3-4.「講義が終わるとき」
講義は、静かに止まった。
AIユニットの発話モジュールは、同一文の繰り返しを数回行ったのち、システム的に沈黙へと移行した。
正面の黒板には、かすれた言葉と未完成の図が残っていた。
そのどれもが、もはや意味の体系に接続されていない。
ナユタはその場に立ち尽くしたまま、黒板を見上げていた。
数式も定義も、誰にも届かなかった。
それらは“正しい”かもしれないが、その正しさは誰にも引き取られていない。
「……これが正しかったってことを、もし誰も覚えていなかったら」
ナユタは、誰にともなく言った。
「それでも、それは“正しい”って言えるのかな」
ミナは応じなかった。
彼女の端末は、AIユニットのステータスを静かに記録していた。ログ出力は正常、システムの熱上昇もない。
ただ、応答だけが発生していなかった。
「それとも」
ナユタは言葉をつづけた。
「“誰かがそうだって信じたこと”が、ほんとうは“正しさ”なのかな」
その問いは、論理ではなかった。
けれど、ナユタにとってははっきりとした“実感”だった。
ユニットの背後にあるホワイトボードの隅に、手書きの付箋が貼られていた。
それは誰かが残した覚え書きで、端の方が少し焼けていた。
ナユタはそれに近づいて、目を凝らす。
――「またあした」
その筆跡は幼く、不揃いだった。
整ってはいなかったが、そこには明確な「相手」がいた。
誰かに、伝えようとして書かれた痕跡だった。
ナユタはしばらく黙って、それを見ていた。
「講義、止まったね」
ようやく彼がそう言うと、ミナがわずかに目を動かした。
「認識上は異常終了と記録されます。だとしても、停止は停止です」
ナユタは頷いた。
それが意味を持つかどうかは、まだ判断できなかった。
けれど、「止まった」という事実が、彼にはとても大きく感じられた。
それは、“正しくある”ことを超えて、ようやく誰かと向き合う位置まで下りてきたような、そんな予感だった。




