25. アルロのねがい
アルロは生まれた時から愛されない子供だった。
母親は出産してすぐ、アルロが黒髪黒瞳なのを見て、産婆の手ごと払い除けた。
幸いアルロの命に別状はなかったが、床に投げられ激しく泣く赤ん坊に、それ以降も見向きもしなかった。
シャーン国では、黒髪黒目の子供は忌避される。
闇の魔力は周囲を不幸にするという、昔からの迷信のせいだった。
特に魔力を有する貴族の間では黒髪黒眼が生まれるのは稀だったので、より排除の対象となっていた。
アルロの母は子爵の出だった。アルロの父は平民だったが軍隊の中間管理職で、それなりに裕福な家庭だった。アルロが生き延びられたのはそのおかげだろう。他人による世話はあった。
アルロがお腹にいる時に、母方の祖父母が事故で亡くなった。全くの偶然だったが、母親はそれとアルロを結びつけていた。
アルロが母親のぬくもりを知ったのは、5つの時だった。
体の中を巡る魔力に、それをどう動かせばいいのか気づいた。——闇の発現だった。
この魔力を動物に向けて放てば、思い通りに動かすことができた。
アルロは何度か動物で試したあと、すぐさまその魔力を母親に向けた。
『——大好きって言って、抱きしめて』
そう願いを込めて魔力を練った。
母親はうつろな瞳をしながらも、アルロに手を伸ばした。
「大好き」
そう言ってぎゅっと抱きしめられた時。
柔らかくて、温かくて。じわりと身体中から力が抜けていくようだった。
これがおかあさん。
「おかあさん」
いつもは呼ぶことも許されない言葉で呼ぶ。
「おかあさん、おかあさん・・・っ」
母親は答えなかったが、黙ってただアルロを抱きしめていた。
アルロは涙が止まらなかった。
愛されているという錯覚で、胸が熱くてたまらなかった。
しかし、魔力は長く続かなかった。
数分後、魔力が尽きた途端母親は正気に戻った。
操られていても記憶はある。
母親は即座にアルロを突き飛ばした。
「お、おまえ、よくも・・・」
おぞましく、忌まわしい物を見る、歪んだ母の顔。
しまった、と思った瞬間。頭に強い衝撃を感じ、意識を失った。
それ以降、母親の姿は見ていない。
捨てられたのだとわかったのは、父親がそれを教えてくれたからだった。
「お前の母親はもう帰ってこねえぞ。気持ち悪いからもう嫌だってさ。はっ。あいつも馬鹿だよなあ。金の卵を捨てるなんて」
——金の卵。父はアルロの事をそう言った。
それからは、父親の指示で魔力をひたすらに練習させられた。
5分が1時間になり、1匹が10匹になり。操作できる範囲が格段に上がって行った。
過去にないほどの強大な闇の魔力だった。
父は、上官にこっそりとそれを報告した。
シャーン国の軍部は賄賂がないと出世ができない。父は闇の力を売る事で賄賂の代わりとしたようだった。
幼いアルロにそれを知る術はなく、ただ父親の言う事に従うだけだった。
家には強面の男2人が出入りするようになり、アルロは何度も魔力を見せろと言われた。
そうして何日も経ち、父と男2人と共に、アルロはシャーン国を出た。
自分がどこに向かっているかもわからなかった。
ただ、父と同じ馬に乗せられ、もうすぐ能力を使うからそのつもりでいろと言われた。
激しい豪雨が自分たちの気配を消してくれる。
まだ6歳のアルロは激しい雨に姿勢を崩さないでいるのもやっとだった。歩いている時はぬかるみに足を取られて何度も転んだが、誰も手は貸してくれなかった。
「——よし、ついてる。別れたぞ」
父が嬉しそうに言った。
お父さんが、嬉しそうだ。アルロは分からないままにそう思った。
「おい、アルロ、出番だ。あの馬車を取り囲む騎士の動きを止めろ。馬を操って馬車を落とせ」
「え・・・そんなことしたら」
「あれはな、悪いやつらだ。あいつらをやっつけないと、お母さんは帰ってこない」
え・・・?
アルロは久しぶりに聞いた父の口からの「お母さん」に、一気に身体に力が湧いてくるのを感じた。
「それをしたら、お母さん、帰ってくる?」
「うまくやればな」
アルロは力を振り絞った。
しかし、騎士10名に御者と馬と、数が多い。それに騎士らもただの一般人ではなかった。
馬車は落とせたが、騎士らの術は程なくして跳ね返された。
術が跳ね返された衝撃は、6歳の未熟な身体には到底受け止められないものだった。
しばらくは乱戦の中、移動しながら耐えていたが、もう息も絶え絶えだった。
枯渇した魔力の器に、弾かれた魔力が牙をむく。
やがて闇の魔力が制御を失い、暴走した。
闇が仲間二人を飲みこみ、父にも向かった。闇が父の足を飲みこんだのを見たところで、アルロは意識を失った。
ファンドラグの街で目を覚ました時、アルロの魔力は枯れ果てたままだった。どんなに魔力を練ろうとしても、その片鱗すら見えない。全く手ごたえがなかった。
魔力を完全に失ったようだった。
「役立たずが!俺の足をこんなにしちまって。上官を2人も死なせて、俺らは二度とシャーンの土を踏めねえぞ!」
父の怒りが何なのかよく分からなかった。とにかく失敗したのだということは理解した。
「おまけに魔力がもうないだと?お前はただのクズじゃねえか!くそ!」
そう言って、アルロは孤児院に捨てられた。
何が何やらわからないままに一人になって、そしてジーク家に拾われて。
なんとか生きていけるようになった頃。
「よお、アルロ。父さんだ」
そう言って2年ぶりに突然現れた父は、10年以上老けたような顔をしていた。
「まさか、貴族様のとこで雇ってもらえるなんてなあ。——なあ、父さんと一緒に住まないか?お前の力のせいで負った傷が痛くて痛くて・・・どこでも働けねえんだ」
父は涙を流した。
「良かったよ・・・無事で本当に良かった。ごめんなあ。あの時は別れるしかなかったが、やっぱり血のつながった息子はお前だけだから。ずっと気になってたんだ」
父はそう言って酒臭い息を吐きながら、アルロを抱きしめた。
「アルロ。愛してるよ」
それはアルロがずっと聞きたいと思っていた言葉だった。
やっぱり父は僕を愛してくれていたんだ。
こんな、失敗ばかりの僕でも。
僕のために涙を流して、再会を喜んでくれている。
だったら僕も、父さんのためにできるだけの事をしないと——。
アルロは目を覚ました。
天井に見たこともない豪華な模様が描かれている。しかも、金で。
ふかふかのベッドに、身動きするたびに体がふわりと沈み込む。
自分は死んだんだろうか、と思った。
だって体はどこも痛くないし、こんなに心地いいのだから。
ぎゅ、と手を握られた感覚にアルロは急速に現実に戻された気がしてそちらを見た。
——天使がいる。
きらきらしたその子は、心配そうにこちらを覗き込んでいた。
「アルロ、目が覚めた?」
涙を溜めて掠れた声に、アルロは飛び起きた。
「姫様!?」
「痛いところはない?お母様が治してくれたから大丈夫だと思うけど・・・」
アルロはマリーヴェルの背後でにこやかに自分を見下ろすシンシアと目が合った。
まさか。貴重な光の力を、自分なんかに。
アルロは急いでベッドから降り、床に手をついた。
「——も、申し訳ありません」
「あらあら。そんなに素早く動けるなら大丈夫そうね。でも起きたところなんだから、ベッドに戻りなさい」
シンシアは子供に言い聞かせるように言った。
アルロは動けなかった。
一体どうして。自分は、家で父親に殴られて・・・。
「アルロ、話しにくいわ。座りましょう?」
シンシアに言われて、アルロはゆっくりと立ち上がった。ベッドに座るよう言われ、怖々と腰掛ける。
その両隣にシンシアとマリーヴェルが座った。
「自宅で倒れているところを、警備隊が発見してね。ほら、夫が仕事の関係で聞きつけて。うちまで運んでもらったの。びっくりしたわよね」
「ご、ご迷惑を、おかけして・・・」
「勝手にやったことだから、アルロは気にしないで。マリーがいつも、本当にお世話になっているんだから、これくらいは当然よ」
そう言われても、アルロは萎縮してしまう。
シンシアは気にしないように続けた。
「お父様は、今、あなたに暴力を振るったということで、警備隊にいるわ」
正確には、牢屋の中である。
「ご飯もベッドもちゃんとしてるから心配しなくていいわよ」
「はい」
アルロの表情からは何を考えているのか分からなかった。ただ、じっと黙って膝の上で握った拳を見つめている。
「ねえ、アルロ。お父様とは、少し、離れた方がいいんじゃないかと思うの」
「え・・・」
アルロは驚いて顔を上げた。
「今回、貴方はあちこちの骨が折れて、実は危険な状態だったの」
「こ、今回だけです」
このままでは父親が犯罪者になってしまう。
アルロは慌てた。
「いつもそんな、殴られるわけじゃ・・・。それに、僕がちゃんと説明できなかったからなんです。父さん勘違いしちゃって」
「一度だって、そんなに怪我を負ったのは大変なことじゃないかしら」
「ぼ、僕が、弱いからなんです。ちょっとしたことで、すぐに怪我しちゃって。いつもそうなんです」
何と言っていいか、シンシアは迷った。
あなたのお父さんは間違っている、と伝えたいが、目の前のアルロがあまりに切羽詰まっているようだから。
「父は足がほとんど動かないんです。僕が手伝わないと」
少しの沈黙。
「アルロは、それでいいの?またお父さんと家に帰りたいの?」
マリーヴェルの問いかけに、アルロは迷いなく頷いた。
「僕は、幸せです。僕がジーク家に拾われたと知って、父は本当に喜んでくれたんです。愛してるって、言ってくれたんです・・・」
アルロは今までと同じように、片隅にある感情を必死で押しのけた。
こんな僕を愛してくれるのは、父だけなんです・・・。