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Ⅵ_HelloNewWorld

 そっと目をつむれば、今でもダンジョンに潜っていたころの記憶を思い出す。

□ □ □


 一人で勝手にダンジョンに潜って、何日になるだろう。目の前の土壁はどれだけ続いているか分からない。どこかのサバイバル本で読んだ、<川の近くを歩くと迷子にならない>という記述を信じて、この土壁を川代わりにして進んでいるが、本当にあっているのだろうか。

 既に、家から持ってきた食料や水は底を尽きている。

 こんなことになるなら、小遣いをケチらずにもっと買っておくんだった。どうせ家に帰るつもりもないくせに、後々のことを考えてしまった俺が馬鹿なんだ。


 ——母さんは、俺のことを心配しているだろうか。


 いや、そんなはずはない。

 書き置きと、少しのお金を置いていくだけでどこかに行ってしまう母親が俺のことを心配しているとも思えなかった。

 自分の母親がよその母親と違うことに気が付いたのは、小学三年生のときだ。

 

「お前んチの母ちゃん、なんか派手じゃね?」


 参観日の日。それを言ったのは、学校でも有数のガキ大将だった。運悪く隣の席になってしまった俺は、そいつの対応に数か月まえからずっと苦慮していた記憶がある。

 授業中にも関わらず小声で俺の母親を指さしたそいつは、ツカツカと歩いて来た母親に大目玉を喰らっていた。

 俺も俺の母親もその人から謝られたけど、少なくとも俺の中に怒りの感情はなかった。

 むしろ、新しい世界の扉が開いた気がした。

 

「明日、家行ってもいい?」


 それからの俺は、そうやって人の家に上がり込むことが増えた。鍵っ子だったから、家に帰るのが悲しいというのもあったけれど、その家の母親がどんな人か観察するのが俺のメインテーマだった。

 金持ちの家は、そいつ専用の個室があってたくさんのゲーム機が置いてあった。出てくるお菓子も豪華だった。母親も美人で優しそうな人だった。何度も行って仲良くなってからは、そいつの父親にオープンカーでドライブに連れて行ってもらったこともあった。

 思い出したら、もう一度乗りたくなってきたな。クソ。

 それ以外の家も、どれも同じようなものだった。

 宿題は。

 あまり大声出さないの。

 ちゃんと玄関まで送ってあげなさいよ。

 小言を言っている回数は、金持ちの家より多かったけど、愛情自体は変わらないように思えた。

 友達も冗談交じりにそれを受け取って、自分で直そうと思ったところは直す。それが平均的な家庭なのだと理解した。


「母さん」


 深夜。帰ってきた母さんを玄関で迎え入れれば、驚いた顔こそすれ、夜更かししていることを怒られることはなかった。

 派手な服を着た母さんは、玄関に腰かけて高いヒールのついた靴を脱ごうとしている。その背中に、声をかける。


「お小遣い、あげて欲しい」

「足りない?」

「うん」

「分かった」


 母親の背中には見えなかった。

 目を見ることもなかった。

 こういう時、他の家の母親ならなんと言うだろう。少なくとも、おいそれと小遣いをあげてやることはないはずだ。

 使い方を聞く、何円か聞く、父親と相談して手伝いを交換条件に提示する。

 怒られないことが怖かった。

 成長するにつれて、足りなくなった食費を口にするたびに、その恐怖が蘇る。


「母さん」

「ん」

「ダンジョン、できたらしいね。……知ってる?」

「うん、お客さんも言ってた」


 そのころになると、母さんの言う()()()()が一体どういう存在なのか理解しつつあった。母さんの肌から匂う香りが、酒の匂いであることも。


「俺にも冒険者の適正、あるから経験値貯まるんだって」


 何のために母さんにそんな話をしたのか、今になってもよく分かっていない。でも、それが事実であることに変わりはない。

 中学三年生の春、実施された適性検査。

 冒険者としての適性をはかる検査で、俺は見事冒険者としての適性があると認められた。冒険者としての適性があれば、魔物を倒す以外でも社会的貢献——例えばゴミ拾いだとかの緑化活動、人助け。はたまた社会に寄与する発明をしても、経験値は貯まるらしい。

 ダンジョンが現れてからは、この経験値のシステムによって犯罪は減る一方だった。ここ数年、俺は犯罪らしい犯罪に巻き込まれたことも、メディアなどで見聞きすることもなかった。

 その清廉潔白さゆえに、進学や就職も冒険者適性があればあるほど有利に働く。もはやダンジョン攻略のための経験値システムは社会機能の一部となり、形骸化しているといっても過言ではなかった。

 だから、俺に冒険者適性があったことはこの家にとって嬉しいニュースに他ならなかった。

 母さんに伝えたくて。

 母さんに喜んでほしくて。

 母さんに少しでも、俺に興味を持ってほしくて。

 俺は久しぶりに目を合わせた母さんの前で、ぎこちなく精いっぱいの笑顔を浮かべて言った。


「―—そう」


 たった二文字の言葉に、俺は思わず自分の耳を疑った。

 つんざくような鋭い胸の痛みには気付かないふりをして、既に笑顔ではなくなった笑顔を保つ。

 

「それより、高校受験は。もうすぐだよね、お母さんお金ならいくらでも出すから、いい高校に行って欲しい」

「……」

「一冴、聞いてるの?」


 もう母さんの顔は見れなくなっていた。

 それでも、まだ母さんを失望させたくなくて俯いたまま返事をした。


 そして俺がダンジョンに潜ったのは、高校一年生の春の話だ。母さんの言った通り良い高校に入り、そして消えた。

 今は最終ダンジョン・第7層目。土壁を伝いながら、上へのルートがないか模索している。

 上へあがる方法はいろいろだ。

 階段があることもあるし、先人たちが括り付けたロープを上っていくこともある。小動物みたいな魔物を倒せば、社会貢献とは比にならないくらいの経験値が手に入り、今までの自分だったら考えられないくらいの力が身に宿るのが分かった。

 代わりに少し胸が痛んだが、それも最初のうちの話だった。


「どこまで、……はあっ。続くんだ、この、壁」


 渇きのせいで喉元が腫れ上がって、呼吸をするたびに痛い。

 土壁を持っているほうの手が、細かい粒子に触れ続けているせいか赤みを増している。

 目も、なぜか開きが浅くなっている。


「どうして」


 冒険者としての適性はあるはずなのだ。

 だったら、ダンジョンで死ぬなんてあるはずがないだろう。だって、俺は冒険者でこの物語(じんせい)の主人公なんだから。


「君」


 それはたったの二文字。

 だが俺の耳にははっきりと聞こえた。いつの間にか項垂れていた頭を上げる。上げている途中でそれが魔物である可能性を考えて、土壁に触れたまま家から持ってきた、のこぎりみたいな包丁に手を伸ばした。それは俺が、幼いときに見よう見まねで研いでそのままになっているものだった。


「大丈夫だよ」


 言ったのは目の前の()だった。

 鎖骨より下あたりで切られた黒髪。烏のような冷たさに反して、狸のように垂れた優しそうな眼が印象的な彼女は、いつの間にか俺のほうに手を差し伸べていた。


「こっち」


 呆然とした俺を無理やり引っ張り、彼女はずんずん歩いていく。数日何も口にしていない俺に、抵抗する力は残されていなかった。

 彼女は土壁には目もくれず、砂漠のような荒涼な大地を進んでいく。


「どこっ、どこに……」


 かろうじて出る唾液を飲み込んで、むせるように問えば、いいからと彼女は返答になっていない返事をかえした。

 足元の砂は細かいのに、なぜか足はとられなかった。

 どれくらい歩いただろうか。

 うまく息が吸えずに、何度か窒息しかけた後彼女の肩を借りて歩いていた。

 その間にも彼女の姿を観察し、なんとか情報を得ようとしたが、彼女の装備はどれも見たことがないものばかりで何も分からなかった。唯一分かったのは、彼女が日本人であるということだけだった。

 魔王が居るこの最終ダンジョンでは、時折外国人らしき人影も見られたがお互い言語が通じないだろうことから、接触することはなかった。

 やがて、彼女の足が止まる。


「ここだよ、私の家」


 目の前には目を疑うような光景が広がっていた。

 無限に続くのではないかというような、テントの姿。それが今いる道の左右に、真っすぐ並んでいる。

 彼女の肩によりかかったまま、テントのファスナーを上にあげていく彼女を見守る。中は案外快適なようで、ほのかに暖かかった。


「水は飲めるかな?」

「……」


 声を出そうとして、頷いて返事をするしかなくなっている自分に驚いた。同時に絶望もした。母親への反抗と、新たな冒険を求めてここまでやってきてしまったこと。そんな甘い考えの自分を受け入れてくれるほど、ダンジョンというものは優しくないという事実に。

 やがて視界が天井に向く。彼女の手によって、ベッドに移動させられたことを理解するのに、時間は要らなかった。

 口の中に注がれていく水は、これ以上ないほどに美味(うま)かった。今まで味わったことのない、ほのかに甘い香りの漂う水。その香りが鼻腔に届けば、なぜか熱いものが頬を濡らした。


「そ、そんなにおいしかった? ……この水、ただの水なんだけどな」


 若干引き気味の彼女。目に映るのはそれが全てだった。どこが光源なのか、夕暮れのようなテントの中。優し気な瞳と、おちゃめに笑う彼女の姿。

 そして自分の中を流れていく水を、彼女が与えてくれたのだと思えば、俺はすべてを彼女に吐露していた。

 母親のこと。冒険者適性を認められたときのこと。どんな気持ちで俺がここまでやってきたのか。ダンジョンで会った怖い魔物や不思議な植物。持ってきた缶詰や水がなくなって絶望した数日前。それでも諦めずに歩いたこと。

 自分のことを分かって欲しくて。

 自分のことを認めて欲しくて。

 自分のことを愛してくれる人を探して。

 全部を彼女に話していた。

 その間、彼女は優しい表情のまま俺の話を聞いてくれた。ときおり俺がむせかえれば、背中をさすって水を飲ませてくれた。

 

 そうして話終わるころには、<夜>が訪れていた。ダンジョンの中には、当然太陽も月もない。しかし夜明けも夕焼けもあった。暗くなれば魔物の動きは活発になり、凶暴になる。だから夜になれば行動をやめ、安全と思われる場所でなんとか夜を明かすのが冒険者の鉄則だ。


「食べる物がないから、買い物に行こっか」


 だからそう言った彼女には心底驚いた。

 驚いている間にも、彼女はテントの入り口のファスナーに手をかけている。


「夜なのに、それにどこに買い物に……?」

「ここなら大丈夫なの。兄さんが魔法で結界を張ってる。買い物は近くに市場があるの。もう平気なら一緒に行く?」


 二つ返事で行く、と答える。

 彼女の兄という存在にも、市場にも興味がわいた。何よりここを拠点とするならば、地理に詳しくなっておかねばならない。

 俺はおぼつかない足を動かしながら、彼女の後ろについていった。


 外に出ると、無数にあったテントのどれも明かりがついているのか、淡い光が漏れ出ていた。

 彼女は迷わず、真っすぐに敷かれた道を歩く。それはタイルや石が敷かれたような舗装された道ではなかったが、登山道のようにパッと見れば道と分かるような道だった。

 その先。円形に広がる土地に足を踏み入れた途端、雰囲気が変わるのが分かった。先ほどまで見ていた淡い光ではない。

 煌々と光るライトが、その土地を丸く囲み辺りを照らしている。ステンドグラス風のそれは、ガス灯のようなお洒落なデザインで、ここだけ異世界を切り取ってきたみたいだ。


「すごい……」


 感嘆の声。思わず漏らしたそれに気づいたのは、俺ではなく彼女の方だった。


「そうでしょう。これ全部、お兄ちゃんがやったの」


 兄という存在が本当に誇らしいらしく、彼女の目が輝く。


「君——」


 言葉につまる。

 君、なんて言ったのは久しぶりだった。そういえば彼女の名前を聞いていなかったことを思い出す。


「名前なんだっけ?」

「私? レディに先に名前を聞くなんて失礼じゃない?」


 急にそんなことを言われて面食らった。こちらは一介の高校生なのだ。そんなこと、知らなくて当然だろう。

 そういえば、彼女はいくつくらいなんだろう。無意識に同じくらいだと思っていたが、独り暮らしをしているようだし、もしかしたらずっと年上かも知れない。

 そんな俺の思案を知ってか知らずか、彼女はいたずらっぽく微笑む。


「嘘うそ。名前なんて減るものじゃないし。名前は天傘由芽(あまがさゆめ)、年齢は多分君よりちょっぴり年上かな?」

「俺は一冴、呼び方はなんでもいい。お礼が遅れてごめん。本当に助かった、死ぬかと思ったから」

「よろしくね、一冴。ようこそ! 私たちの、新しい世界へ」


 瞬間、ライトが彼女を照らす。

 その光景が、今も瞼の裏に焼き付いて離れない。

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