24.
翌日、レグナートがペンシルニアを訪れた。
いつもならエイダンの部屋で2人話すのに、シンシアが入って来たからレグナートは緊張しっぱなしだった。
3人でテーブルに着いてから、シンシアが切り出した。
「ごめんなさいね。実は偶然、アルロのお父さんの事を知ってしまって」
「アルロの・・・?あ・・・」
レグナートは思い当たることがあるように声を上げ、その後明らかに動揺した。
その反応にエイダンは険しく眉を寄せた。
「レグナート、その顔は、知っていたのか!?」
「あ、その・・・いや」
レグナートはどもりながら目を左右に動かした。
いつも比較的穏やかなエイダンが大声を出すのは珍しかった。
「ぼくは、何も。その・・・アルロをここに連れてくるのはやめるようにとか、そういうお話でしょうか」
「違う」
エイダンがキッパリと言った。
言ってから、いや、やめてもらってもいいのか?と思った所で、シンシアが口を開く。
「マリーヴェルがお世話になっているアルロの事だもの。困っているなら力になりたいの。何か知っていることがあれば、教えてくれないかしら」
レグナートはしばらくして、思い出すようにぽつりと話し始めた。
「アルロは、僕が7歳の時・・・孤児院にいたところを引き取ったんです。うちは時々、そこの子を雇うんです。アルロは僕と同い年だったから、翌年学園に同伴するのにいいかなって。——しばらくしたら、父親だと名乗る男が現れて・・・足を引きずっている、大きな傷のある男でした。僕は1度しか会ったことはないけど、なんだか・・・怖かったのを覚えてます。アルロも父親だって言ってました」
「給金のことは——」
「給金?」
「アルロの給金は父親に渡してるんだろう」
「それは・・・知らなかったけど。でも、子供だと普通はそうだから、そうなのかも。——あ、そっか。それがまずいのか・・・」
レグナートはひとりごとのように呟いた。
「いつもお腹を空かせているようだし。時々痣を作ることもあって、心配になって住込みを勧めたことはあるんですが・・・アルロは、絶対に、嫌だって」
レグナートがかりかりと頭をかいた。
「たった一人の父親を置いて行くことはできないって。——それだけ慕っている父親なんだし、まさかその父親がどうこうってことないかなって・・・家に何かあるだろうとは、思っていたんだけど・・・」
「父親と二人暮らしで、痣を作ってお腹を空かせて——父親以外何に原因があるって言うんだ」
レグナートがエイダンの気迫に顔を青ざめるので、シンシアが間に入った。
「エイダン。——レグナートを責めてはいけないわ」
「・・・・・ごめん」
つい力が入ってしまった。責めているつもりはなかった。
レグナートが雇っているわけでもないし、言われるまで深く考えなかっただけなんだろう。
「——そういうことなら、アルロに給金を渡すように、父と母にも話します」
「そうね・・・」
それだけでは解決しないだろう。
明日にでもジーク家へ行って、話し合わねばならない。レグナートの様子を見る限り、無関心さはあるものの、横暴を許容しているわけではなさそうだ。
問題は、アルロが父親と離れたくないと言っていることの方だろう。
「——話せてよかったわ。貴重なお話を聞かせてくれて、ありがとう」
「いえ・・・」
「明日訪問しても良いか、お父上とお母上に聞いていただけるかしら。帰りにお手紙を渡しますね」
シンシアはそう言って立ち上がり、準備に取り掛かった。
一方アルロは、マリーヴェルの部屋を訪れていた。
いつもなら馬車を降りてすぐにマリーヴェルが迎えに来るのに、今日は来なかった。
こんなことは初めてだった。
どこかに出かけているのかと思っていると、シンシアが声をかけてきた。
「アルロ」
「はっ、はい」
「実はね、マリーヴェル、ちょっと元気がなくて、部屋で待っているの」
体の調子が悪いのかとはっとするアルロに、シンシアは複雑な笑みを返した。
「体じゃないのよ。ちょっと、気持ちがね、塞いじゃって」
「学園の・・・?」
アルロの言葉にシンシアは少し目を丸くした。
「貴方には話していたの?——そうね、貴方に会えば元気になると思うから、行ってやってくれるかしら。案内させるわ」
「はい・・・」
そう言われ、メイドに案内してもらった部屋でマリーヴェルは待っていた。少し顔色が悪かったが、いつも通り嬉しそうにアルロを部屋へ入れてくれた。
いつもは部屋だとレナが側にいるが、今日は部屋に二人きりだ。部屋のドアは開いているが、メイドらもティーセットを用意すると去っていった。
「——調子が悪いと、聞きました・・・。大丈夫ですか」
「うん。アルロの顔を見たら、元気になったわ」
そう言ってにこりと微笑む。
「今日はね、ベリーのムースなの」
テーブルに並べられたのは、ガラスの器に入ったお菓子だった。
「ベリーは、お嫌いじゃ・・・」
「それがね、ブラックベリーは苦手なんだけど、ラズベリーは美味しいってことに気がついたの」
マリーヴェルはピンク色の可愛らしいムースをアルロの前に置いた。自分もスプーンですくって口に入れる。
「この間ソフィアが、お姉様はベリーを食べないからお肌が荒れてるのよ、って言ったの。すぐに誰かの言うことを真似してくるんだから。腹が立ったから、食べても変わらないわよって言ってやろうと思って、食べたの。そうしたら意外と美味しかったのよね」
そんな風にしばらく、いつものように近況について会話をしてから。かちり、と音を立ててマリーヴェルがスプーンを置いた。
「ねえ、アルロ。ペンシルニアに引っ越してこない?」
「え・・・?」
「ジーク家じゃなくて、ペンシルニアで働かない?私の侍従になってくれない?」
矢継ぎ早にそう言わる。
「ぼ、僕は・・・その、無理です、姫様」
アルロはびっくりして、それでも咄嗟に断った。
ペンシルニアに雇われるには、厳格な身辺調査がある。
そうなればきっと、アルロはここに来ることさえできなくなる。
そもそも平民を侍従にだなんて、ありえないんじゃないかと思う。マリーヴェルの乳母や騎士はほとんどが貴族だ。側に仕えるものの身元はかなり厳選されているようだった。
「私の侍従が嫌なら、お兄様か・・・何か、好きな仕事は——」
「姫様、違うんです」
何やら切羽詰まった様子のマリーヴェルに、アルロは両手を挙げた。落ち着いて、と穏やかに話す。
「姫様の側で働けたら、それはもう幸せでしょうけど・・・僕は、ジーク家に拾ってもらったので・・・。ご恩返しがしたいんです」
「そう・・・そうよね」
詰めていた息を吐いて、マリーヴェルは自分に言い聞かせるように呟いた。
ジーク家にはライアスとシンシアの二人で訪問した。
これまでも息子の友人同士ということであいさつ程度に何度か訪問したことはある。あまり大袈裟にしないでほしいと伝えていたのもあって、いつもの応接室に迎えられた。
レグナートから伝えられていたようで、ジーク家の当主も夫人も、揃って深刻な顔で話を聞いた。
「——給金はアルロに渡します。業務内容が変わるから、住込みにするようにと言えばするでしょう」
当主はそう言って約束してくれた。
「ただ、あの父親をアルロから引き離すことは難しいかもしれません。何よりアルロがそれを望んでいませんから」
「・・・・・・・・」
ここに子供の意思をどの程度尊重するべきなのかわからなくて、シンシアはうまく反論できなかった。
子供はどんな親だって大切に思うだろう。だから別の大人が介入する必要があると思って、こうして足を運んだ。
「何と言っても、親子ですので」
ジーク家当主はそう言って、積極的に引き離すつもりはないようだった。しかしライアスとシンシアが来たので、できる限りのことはする、と約束してくれた。
それが精いっぱいなのかと思った。
シンシアはアルロの父親を見たこともないし、2人でいるところも知らないから。そう思うと、本当に引き離していいのか、迷いがあった。
「貴家の人事に口を出すことになって、申し訳ありません。偶然知ったものの、子を持つ親としては、どうしても見過ごせなくって」
シンシアの台詞に夫人は何度も頷いた。
「そうですよね。分かります」
気の弱そうなこの夫人は、そう言って全面的に同意しているように振舞ってはいたが、使用人の管理は夫人の仕事のはずだ。昨日まで見過ごしていた当人として、責任を感じている様子はなかった。
当主と夫人の意識がどの程度のものか、話してみてなんとなく分かった気はする。しかし協力すると言ってくれた以上、今はそれ以上踏み込むことはできないと判断した。
「——継続して見守っていただきたい。もしもの時は私達が引き取る準備もできている」
最後にライアスは丁寧さを失わず、それでいてはっきりと釘を刺すのを忘れなかった。
少々乱暴な物言いだったが、ジーク家の当主は不快感を感じた様子はなく、ただただ不思議そうにしていた。
ただの下働きを、なぜペンシルニアはそれほど気に掛けるのだろう。
そういった認識だったのだろう。
後日、アルロはジーク家の寮に入った。
物理的に距離が取れて食事も3食出されると聞いて、シンシアらはとりあえず安心していた。
しかし、アルロは結局休みの度に家に帰って父親の世話をしている。多少帰宅する時間は減ったものの、つながりは全く切れていなかった。しかも、得た給金はアルロ自身が、全額父親に渡していた。
但し、寮に住めば食事代がその分給金から減額される。次の給金の日、いつもより少ない金額に、父親はアルロが金の一部を盗み取ったと言って、激昂した。
ライアスの指示で巡回を増やしていた警備隊が、激しく暴行を加える様子を発見し、傷だらけのアルロを保護した。
その知らせを聞いたライアスはアルロをペンシルニアの屋敷に移送した。
結果論で見ると防げたように思う事案も、当時は非常に難しいんだろうなと。
痛ましい事件を聞くたびに思います。