20.
夕食後、エイダンの部屋でマリーヴェルはソファに寝転がっていた。
エイダンはその向かいで、明日提出の課題に取り組んでいる。
エイダンと遊ぶ時間が減ったので、邪魔をしないという条件で夕食後エイダンの勉強中に部屋に入ることは許されている。
この時間は子供だけで過ごすのが常になっていた。ソフィアが来るときはダリアもいるが、今は別のところで遊んでいるので2人だけだ。
マリーヴェルがじっとエイダンを見つめている。視線を感じて、エイダンはペンを置いた。
「———なに?何か言いたいの」
「お兄様は、学園楽しかった?」
「普通」
「ふうん」
「どうかした?学園楽しくないのか」
「楽しいわよ。ベラとも毎日会えるから」
「そう」
エイダンが手元の課題に視線を戻す。
マリーヴェルにはまるで分らない、難しい単語だらけの紙だ。
「お兄様は優秀だったって、先生達みんな言ってる」
「ペンシルニアの子供だから気を遣われてんだよ」
「そうかな・・・」
そうは思わない、という言い方だ。
エイダンはマリーヴェルの顔を見たが、その表情からは何を考えているのかいまいちわからなかった。
基本的な社交も魔力の知識も学べたあの学園に通った2年間は無駄ではなかったが、エイダンにとっては面白くはないが嫌な思い出もない、「普通」としか言いようがない場所だった。
ただ、あの学園が、というか貴族界がどれほど魔力を重視しているのかは知っている。
普通に魔力量があればさほど気にするものではないが、魔力が少ないとなると話は別だ。どれほど家格が高かろうと差別の対象になり得る。
レグナートがいい例だった。
学園以来長い付き合いで、今でもよく会っている。当時、レグナートは魔力量の少なさから誰からも無視され孤立していた。
少ない魔力を効率よく運用して課題を進められるように、随分と一緒に過ごしたものだ。
何となく、マリーヴェルは女の子だし性格もきついから大丈夫だろうと思っていたが。
「嫌な奴がいたら言いなよ」
「どうするの?」
「学園に来れないようにしてあげる」
きっぱりと言われて、マリーヴェルが初めて笑った。
「自分でやったからいいわ」
嫁にもらってやると言ってきた失礼なカエル顔のあいつは、あれ以来学園には来なくなったし。
「・・・・・何かは、されているんだな」
マリーヴェルはしまった、と思って慌てて話題を変えた。
ことが大きくなったら面倒だ。
誰にも言うつもりはなかった。
「ねえ、私知ってるんだ。お兄様、光の属性も持ってるよね」
数日前、エイダンが足を挫いた馬を治しているのを見た。撫でているだけのようで、魔力が流れていた。同じ属性だから敏感に感じ取れたんだろう。
エイダンははっとして急いで周囲を窺った。
「・・・・・・それ、誰にも言うなよ」
低く抑えた声で言われ、マリーヴェルはきょとんとする。
「なんで?」
こんな微小な魔力の自分でも、光の子だってちやほやされるのだ。エイダンの魔力量で光の属性まで扱えたら、ものすごく褒めてもらえると思うのに。
「マリーと僕を守るために」
エイダンが真剣な目を向けるから、マリーヴェルは少し怯んだ。
エイダンの目の色が、いつの間にか茶色と言うよりは金に近い色になっている。
「——よくわかんない」
「光は狙われやすいって知ってるだろ」
昔誘拐された、という話は何度も聞いた。マリーヴェルは当時のことを覚えていないが、エイダンが助けてくれたと聞いている。たった6歳で、2歳児を抱っこして誘拐犯から走って逃げるなんて、やっぱりこの兄はただものじゃないと思う。
「お兄様、強いじゃない」
「力づくばかりじゃないだろ」
利用しようとするものが多いから、大人になるまでは絶対に隠すこと。エイダンはそうシンシアに厳しく言われている。
「例えばさ、光の力もあるから戦争に行って来いって言われたらどうする?」
「えっ、いやよ!」
——せめて後継者教育が終わるまでは公にするつもりはないわ。
シンシアはそう言っていた。
——貴方がその力をちゃんと使いこなして、周りに流されるのではなく、自分で決断できるようになるまで。それまでは、有事の時に動くのは大人の役目だから。
シンシアには何か心配なことがあるのだろうか。自分が学んでいる限り、ファンドラグは戦争を未然に防ぐための努力を続けている。有事の時、というのが何を指しているのか分からないが、とりあえず今はひたすらに勉強と訓練に明け暮れている。
もっと遊びなさい、とシンシアが言うほどだった。
もう一つ。
光の力をエイダンが隠すのは、エイダンが土で、マリーヴェルが光だからこそ、外から見たらバランスが保たれているからだ。
バカバカしいとは思うが。
——ご子息は土ですが、その魔力量ならばペンシルニアも安泰ですね。
——ご息女は魔力量がすくないとはいえ、希少な光ですもの。
そんな大人たちの囁きを何度耳にしたことか。
学園の教師からも同じようなことを言われたことがある。
光じゃない方。
エイダンをあまり知らない学園の奴らからは代名詞のようにそう呼ばれていた。
「ま、そんなことにはならないよ。父上がいるから」
「うん。・・・私、難しいことわからないけど。昔戦争があったんでしょ。お母様の、お兄様が亡くなったって、今でも悲しい顔をされるもの」
「——伯父上だけじゃないよ。たくさんの人が死んだんだ」
部屋の空気が暗くなって、エイダンはマリーヴェルの横に座りなおした。
「そんなことにならないように、ティティ叔父上も父上も頑張ってるだろ?大丈夫だよ」
「うん・・・」
「心配なら、マリーもちゃんと勉強しなよ。どうして戦争が起きるのか、どうしたら防げるのか」
マリーヴェルは拗ねたような声を上げる。
「私、馬鹿だもん」
そのセリフにハッとして、エイダンはマリーヴェルの肩を掴んだ。
「誰にそんなこと言われたんだ」
マリーヴェルは答えようとして、慌てて口を閉じた。
エイダンは優しいし色んな物から守ってくれるけど。昔から融通が利かない。まあいいじゃん、とならないのだ。
それに、ままならないことがあるのなら、それを打ち破るほどの努力をすればいい、と本気で言うタイプだ。そこはマリーヴェルとは全く相入れない。
マリーヴェルが事を荒立てまいとしているのに、エイダンが介入するとややこしくなりそうな気がする。
視線を逸らせてくるくると髪をいじる。
それを見て、エイダンは言うつもりはないか、と思う。
いつも通りのように見えて、少し元気がないのかもしれない。
エイダンは小さくため息をついた。言うつもりはなかったけど、どうせ知られることだ。
「・・・・・・明日、さ」
明日は土曜日。
「レグナートが来るけど、マリーも会うか?」
マリーヴェルの顔がぱあっと明るくなった。
「アルロも、来る?」
エイダンは渋い顔で答えた。
「来るけど・・・あいつももう12なんだからな。節度を保ちなよ」
「節度?」
「レディとしての、距離を保つの」
「失礼ね、お兄様。私はアルロの前ではいつでもお姫様なんだから」
そうじゃない。
そうじゃないが、マリーヴェルのご機嫌が急上昇したので、とりあえずはそれ以上言わないことにした。
「マリーヴェル様、お久しぶりです。今日もお綺麗ですね」
「ありがとう。レグナート」
マリーヴェルは一応しっかりとレグナートと挨拶を交わし、失礼にならない程度にさっさと挨拶を済ませると背後のアルロに駆け寄った。
「アルロ、久しぶりね」
「お嬢様、お久しぶりです」
アルロはすっかり背が伸びたので、マリーヴェルと視線を合わせるように屈んだ。それでもエイダンに比べると華奢だ。
下から見上げると長い髪が隠している黒い目が見えるから、マリーヴェルはこの身長差も気に入っていた。
「行きましょう!」
「あっ、その・・・」
「マリー!節度!」
手を掴んでぐいぐい引っ張って行くマリーヴェルにエイダンが注意するが、聞く耳持たなかった。
マリーヴェルは庭園のガゼボにたくさんのお菓子を並べてもらった。
部屋では二人きりになってはいけないと言われているから、開けた庭園でゆっくりティータイムを過ごすことにしたのだ。
レナにも護衛にも、離れたところにいてもらっている。
近くに大人がいるとアルロが恐縮してちっとも話してくれないから。
「ちょっと久しぶりになっちゃったわね」
「はい」
「2か月も空いたわ」
「はい」
「——食べない?お菓子。今日アルロが来るって聞いて、用意させたのよ」
「ぼ、僕には、もったいない・・・です」
アルロは相変わらずだ。
マリーヴェルが無理やり付き合わせているようで、良くないかなと思った時期もあった。
だから一度、レグナートの方へ戻ってもいいわよ、と言ったことがある。
そうしたらアルロは不安げな目を潤ませて、「僕には、もう、飽きてしまいましたか」と言ったのだ。
「アルロは、私といるの、嫌じゃない?」
そう聞くとアルロはいつもこくりと頷く。
「姫様とご一緒できる時間が、僕の中で唯一の楽しみです」
「——もう、お姫様って言わなくっていいんだって」
「僕の中では、マリーヴェル様は、お姫様です」
アルロはそう言って今でもマリーヴェルをお姫様扱いしてくれるのだった。