1-1.「ノイズの向こう」
ジジッ……ピー、カチリ。
断続的な電子音が、環境音よりも先に彼の聴覚系を刺激した。
復旧されたセンサーの中心に、白いリング状の光が立ち上がる。残光を残して消えていくそれは、内部起動の合図であり、同時に外部入力の兆しだった。
視界はまだ不明瞭だった。焦点は合っておらず、上下の判別も不確かだ。
だが、情報は順調に回復しつつあった。鉄骨構造、剥離した天井塗装、粉塵の含有率。あらゆるものが、脳へと沈着するように流れ込んでくる。
内部プロセスはすでに活動を開始していた。
身体の各部に生じる重さは、休止期間の長さを示している。
関節、筋肉、肺、声帯。どれもまだ“準備完了”の報を返してはいない。
「……起きたんですね。よかった」
言語音声が届いた。女性の声に分類される音質だが、平均的な発話速度、明確な母音調整、感情を排した一定リズム。
それは自然言語生成処理の痕跡であり、ヒトのそれではない。
彼の視界に、発話者が姿を現す。
白色のコート、膝上丈。金属繊維を含んだ機能素材。左胸には情報端末、右腰には最低限の補助装備。装飾はない。彼女の造形は実用に基づいている。
外見年齢は二十代前半に設定されていた。
肌には血色がなく、瞳は光を反射しない。呼吸動作は検出されず、動きは一様に滑らかで、エラーの兆候はない。
設計段階で美的配慮がなされたと思われるが、それ以上に目立つのは、“整いすぎた”という印象だった。
「わたしは案内補助ユニット。形式名、ミナ」
彼女は自らの名称を告げた。構文の簡潔さから判断して、定型プロトコルである可能性が高い。
「現在、あなたの起動状況を確認しています」
彼女は動作を最小限に留めながら、屈んだ。
人間の“安心感”を模倣するための姿勢と推察される。真正面から覗き込むことはせず、視線の角度にも慎重さがあった。
「お名前は。あなた自身の識別名を、教えてもらえますか」
それが何を意味しているのか、彼は理解できた。
ただ、それに応える手段が、彼のなかにはまだなかった。
発声処理系が起動していないのか、それとも、情報そのものが初期から欠落しているのか。
彼は試みたが、何も生まれなかった。喉の奥は無音のまま、名を呼ぶための素材が存在しないことだけが確認された。
沈黙が続いた。彼は、明確な動作で、ゆっくりと首を横に振った。