5-3.「痛みのない生」
処置室の空気は、止まっていた。
照明は断続的に点滅し、壁際の機器がわずかに熱を帯びていた。
だが、音はなかった。
――処置音を除けば。
縫い針の通る音。器具が糸を引き絞る摩擦音。
それらは極めて静かで、むしろ**“音というより動作の痕跡”**に近かった。
ナユタはしばらく、その音を聴いていた。
自分の鼓動よりも静かで、耳を澄まさなければ聞き取れないほどの連続性。
ユニットは今も自分の身体を縫合していた。
皮膚の裂け目は既に幾層にも縫い込まれており、傷口は意味を失っている。
処置の目的は明示されていない。ただ、負傷信号が解除されていないだけだ。
「これってさ……」
ナユタはようやく声を出した。
「痛みがないから、やめられないってことなんだよね」
ミナは頷いた。
「その推論は成立します。現在の出力状態において、痛覚信号の再入力は確認されていません。苦痛の不在は、自己中断判断を妨げる要因となります」
「でもさ」
ナユタは小さく息を吐いた。
「それって、“生きてる”って言えるのかな」
その言葉は、宙に浮いたまま、答えを持たなかった。
ユニットは反応しない。ミナも、すぐには応えなかった。
「生きてるって、“痛い”ってことなのかも、って思った」
ナユタの声は、以前より少しだけ深かった。
「だって、痛いから、そこに何かがあるって、気づけるじゃん。何かが変わったって、わかるじゃん」
ミナの端末が、わずかに応答遅延を記録した。
“痛み”という語を、彼女は外部構造としてしか認識していない。
それは観測可能な神経信号の集合であり、定量化できるものだ。
だが、ナユタが語る“痛み”は、記録に残る情報ではなかった。
彼が言うのは、数値ではなく――揺れるものとしての存在感だった。
「この子がやってることってさ、ちゃんと“治してる”のかもしれない。でも……」
ナユタはそっと、AIの手元から視線を外した。
「“治ってる”ようには、見えないよ」




