7.
「まずは、改めて謝罪いたします」
テーブルに向かい合って腰掛けると、ライアスは真面目な顔でそう言った。
濃い茶の瞳がじっと私を見つめる。
「お護りできず、襲撃を許し、申し訳ありませんでした」
「やめてください」
ほっておくと膝をつきそうな勢いだ。
「ですが、私が貴方を置いて先に帰宅したのは事実」
深刻な顔で視線を落とす。
「貴方は、息も絶え絶えに、仰ったではありませんか。——置いて行くなんて、ひどいと」
まって。耳が少し赤くなってない?
まあ、気にしないでおこう。
私はコホン、と一つ控えめに咳払いをする。
「ひどいです、と言ってしまったのは・・・あれは、半ば朦朧としておりましたもの」
確かにちょっと責めたい気持ちはある。
でもそれじゃ何の解決にもならない。
「私がお会いしたいと言ったのは、そんな話をするためではありません」
改まって言うとちゃんと視線を合わせてくれた。
ぐっと身構えられる。
「結婚してから今日まで、貴方に言った事を謝りたいのです」
瞳が見開かれた。
「今更、都合の良いことをとお思いですよね」
ここは誠心誠意謝るしかない。私がしたことじゃないけど。——いや、私か?
私は胸に手を当てて、軽く頭を下げた。
「顔を合わせるたびに、ひどいことを言いました。ごめんなさい。言った言葉は取り消せませんが。二度とあんなことは言わないと誓います」
「一体・・・どうしたのですか。突然、そんな」
「エイダンを産んで、生死の境を彷徨って・・・考えが変わったのです」
そういうことにしておこう。
私にもこの状況はよくわからないもん。
「私は、いい母になりたい。エイダンのために」
ここは重要なところ。
真っ直ぐにライアスの目を見つめた。
「あなたには、父親になっていただきたいのです。——そのためには、エイダンの親として、共に努力していきたいと思っているのです」
ライアスは呆気に取られたような顔をしていた。
衝撃、思いもよらなかった、そんな感じだ。
「私が・・嫌ではないのですか」
嫌も何も、嫌うほどの関わりが今の所ない。私としては。
「——よくわかりません。ですが、夫婦ですもの。共に歩んでいけたらと思っています」
ライアスがどういう人なのかわからない。
とりあえずシンシアの記憶の中では、仇のような存在。いや、実際にそう思って憎んでいたのかもしれない。
その辺のことは確かに気になるけど、とにかく今は父親として、いてもらわないと話にならない。
屋敷に寄りつかない父親——そんなのエイダンにとって何も良くない。
ライアスは何度か何か言おうと口を開き、言い淀みを繰り返した。
夫婦、と小さく呟く。
急に言われても困るだろうか。
そもそもシンシアがライアスを嫌っていたのは、敬愛する兄を戦場で亡くしたから。王太子である兄が死に、当時共に出陣し、仲の良かったライアスが生き残った。
そしてそれから1年も経たないうちに、婚姻が結ばれた。
普通に考えて、何かあったんだろうなと思うけれど。
シンシアはただただ、ライアスを責め、悲嘆に暮れた。そして憎み尽くしながら子供を産んで——。
「私は」
ライアスがようやく口を開いた。
「お許しいただけるのでしたら、良き父、良き夫となるよう努めたいと考えます」
「まあ」
私はほっとして、ぽん、と手を合わせた。
「良かった」
顔が緩んで笑みがこぼれる。
上司への意思表明みたいな回答だが、それはまあおいおい。
「——では、まず、ライアス様とお呼びしてもよろしいですか」
一回呼び捨てにしちゃったけど。
「はっ・・・?」
「旦那様、の方がよろしいですか」
ライアスは口元を押さえて視線を逸らした。
「い、いえ・・呼び捨てて下されば」
妻が夫を呼び捨てにすると言うのは・・・あまりないはずだが。
「よろしいのですか?」
「はい」
「では、私の事もシンシアと呼んでくださいね」
確か王女殿下って呼んでたよね。妻を殿下って。あんまりだわ。
「それはあまりにも恐れ多いのですが」
「ライアス」
とりあえず無視して続けた。
「はっ」
「もう少し、屋敷に帰ってくることはできませんか?」
エイダンが生まれてから会ったのはたったの2回。今で3回目。もう1年が経とうと言うのに。
この屋敷は王宮からなんと馬車でたった15分の距離にある。帰ってこれないわけがないのだ。
「晩御飯か朝食を、一緒に召し上がるとか」
「私と、食事を・・・?」
いい加減しつこいな、このくだり。
いちいち驚くのはいつまで続くんだろう。
「お仕事がお忙しいでしょうか」
結婚すると同時に騎士団長の職に就いた。そこからもうすぐ2年。そろそろ落ち着いてきたんじゃないだろうか。
「休日はないのですか?休みの日に共に過ごすなどもしていただきたいですが」
ライアスは口元を押さえたまま、視線を落ち着かなく動かしていた。
驚いているのか、何かに迷っているのかわからない。
「ライアス?」
急には無理だったのだろうか。
「難しいですか?」
「私は・・・夢でもみているのでしょうか」
ライアスが信じられない、と言いながらまじまじとこちらを見つめる。
「どこからが夢で、現実なのか・・・」
おそるおそる手が伸びて、頬を撫でられた。
「柔らかい・・・」
呆けたライアスに私は首を傾げた。
「ライアス?夢じゃないですよ」
しっかりしてくれ。
そう思って言うと、ライアスはがばりと勢いよく立ち上がった。
「——っ!失礼しました!私は、なにを・・・」
大丈夫か?
「あまりに現実離れしていて、己の願望が見せる幻かと・・・っうあっ」
慌てすぎて椅子に足をぶつけている。すごい音がしたが、大丈夫だろうか。
「ライア——」
「頭を冷やして参ります!」
そう言って軍隊のように回れ右をして、かっ、かっ、と靴音を響かせながら姿勢良く去っていってしまった。
——なんなの?
良き夫、良き父親、がんばります宣言はどうした。
でも。
私への嫌悪感はなかった。戸惑いばかり。
・・・まだ、望みはあると言うことだろうか。
結局、ライアスはそのまま王宮へ戻って行った。
襲撃の犯人捜査に奔走しているらしい。
いないものは仕方ない。
遊んでるわけじゃないだろうしね。——わからないけど。
前世の夫を思い出す。
長女の愛が1歳になった時。
「俺、来月、潜ってきていいかな」
趣味のダイビングの計画を話された。
この人は定期的に潜りに行く。大体1泊。
いいけどね。
息抜き、大事だよね。
でも。
行ってきますと言って行けちゃうんだよね、ゆう君は。
もし私が1泊してくるってなったら・・。
離乳食、オムツ、ミルク、そもそも1人で風呂に入れられないだろうし。夫のご飯どうするんだろ・・ってとこから、スタート地点から無理ってわかるから諦めちゃうけど。
「私も、1泊してこようかな」
ちょっと言ってみる。
「へえ、どこに?」
「友達の家」
「いいじゃん」
なんと、二つ返事で言ってくれた。
「息抜きも大事だよね。行っておいでよ。家のことは俺しとくからさ」
あっさりすぎて、逆に心配になる。
え、この人こんなにも理解のある人なの?
請け負ってくれるんだ。え、どうしよう。子供と離れて1泊なんて。嬉しい。
いやいや、心配でやっぱり無理かな。
でもその気持ちが嬉し——
「でも子連れで泊めてくれる友達って誰?」
何でセットやねん。
心の中で突っ込んだ。