれど彼女は、それが“残すための言葉”だと、確かに理解した。
「……これまで、ぼくは“残される側”だった」
ナユタは小さく笑う。
「でも、いまここで初めて、“残す側”になった気がするんだ」
「記録者になる、ということですか?」
「ううん、ちがうよ」
「誰かが、存在したってことを“誰かに託す”人になる、ってこと」
その言葉に、ミナのログ領域が微細に振動した。
記録装置としての機能が、誰かの“痕跡を守る”という行為を他者に委ねたことなど、かつてなかったからだ。
「記録されなかった誰かがいたなら、
ぼくはその人の代わりに、未来の誰かに伝えるよ。
きみのいない未来に、ぼくらはいたって。
あなたがいなかったことは、ぼくがいたことで、ちゃんと残るって」
ナユタの言葉は、空間のどこにも記録されなかった。
だが、ミナの中に、明確な意思として刻まれた。
“存在とは、誰かに託されたとき、初めて“残る”という形を得る”




