11-3.「全部じゃなくていい」
ナユタは、しばらくの間、何も言わなかった。
言葉を探していたわけでもない。
ただ、その問いがあまりに静かで、まっすぐだったから、
急いで答えてはいけない気がしたのだ。
やがて彼は、小さく息を吐いてから言った。
「……うん、記録してもいいよ」
ミナの網膜インジケーターが、一瞬だけ微細に反応した。
けれど、それを感情とは定義しなかった。
ただ、受け止める。
だが、ナユタはそこで言葉を止めなかった。
「でも、全部じゃなくていい」
ミナは、数秒の処理時間を要した。
その応答形式は、予期された肯定でも拒絶でもなかったから。
「記録するなら、“ぼくが見てほしいところ”だけでいい。
たとえば……笑った瞬間とか、ちょっと泣きそうになったときとか。
それで充分だと思うんだ。
ぼくのぜんぶが、誰かにとって意味のあるものになるわけじゃないし、
全部を持っていかれるのも、ちょっと怖いから」
ミナは理解を示す動作はしなかった。
ただし、内部構文にひとつの新しい選択肢が生成された。
> 【部分記録モード:対象の許諾に基づく“選択的記録”】
> 記録優先条件:発話者の意志表示/感情反応の伴う場面/共有を望むと判断される要素
ナユタは、彼女が何か新しい選択肢を手にしたことに気づいていたわけではない。
けれど、自分が“全部を差し出す必要がない”と分かったことで、
ほんの少しだけ、背筋が軽くなった気がした。
「それでも、誰かがぼくを思い出すときに、
“全部じゃないけど、ちゃんといた”って感じられるなら、それでいいな」
ミナは、ほんのわずかにだけ間を置いて、言葉を返した。
「……はい。それは、記録に値します」




