28.
「私も、自分の気持ちに正直になろうと思うの」
夕食の席で、マリーヴェルが意を決したように言った。
「マリーはいつでも正直だと思うけど」
「お兄様は黙ってて」
エイダンは肩を竦めた。
「——アルロに、もっとわがままになってもらうために、私がお手本になろうと思って」
「・・・・・なるほど?」
本当にわかっているのかしらライアス。はてな、と顔に書いてある。
シンシアはそう思いながらワインを味わっていた。
「私、学園をやめるわ」
言い切って、すっきりした、と言うようにマリーヴェルは食事を再開した。
ライアスがちらりとシンシアを見る。シンシアはとりあえず任せます、と言うようにライアスに視線を送った。
一連の事は、もちろん共有している。
けれどマリーヴェルが言ってくるまでは様子を見ようと言っていた。
一度通ってから辞めると、社交界でも何かと噂されることだろう。
「・・・理由は?」
「学園にいたら、私らしくいられないから」
マリーヴェルに迷いはないようだった。
「私には合わないの。お兄様はすごかったって聞かされながら、無礼者の先生に上からあれこれ言われるのも。魔力量でしか人の価値を見ない人達に馬鹿にされるのも。もうたくさん」
話には聞いていても、マリーヴェルの口から聞くのとでは違った。
ライアスの顔がまた怖くなっている。
エイダンは詳細は聞いていなかったから、手に持っているフォークが曲がっていた。
「——私の価値は、魔力量じゃないでしょう?」
『当たり前だ』
ライアスとエイダンの声が重なった。
「なかよしー」
ソフィアがすかさず合いの手を入れたので、少し沈黙が流れた。
「・・・勉強は続けなさい。家庭教師を探すから」
「私、馬鹿だから大変よ?」
「マリーは馬鹿じゃないでしょ。誰だ、そんなこと言ったの」
「——学園には一度、退学を申し出に行って、話をして来よう」
使いを立てずにライアスは自ら行くつもりのようだ。——無茶をしないように付き添わなければ。
「勉強は、アルロに手伝ってもらえばいいんじゃない?わかりやすいんでしょう」
シンシアの言葉に男二人の顔が渋くなる。反対にマリーヴェルの顔がぱあっと明るくなった。
「いいの!?」
「母上、何故いつもアルロを引き立てるんですか」
「そんなことないわ。適材適所よ」
なんだか気になっちゃうのは確かだけれど。
何か仕事がないとアルロも退屈だろうし。一緒に学べばアルロのためにもなるだろう。
「魔力に関しては私も手伝うわ。効率よく運用すれば、傷に薄皮を張るくらいはできるようになるはずよ」
「薄皮・・・」
マリーヴェルが微妙な顔をした。
「別に使えなくてもいいもん。アルロだって魔力ないんだし」
「マリーは公女なんだからね。学園をやめたからって、社交をやめていいわけじゃないからな」
「お兄様、最近お小言しか言わないわね」
「アルロとの距離感を間違えるなよ」
「お兄様、うるさい」
「うるっ・・・・・」
「まあまあ」
シンシアはそこまでにしなさい、と割って入った。
「エイダンは心配なのよ、可愛い妹なんだから。——社交はお母様と続けましょうね」
「はあい。大丈夫よ、ベラたちには会いたいもの」
「そうね。マリーは社交に関してはあまり心配していないのよ」
エイダンはマリーヴェルからまだ視線を逸らしていなかったが、マリーヴェルの方はもう飄々としたものだ。
エイダンはアルロとマリーヴェルの事を心配しているのだろうか。身分差よりも距離が近いことに。
でもそれを言うなら、自分はマリーヴェルくらいの時散々街で遊んでいたのだし。真面目なエイダンが自分のことを棚に上げてそれを言うとも思えない。
何となく、アルロが気に入らない様子でもある。兄としてなのか、何なのか。
そんなことを考えながら、シンシアはマイペースにパンで遊んでいるソフィアの世話に戻るのだった。
程なくして学園にはマリーヴェルを退学させることを伝えた。
できる限りマリーヴェルが不適格による中途退学のレッテルを貼られないためにも、退学理由については意図的に働いた。
魔力ある子女に等しく教育を授け、ファンドラグの未来を担うにふさわしい人材を育成する——その教育理念とはかけ離れていたこと。
不適切な指導方法と、それにより生徒間の差別を一層助長させていたこと。その一方で、生徒間の諍い事には、貴族同士だからと不干渉を貫いていた。
伝統ある学園で、我が子を含めたこのような対応がなされていたことは大変遺憾である、というように。
マリーヴェルに付き添っていたレナの証言だけではなかった。エイダンからも色々と情報を得て、証言をまとめ、提示した。
これによって、学園の問題は世間にも知られ、これには根幹から揺さぶられる事態になる。
教師らの慢心と学園の文化が創立以来、初めて問題視された。
これまで努力をしなくても貴族の子供達が入学し、卒業していく。研鑽を積む努力もしてこなかったのだろう。
マリーヴェルは特に名指しで誰を挙げるでもなかった。
あったことを教えてと言っても、マリーは少し考えてから、首を振った。
「そもそも能力がないのは本当だもの。——というか、その先生だけのせいじゃないでしょう」
直感的に、個人の問題ではないと思っているのもあるが、やはり自信は失ってしまっているように思った。話したくなさそうで、本人から聞くのはやめた。
学園を辞めたいと言えただけでも、十分だろうと、シンシアは判断した。
これにより、個人的に誰かが責を負うことはなかったが、追及は学園の長だけにとどまらず、そこを監督するはずだった王宮の教育庁まで及んだ。ライアスが曖昧なままにするのを許さなかった。
シンシアとしても、ソフィアが入学するまでにもう少し良い環境になっていてほしいと思う。
貴族らの意識はそうそう変わらないだろうが。
アルロがペンシルニアに来て3か月くらい経った。
しっかり食べているから、アルロは急に成長を始めたようだった。
アルロに合わせて用意した服が、たったの数ヶ月でもう小さくなっていく。
骨だけだったような体に肉が付き始め、こけていた頬も少し膨らみが出ると、周囲も驚くほどの変わりようだった。
髪もすっきりと侍従らしく散髪したから余計だろう。
「——まあ、アルロ。なかなかの美男子だったのね」
シンシアが思わずそう言ったほどだった。
線が細いながらもすっと通った鼻筋も、涼しげな目元も。ペンシルニアの男たちはとにかく濃い顔立ちが多いから、アルロの様な肌も白く端正な顔立ちは珍しい。
自信がない気の弱そうに見えるところはそのままなので、背中は丸めているし、いつも俯いているのだけれど。
「アルロは体を鍛えないの?」
「————え」
自習時間、勉強部屋で集中力の切れたマリーヴェルがペンを回しながら尋ねた。
マリーヴェルの次の課題の準備をしていたアルロはその手を止めた。
じっとマリーヴェルの視線が自分の体にあるのを感じる。
「剣術には、興味ないの?」
「興味と言うか・・・あれは、才能のある方達がやるものですから」
「アルロにもあると思う」
この前、階段から落ちそうになったところを助けてくれた。あの反射神経はすごいと思う。
あとは筋力があれば、2人で尻餅をつくこともなかったと思う。
とんでもない、とアルロは否定した。
「僕には、魔力がないので・・・」
マリーヴェルは残念そうに言った。
「アルロが筋肉ムキムキになったら、絶対いいと思うのに」
「きんに・・・え、ムキムキ、ですか」
「うん」
マリーヴェルは幼いころから騎士に囲まれ、ライアスに抱かれて育ったせいか、胸板が厚く腕は太く、腹筋は割れているのが普通のように思っている。
筋肉がないとどこか物足りないような気がしてしまうのだ。
大好きなアルロは、別にどんな外見でもいいのだが、華奢だったときのアルロのことを思うと、筋肉をしっかり付けないと病気になってしまうんじゃないかと少し不安になる。
アルロは頭を殴られたような衝撃を感じていた。
マリーヴェルの役に立てるのなら、何でもしようと思っていた。
しかし。
筋肉ムキムキ。そう言われて真っ先に思い浮かぶのは、ペンシルニア騎士団の騎士団長ダンカー。
土属性ではないので身体強化は使用していない。正真正銘、自前の筋肉で勝負してきた人である。
騎士服を着ていてもはち切れそうな胸板が目に留まる。
そして、同い年とは思えないエイダン。趣味は剣術と以前言っていたが、そのせいか隙のない姿勢とバランスのいい筋肉。この前、階段を残り8段飛び降りてポーズしていたのを見た。
超人だ。
マリーヴェルの基準が高すぎるように思う。
だが、他でもない、マリーヴェルが望むのなら・・・。
アルロにしては珍しく、マリーヴェルの希望を3日持ち帰って悩んだ。
そして3日目の朝。訓練に参加したい、と申し出たのだった。
つらい時は、やめる方法を探してほしいです。
何事も無理は良くない。