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5_かわいい女の子に迫られて、断れるやつだけが俺に石を投げろ

「あたし、椛花林(いろはかりん)はセンパイのお嫁さんになりに来ました!」


 そのセリフは、俺の脳髄まで届き反響を繰り返す。

 嫁、お嫁さんってなんだっけ? え、結婚して欲しいってこと、誰と? 俺か。俺だよな。え。


「どうですかあ。センパイ、あたしみたいな可愛い子、お嫁さんにしたくないですか?」


 ツインテールについた髪留めが揺れる。こちらも、抜け目なく黒いフリル。直射日光を一身に受けそうな恰好で日傘を差している様は、俺としては理解に苦しむが、それがファッションというやつなのだろう。

 ちなみに透けるほど真っ白な肌には、汗は一筋もない。


「あの~、俺。君のこと何も知らないんだけど」

「それは、恋人になってから。いいえ、婚約者になってからたっぷり教えてあげます。……あんなこともこんなことも」


 彼女――椛は頬を染めながら、俺の耳元でささやく。

 いや、距離近ッ!

 吐息すらも聞こえてきそうな距離。ともすれば、椛の体に触れてしまいそうだった。痴漢と間違われないように、後ろ手に扉に手をつけば、今度は鼻と鼻が触れそうなほど距離を縮められる。


「あんなことって?」

「そんなこと女の子に言わせるなんて、センパイ、良い趣味してますね」


 嘲るようなほほ笑みを浮かべる椛は、余裕たっぷりという感じで、俺の首筋に手をすべりこませる。

 こうも暑いというのに、椛の手は氷のように冷たかった。

 思わず体をビクつかせると、椛は再び笑みを浮かべ、頬を染める。


「どういうことだと思います?」

「その……」


 口の端が、痙攣するようにヒクついた。

 半眼のまま、目に浮かべているのは嘲弄か塵芥(じんかい)か。どちらにせよ、こちらを馬鹿にして楽しんでいるのは火を見るよりも明らかだ。


「センパイって思った通りピュアですね」


 それは後輩――胸元についたバッチから一年生だと分かる――から先輩に送る言葉にしては、あまりにもこちらを馬鹿にしすぎている発言だ。


「な」

「だって、一年生の後輩にこんなにいじめられて。それでも声一つあげずにいるなんて、センパイもしかしなくても、変態(ドM)さんですか?」


 俺の首筋に滑り込んでいた椛の手が動く。 

 ぷつっ。と音を立てて。

 俺の制服の中が、椛によって詳らかにされていく。ぷつり、ぷつり。小さなボタンは、華奢な女の子でもすぐに、開くことができる。

 邪魔が入らなければの話だが。


「やめろ」


 第三ボタンまで開かれたとき、俺は声を上げた。

 大声とはいかないが、男にしか出せない低さと怒気のこもった声。

 椛の白く、華奢な細い手首に触れる。肉よりも、筋と骨の感触を覚える。心配事が脳裏を通過していくが、今はそれよりも俺の貞操の方が大事だ。


「何が楽しいか分からんが、やめてくれ」


 掴んだ手首を放せば、だらりと垂れる。


「センパイ」

「ん?」


 ぐわり。視界が動く。それは天と地がひっくり返るほどの衝撃だった。人間は天地無用だがそんなことも忘れて、俺の体は上と下が分からなくなるほど乱れて、やがて終着する。

 それは、最悪の停車駅。


「ここであたしが悲鳴をあげたらどうなると思います?」


 最悪の提案。

 最悪の位置。

 椛花林の()に、俺の体はあった。

 黒髪は錦糸のように流れ、太陽の光を反射して、椛の周りを飾り立てる。手に触れるフリルの感触がくすぐったい。

 わずかな肉の感触が、俺の鼓動を加速させ、温かみを感じさせる。


「センパイは、みんなの英雄じゃなくなっちゃいますね」


 それは俺が望んだ普通とは似て非なるもの。

 英雄でなくなる代わりに、犯罪者になるなんてごめんだ。

 クスクスと笑う漆黒の少女は悪魔の手先か、本体か。間違いなく、天使でないことは確かな彼女は、ある一点を指さした。


「ねえ、センパイ。なんか見られてる気がしません?」

「は?」

 

 最悪の一言に肝を冷やす。

 椛が指さした方向に目をやれば、光を反射して()()()が物陰から現れた。

 そこは給水タンクの下。ちょうど壁とタンクの狭間にそれはあった。きっと俺がくる前に仕掛けておいたのだろう。

 録画モードを示す赤色のランプが小さく光っていた。


「ここだけ切り取って、ネットにあげたらどうです? 英雄(センパイ)闇堕ちした英雄(クズ)ってさんざんネットで叩かれちゃいますよね」


 グイッと俺の手首を自分の方に寄せて、そして。

 ふにゃり。触れたのは、目の前の彼女――椛花林の胸。


「女の子のおっぱい触っちゃって、いけないんだ~」


 自分が上だと確信した笑顔。

 余裕のある笑みに、嘲りが映る瞳に。俺は言い放った。


「ちっさ……」

「え」


 柔らかさなど微塵もない。俺の胸筋よりも小さいんじゃないかと思うくらいの、小ささ。ほのかな膨らみすらも感じられないその胸は、もはや胸と形容してもいいのか怪しいくらいの大きさだ。

 目の前の椛はごにょごにょと、口の中で何かを呟いたかと思えば、沸騰したかのように下から上に向かって顔面が赤くなっていく。

 さすがに女の子を目の前にして、胸の大きさに言及するのはまずかったか。しかし自分から触らせてきたら、大きさに自信があるのかなとか思うじゃないか。


「……くせに」

「へ?」

「触ったこともないくせに!」


 バチンっ。弾けた音は、青空に吸収されて消えていく。

 けれど俺の頬の痛みは消えず、きっと頬には真っ赤な手形がついているだろう。やっぱりお怒りだったか。

 けれどそれを言うならこっちだって。


「触ったことくらいあるわ!」

「嘘ばっかり。センパイは陰キャで、童貞で、友達作りすらまともに出来ない、ドマゾじゃないですか!」


 涙ぐみながら、とんでもないことを言い出す後輩に、俺は思わず面くらいつつも反撃の手は緩めない。


「ど、童貞とかいうな! と、友達上手く作れないのはホントかもしれないけど。一人はいるし、それで満足してるし」

「女友達のことなんて、友達っていわないんです! 男女の友情は偽物って知らないんですか?」

「ば! ばっか言うな。俺たちの友情は本物なんだよ! 第一初対面のお前に、言われる筋合いはない!」

「朝陽先輩との友情が本物なら、あたしと付き合ってくれてもいいじゃないですか! 二人は恋人にならない予定なんですよね?」

「それは、そうだが」


 歯切れが悪くなる。


「こんなに可愛い美少女が付き合ってくれってお願いしてくることなんか、これから一生ありませんよ」

「でも、付き合うとか。好きになるとかは」

「じゃあセンパイ。好きな人でもいるんですか」

「……」


 痛いところをつかれる。

 思わず沈黙が流れる。

 この暑さだ。額にぷつぷつと汗が生まれ、やがてそれは力を失い、重力に従う。落ちた汗が椛の額に落ち、黒髪が文字通り濡羽になっていく。否応なしに前髪が額に引っ付いて、頬も紅潮しているのが見て取れた。

 足首まで届くスラックスの中は、教室にいるときよりも熱気を帯びている。そのうちの一つ、左足が椛の細い脚の間に、挟まれるように存在している。改造スカートにつけられた黒いフリルとスラックスの布地がこすれていく。

 視線を下に移すと、汗のせいで白いブラウスがすけて、黒いブラが見えていた。正直に言えばエロい。


「センパイ。あたしのこと好きになる見込み薄いですか?」


 はっとして、椛を見る。

 涙ぐむ椛の目と俺の視線が重なる。

 初対面なのに、気持ち悪いストーカーのはずなのに。体の距離は近い。英雄とはいえ、一介の高校生。

 触れた椛の熱を忘れられるはずがなかった。

 だけど、俺の脳裏にいるのは――。


 努めてニコリと笑う。

 振られた彼女が傷つかないように。

 椛の崩れた前髪を手ですくって整える。

 せっかくの可愛い顔が、俺の汗のせいで台無しだ。


「ごめん」


 たったの三文字で、椛の気持ちを裏切っていいはずがない。だって、俺は人類を救った英雄だから。

 椛の期待を、椛の中にある偶像を打ちこわすのは、あまりにも残酷だろう。


「君は、可愛いと思う。自分でいうのはどうかと思うけど、確かに天才的な美少女だ。髪だってつやつやで綺麗だし、服もかわいい」

「せ、センパイ?」


 彼女の上に乗った、いわゆる床ドンの姿勢のままで言葉を紡ぐ。

 椛の顔が赤い。

 俺の行動が、自分の想定の範疇に収まっていないからだろう。自分で俺の行動を操作することで生み出していた余裕をぐちゃぐちゃに壊されたゆえの、動揺。

 それは俺の腕を必死に握る椛の手に、しっかりと現れていた。まるで動物の子どもが母親にしがみつくようで、微笑ましい。


「確かに、君みたいな美少女に告白される機会なんてこの先ないかもしれない。でも――」


 なんと言えばいいか分からなかった。

 俺の中にいる彼女。

 大切な存在を、どう言い表せば椛に伝わるのか、分からずに唸る。


「ごめん。君の気持ちに応えられない」


 沈黙。

 それは普通の高校生と引き換えに、手に入れたもの。椛の告白に、そのままイエスと言っていれば、頷いていれば、思い描く理想像に近付くことはできるだろう。

 だがそれはプライドが許さない。本気で恋して、本気で好きになって、そういう人ができて。そうすれば、多分。

 目の前の彼女は、目の中に涙を溜めながらもこちらを見る瞳だけは揺るがなかった。


「まずは第一ラウンド失敗ってところですかね」


 そう言って笑う彼女は、素直に綺麗だと思った。本来ならば汗一つかかないだろう彼女の、その姿を。


「第一ラウンドかよ」

「そ~です」


「そ、雪嶺くん。ちゃ、チャイムなってる……よ?」


 え。は。

 開いたのは当然、階下へとつながる扉。

 そしてそこには、朝陽がいて。

 俺たちが今、どんな体勢でいるのかを思い出す。

 俺が椛を押し倒す格好。汗だくの椛と第三ボタンまで開けて、胸元の晒された俺。その二人が、学校の屋上で脚を絡めている。

 朝陽の位置からだと、椛が仕掛けたREC中のカメラも見えたかもしれない。

 しかも互いの頬は、暑さと恥ずかしさで上気していて……。

 あれ、これ。もしかしなくても?


「……お楽しみのところ、ごめんなんだけど」

「いや、楽しんでねえから!」

「あたしは別にどっちでもいいですよ?」

「勘違いされるようなことを言うんじゃない、シャラップ!」

「あたしのこと、そんな風に扱うんですね。……まるで犬みたいに♡」

「雪嶺くん、そういう趣味だったんだ」

「違う! 断固として違う!」


 ここまできて、せっかくできた友人を失ってなるものか。


「これは、あれだ。単なるスキンシップだよ!」


 静寂。静か。シーン。蚊が飛ぶ音すら聞き取れるだろう音のなさ。

 あ。やっちまったか。

 俺がそう気付く前に、椛が口を開いた。


「あたしのおっぱい触っておいて、よくそんなこと言えましたね」


 とんでもない爆弾を落とすために。


「それはお前が触らせてきたんだろ!」

「よろこんでたくせに」

「ちっさいって言ったけどな!?」


 向かい合ったまま言いあう。

 小さいのは、もともと体も小さくて、脂肪もないから仕方がないだの。

 センパイが魅力的すぎて仕方がないだの。

 ともかく、そんなことを並べ立てる椛の言い分に、俺は意地でも勘違いされまいと反論を並べたてる。

 そうしていれば、いつの間にか朝陽の存在が頭から抜けていて。


「触ったの?」


 そう言われるまで、すっかり椛と向かい合ったまま。つまりは脚も、腕も、絡めたままだった。

 今まで聞いたことのない朝陽の声のトーンにビクビクしながら、俺は振り返る。


「触ったの?」

「さわ、りました」

「小さいっていったの?」


 いつもの、ひまわりのような笑顔はそこになく。

 阿修羅像に見紛う怒りの表情がそこにあった。


「言いました」

「ねえ、なんでいつまでそうしてるの?」


 言われて、椛の上から飛びのく。

 そして朝陽の目の前へと座った。この際、床の汚れなどは気にしていられない。


「女の子にひどいことしちゃダメでしょ」

「すみませんでした――!」


 汗だくの土下座謝罪。響く声は、グラウンドや図書室で授業を行っているクラスには届いたはずだ。

 それに必死になっていたからだろう。


「なんで私じゃないの?」という朝陽の言葉を聞き逃したのは。

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