1-2.「未登録体識別エラー」
首を振る動作を受け取った彼女――案内補助ユニット〈ミナ〉は、それ以上の追及を行わなかった。
代わりに、胸元の端末へと視線を移し、短い操作入力を行った。指の動きは必要最小限で、ほとんど音を立てない。
「識別応答なし。登録済データとの照合失敗」
彼女は状況を淡々と読み上げた。
「あなたに割り当てられた識別名は、現存する都市内データベースには確認できません。加えて、復旧記録・廃棄記録ともに一致対象なし。起動日時との照合によっても、接続記録は取得されていません」
それはつまり、この少年――彼――は、都市のどの記録にも存在しない存在であるということだった。
「身体構造は人間型に準拠しています。生体信号は観測範囲内で安定」
ミナは彼の全身を、露骨な動きではないスキャン視線でなぞる。
「しかしながら、情報上の“あなた”は、存在していません。製造記録がなく、割り当てコードも失効状態です」
彼はそれを、理解はできずとも、直感的に“正しい情報”として受け止めていた。
たしかに、自分には自分を呼ぶ名前がない。
記憶の空白ではなく、始めからそこに何もなかったという確信だけがあった。
名前がない。
身元がない。
この都市において、自分は“誰にも接続されていない”。
彼はふたたび視線を落とした。床の素材は劣化した複合樹脂。そこに落ちる自身の影が、妙に薄く感じられた。太陽が出ているのかも判断できなかった。
「現在、あなたの存在は登録外です。法的に言えば、“未認証体”に分類されます」
ミナの言葉はなおも正確だったが、語調にはわずかな緩やかさが加わっていた。
それは、言葉としては機械的でありながら、内容としては“切り離された”という感覚に近かった。
彼は口を開こうとしたが、やはり声は出なかった。
「こちらから、仮識別名を提案してもよろしいでしょうか」
ミナは静かにそう言った。
「記録がない以上、最低限の呼称が必要です。起動認証を完了させるためにも」
彼は、返答の代わりにうなずいた。
その動作は緩慢ではあったが、明確な意志をもってなされたものだった。
自分を指す言葉がひとつでも欲しかった。誰かから“名指される”ことが、いまの彼にとっては、存在をつなぎとめる行為に等しかった。




