1. エイダンとアルロ
お久しぶりです^_^
区切りがつくまで、また毎日更新予定です
よろしくお願いします
アルロがペンシルニアで暮らすようになって、約半年。
侍従としての仕事も随分と板についてきた。
アルロは朝起きて、使用人らの食堂で食事を摂る。その後はタンと一緒に少し仕事をする。
とは言え、タンはエイダンの補助を務めているから仕事が多い。一方マリーヴェル付きのアルロの仕事は少なかった。マリーヴェルの勉強のための準備くらいだ。
余った時間は好きに過ごすように言われているから、アルロは大体訓練所で体を鍛えるか、書庫で勉強するかだった。
ペンシルニアの書庫は司書の管理下ではあるが、使用人にも使用が許されていた。所蔵数もジーク家とは比べ物にならない。自由時間の使い方には困らなかった。
訓練所は、屈強な騎士らがいるので初めはかなり物怖じした。しかしマリーヴェルのお気に入り、として認知されていたアルロを、騎士らは温かく迎えてくれた。
ペンシルニアの騎士等は騎士道精神というものを本当に実践している人達だった。本当にそんな人達がいることにもまずアルロは驚いた。彼らにとってアルロもまた、守るべきか弱き存在であるようだった。勇気を振り絞って訓練に参加し始めたアルロを、笑顔であれこれと構ってくれる。
基礎体力をつけるために数か月はただの体力トレーニングだったが、少し前から木刀を握らせてもらえるようになった。
これが、なかなか楽しい。
まだ型に倣って振るうだけだが、はじめは重く感じていた木刀が今では手に馴染むほど、夢中になった。
「——熱心だな」
背後から声をかけられる。その声にアルロは慌てて振り返って頭を下げた。
手に巻いていた布がほどけてきて、巻き直そうとしているところだった。
エイダンだった。いつもは早朝に訓練を済ませて、午前中はあまりいないはずの。
「マリーヴェルから筋肉をつけろって言われてたんだって?」
「あ、は、はい」
「あいつ、騎士の体型が普通だと思ってるところあるからな」
そう言いながらエイダンは木刀を手に取り、その感触を確かめるように何度か振るう。その何でもないような動作でさえ隙がなく見えて、アルロは自然と見入っていた。
「——手合わせ、しないか?」
「えっ・・・?」
一瞬反応できずにいて、それからアルロは慌てて首を振った。
「と、とんでもないです!僕は、エイダン様のお相手が務まるような——」
「別に、真剣に打ち合いをしようっていうわけじゃない。もう受け型を習ったって聞いたから。僕の太刀筋、受けてみないか?」
「ぼ、僕だと、吹き飛ばされると思います・・・」
「魔力は使わないよ。タンが、筋がいいって褒めてたから」
力の差がありすぎると思うのだが。エイダンは何を考えているんだろう。
「——僕は片手でさ。ちょっとだけ」
そう言われると、アルロに拒否権などないように思う。
アルロは黙って頷くと、ほどけかけていた手の布をぐっと入れ込んで整えた。
「お願いします」
エイダンは片手の木刀を構えた。
アルロも習った通りに木刀を構える。
「先にどうぞ」
エイダンが言う。
「・・・・・・」
打ちに来てもらった方が気が楽なんだけど。
そう思いながら、アルロは習った通りに呼吸を整えて、木刀を振り下ろした。
軽く受け止められ、そこからはすぐにエイダンが攻勢に転じる。
太刀筋は、かろうじて見えた。肩、腹、頭・・・始めのうちは何とか木刀で受け止めていたが、すぐに手がびりびりと痺れて受けるのも難しくなる。
これ以上受けたら木刀を握っていられない。
アルロは振り下ろされるエイダンの剣をぎりぎりでかわした。
エイダンが微かに目を見開く。
受け止めないでいる分、エイダンの動きが更に速くなったような気がした。
よけるので精一杯で、息が乱れていく。
「あっ・・・」
足が絡まって体勢を崩したところに、エイダンの木刀が肩に当たった。
想像していたよりは、痛くない。かなり手加減していたんだろう。
アルロは立ち上がれず、その場にしりもちをついたまま、はあはあと息をするのがやっとだった。
対してエイダンは息も乱れていない。
アルロと視線を合わせるようにしてエイダンは膝をついた。
「——今まで、一度も習ったことがない?」
「は、はい・・・」
ふうん、とエイダンは言った。何を考えているのかはわからない表情だ。
「その手と肩、ちゃんと治癒師の所へ行きなよ」
「は、い・・・。ありがとう、ございました」
アルロは何とかお礼を言った。
「ありがとうございました」
エイダンは決まり文句の言い方でそう言って、去っていった。
アルロはそのまま呆然として、しばらく打ち合いを思い返していた。
——すごいな。別次元だ。
身体強化を使わず、片手だけで、息一つ乱れていない。
アルロはまだ痺れている手を見つめた。
騎士団の誰よりも強いって言っていたのも、納得だった。
隙のない動きな上に、あの速度。
それにしても。
アルロはふと疑問に思った。
訓練場には他にも訓練を行っている騎士はたくさんいた。
エイダンは自分との打ち合いを済ませたら、またいなくなった。
考えてみたら訓練着でもなかった、普段着で、ふらりと立ち寄ったという様子だった。
一体何をしに来たのだろうか。
エイダンとの打ち合いで、これまで手にできていたマメが破けた。そのうち破れるだろうと思いつつも、そうやって手が分厚くなっていくんだぞと騎士らに言われ、そういうものなのかと思っていたが。
手を洗って部屋に帰ってから包帯を巻くが、なかなか難しい。けれど出血をそのままにしてはおけないのでなんとか巻いた。
思ったよりも時間がかかってしまい、マリーヴェルの授業の時間が近づいてきていている。
アルロは慌てて着替えて勉強部屋へ向かった。
「アルロ、おはよう。今日は遅かったのね」
「ご、ごめんなさい。おはようございます姫様」
マリーヴェルが先に来て机に座っていた。
先を越されたのは初めてだ。
アルロはマリーヴェルの前に今から使う参考書を並べた。
「訓練してたの?」
「はい」
汗臭いだろうか。体は拭いて着替えたが、髪は汗でしっとりしていた。
「アルロ、肩が痛いの?」
「え?」
いつもと違う姿勢だったからか、いつもと違う方の手で本を持っていたからか。
マリーヴェルが目ざとく見つけた。
「見せて」
マリーヴェルが立ちあがって詰め寄った。
「え、え・・・まっ」
「———なにこれ」
マリーヴェルがあっという間に襟元をぐいっと引っ張る。あまりの早さに逃げることもできなかった。
そこは既に青く内出血が拡がっていた。
続けてばっと手も取られる。
「血が出てるじゃない!」
手の包帯からはわずかに血が滲んでいた。本を運んで少し力を入れたからだろうか。
アルロはせめてと思い手を握った。
「姫様、汚れます」
「誰にやられたの!」
マリーヴェルが詰め寄った時。ちょうど家庭教師が部屋に入ってきて、2人を見ると驚いて鞄を落とした。
若い男性の、いつもおどおどとした、先生だ。社会のあれこれを教えてくれている。
「ま、マリーヴェル様・・・!?」
扉は開いていたのだし、入り口には護衛騎士もいる。
それでもその光景は衝撃的だったらしい。
マリーヴェルの片手はアルロのシャツをめくり、もう片方の手が手を握っている。
「な、何をなさっているんです」
「先生、今日の授業はお休みするわ」
「は?」
「アルロが怪我をしているの。ほうっておけないもの」
「姫様、いけません!」
アルロは慌ててマリーヴェルの手を押しとどめた。恥ずかしいので衣服も整えた。
「僕は、何ともないです。大切な授業の時間を、そんな——」
「どこがなんともないの?そんなに大きな痣を作って。手も包帯まみれで!」
「こんなの、全然、痛くないですから」
「痛くないわけ・・・っ、ないでしょう!?お母様に——」
「とんでもない!!」
アルロは益々委縮した。
「どうか、お気になさらないでください。訓練で、手にマメができるのも、それがつぶれるのもよくある事なんです。そうやって、剣を持つ手になっていくんだって、聞いてます」
「じゃあ、その肩は?」
マリーヴェルは納得していない。
また襟元を掴まれるかと思って、アルロは後ずさった。
貧相な身体を見られるのはものすごく恥ずかしかった。たった数か月の訓練では、まだ全然筋肉はついていない。
全身にいつもあった痣は、シンシアのたった一度の治癒で、もうどこにもない。だから最近では薄着で過ごすことができていた。それでも肌を晒すのは抵抗があった。
「誰にやられたの」
「これも、訓練では、よくある事で・・・」
「うん。それで?誰がやったの?」
圧が。ものすごい。
こういう時のマリーヴェルは、顔もそうなのだが、目の力がライアスとそっくりである。
「あのー・・・マリーヴェルさま、授業を・・・」
「先生、お休みするって言いましたよね!」
「えぇっ、でも・・・」
「姫様、先生にそのような言い方をしては、いけません」
アルロはタンに教わったことを忠実に実行した。
マリーヴェルが間違ったことをしたら指摘すること。それが一番大切だと言われている。
マリーヴェルはもどかしそうにその場にどん、と足を鳴らした。
「ああ、もう!——先生、せっかく来ていただいて申し訳ありませんが、アルロが怪我をしているので今日はお休みしてもよろしいでしょうか!——これでいいでしょ!?」
「だめです」
アルロは即答し、悲しそうに首を振った。
「姫様。おねがいします・・・僕のせいで、授業をお休みするなんて・・・言わないでください」
マリーヴェルはむっと口を引き結んだ。
しばらく沈黙してアルロと見つめ合う。
アルロはいつもの自信なさげな表情でマリーヴェルを見ていたが、譲る気はないようだった。
「わかったわよ」
しばらくしてからマリーヴェルが鼻息荒くそう言ったので、アルロも教師もホッとする。
「先生!どうぞよろしくお願いします」
マリーヴェルはそう言って完璧なお辞儀をした。
そしてきっ、とアルロを見る。
「授業の間に、アルロは治癒師の所へ行って、その手と肩を見てもらってきて」
「え、でも、僕も、授業を・・・」
マリーヴェルが探せないページを探したり、マリーヴェルが記憶を結び付けられるように先生の話と日ごろの経験をつなげて話したり、マリーヴェルがノートにとっている誤字を指摘したり、居眠りを防止したり。
意外と授業中のアルロは忙しい。
タンにこの話をすると、とても驚かれたが。
「——行ってこないと、授業が終わってから裸にして連れて行くわよ」
「えっ・・・え、あ、い、いってきます」
急いで行って帰って来よう。
そう思い、アルロはぱっとお辞儀をして、駆け出して医務室へ向かった。