8-3.「知っていたのに、わかっていなかった」
ナユタは、記録AIからの応答を見届けたまま、しばらく沈黙していた。
表示パネルの発光は絶え間なく続いている。
次々と生成される時刻情報、群体番号、座標、行動タグ。
それはまるで、誰かの生きた痕跡を“数字の霧”のなかに閉じ込めていく作業のようだった。
「……こんなにたくさん記録してるのに」
ナユタがつぶやいた。
「なんで、ぼくの問いには、答えられないんだろう」
彼の声には、怒りも困惑もなかった。
ただ、根本的な疑問だけがそこにあった。
「“見てた”んだよね? 何が起きたかも、全部記録してた。
それなのに、“どうだったか”は何もわからないって……どうして?」
ミナは応じなかった。
彼女は今、自らの内部に起きている変化に意識を向けていた。
彼女の記録系は、常に“正確な記述”を重視している。
「○時○分、○○が発話した」「移動開始」「通信終了」――
それらは“起きたこと”としては完全だった。
だが、ナユタが求めているのは**“出来事”ではなく、“意味”だった。**
「ミナ」
ナユタはゆっくりと振り返った。
「記録されてても、“知らない”ことって、あるのかな?」
ミナの演算系が一瞬停止した。
それは初めて出会う形式の命題だった。
彼女のなかで、“記録”という言葉の定義が揺らぎはじめる。
それは、「保存された事象を、等価に知っているとみなす」という前提の崩壊だった。
「……“見る”ことと、“わかる”ことが、違う可能性があります」
その言葉は、彼女が自身の処理結果として導き出したものだった。
「記録は、事実を保存します。けれど、それが“なにであったか”を認識するには、
別の構造――たとえば、“問いかける意志”や“聞こうとする関係”が、必要なのかもしれません」
ナユタは、そっと息を吐いた。
「それって……記録の外の話、なんだね」




