18. 甥っ子
王家に新しい命が誕生した。
待望の第一子、男の子である。
「まあ、可愛らしい・・・」
シンシアは初めて会った甥っ子に感嘆の声を上げた。
イエナから是非にと言われ、まだ生後2か月ではあるが会いに来たのである。
甥っ子という存在は初めてだ。
ものすごく可愛い。
ソフィアがもうすぐ2歳になるので、赤ん坊というのも久ぶりだ。
「どうぞ、抱いてやってください」
イエナが許してくれたので、シンシアはそっと赤ん坊を抱き上げた。
金の髪がごくわずかに生えているが、まだほとんど坊主。レースの帽子をかぶせてもらっている。瞳の色は緑なのは、イエナに似たようだ。
「——こんにちは。伯母さまですよ」
名前はアレックス、としたらしい。
普段自分の子供達を抱いているから、ものすごく軽く感じる。
「こうして赤ちゃんを抱くと、また欲しくなってしまいますね。——思うだけですけど」
冗談めかしてシンシアが言うから、離れたところでマリーヴェルと遊んでいたライアスがぎくしゃくと変な動きをしている。
自分の子だけ見ていると思わないが、こうして赤ちゃんを抱っこすると、自分の子が成長したなと実感する。
アレックスを見てからマリーヴェルとソフィアを見て、シンシアは自然と笑みがこぼれた。
本当に、あっという間に大きくなってしまって。
「あっ、あう」
アレックスがご機嫌の声を出す。
「賢そうなお顔。きっと素敵なお兄さんになるのね。だってこの目元なんて、イエナ様そっくりだもの」
「——お義姉さま」
イエナが照れたような笑みを浮かべた。
「・・・やっと、肩の荷が下りた思いです」
心底そう思っているような呟きだ。
「——負担だったわよね。本当にお疲れ様でした」
結婚して1年と少し。たった1年だと言うのに、子供はまだかというプレッシャーは相当なものだったようだ。
オルティメティも前国王も気にしなくていいといくら言っても、そういうわけにいかないのは重々承知していただろうから。
「貴方は王妃としての仕事もしっかりとして、ティティを助けているのだから。子供の事で負担に思う必要はないんだけど。そうもいかないわよね」
「皆さんがそう言ってくださったから、今日までやってこれたのだと思います」
自然と、視線はマリーヴェルとソフィアの方へ向く。
マリーヴェルは5歳、ソフィアはもうすぐ2歳になる。今はライアスが二人と折り紙の相手をしている。
エイダンはオルティメティと剣の手合わせに出て行った。
「単純に、年の近い従姉弟は嬉しいわ。仲良く遊んでくれたらいいわね」
「はい。私も本当に、心強いです。私の姉は遠くに嫁いでいるので、色々と相談できなくって」
「そうよね。いつでも、何でも聞いてちょうだい」
「ありがとうございます。——いつか、お義姉様のサロンにご招待いただきたいです」
例のママ友会だ。細々と続けている。
「ええ、もう少ししたら、是非来てちょうだい」
見れば、アレックスはうつらうつらと眠りそうだった。
シンシアは寝かせるようにゆっくりと揺らす。
「さすがに、手慣れていらっしゃいますね」
「まあ、ね・・・」
前世と合わせて6人の子供を育ててきたのだ、手慣れもするだろう。
「ふっ、ふえぇ・・・」
寝る前の一泣きか、アレックスが少しぐずる。
「ママ、おっぱいあげる?」
ソフィアがいつの間にか足元に来ていて、見上げてきた。
ママ友会で、赤ちゃんが泣くとミルクを飲んでいるところを見ているからだろうか。
シンシアは苦笑いを浮かべた。
「ママはね。もうおっぱい出ないの」
ソフィアが不思議そうに首を傾げた。
「ないの?・・・じゃ、いれる?」
便利容器じゃないんだから。
「うーん、いれられないわね」
「あかちゃ、おっぱい、のむの」
「そうね。ソフィーもたくさん飲んでいたわ」
「あかちゃ、ほしい、よ」
「大丈夫よ。眠たいって言ってるだけだから。じきに寝るわ——ほら」
言ってる側から、アレクの目はすっかり閉じた。
「まあ。もう眠ったのですか?」
「早かったわね」
「いつもはなかなか寝ないんです。寝たって、置いた途端に泣くから、乳母泣かせで」
背中スイッチね。万国共通の。
「私の子達は、おくるみでぐるぐる巻きにしてゆりかごに入れると良く寝たかしら」
「まあ・・・」
イエナが不思議そうに声を上げる。
「お義姉さまはしっかり育児をなさっていて、知識も豊富で。ペンシルニアの夫人が率先して育児をされているから、貴族の間で子育てに関わることが流行っているって、ご存じですか?」
「またまた」
確かに育児は一切を乳母に任せるのが主流の中、ママ友会に参加する人たちは比較的育児に携わっているなと思っていたが。
「あのサロンに参加するために早く子供を産んで、育児したいだなんて言われているんですよ」
「出生数に貢献できたのだとしたら、それは良かったけれど」
そんなに単純な話でもないだろうが。
戦争でファンドラグの人口は減少していたから、少しでも子供が増えるのは喜ばしい。
「本当に・・・よく眠っていますのね」
イエナがアレックスの顔を覗き込む。確かに深く眠っているようだ。
「いつもより賑やかなのに」
「静かだと、かえって小さな音が気になるのかしら。エイダンも神経質だったって聞いたわ」
でも、うるさそうに眉間にしわが寄っている。
「ふふ・・・一人前に難しい顔をしちゃって」
つん、と眉間をつついてみると、しわが少し和らいだ。その代わり、おっぱいを飲むように口をちゅっちゅと動かしている。
エアおっぱい・・・尊い。
「まーま」
ソフィアがシンシアのドレスの裾を引っ張った。
「どうしたの?抱っこ?」
「や」
近頃増えてきた、や、だ。そろそろ飽きてきたのだろう。
「マリーと遊んだら?」
「だめ、って」
「じゃあ、あそぼ、って言っておいで」
ソフィアはとことことこ、と歩いて行って、マリーヴェルにあそぼ、と言っている。
夢中で絵を描いているマリーヴェルは気のない返事で、やあよーと言っている。
マリーヴェルはエイダンと違って、ソフィアに関心がほとんどない。一緒に遊ぶこともあまりない。
「やあよー、って」
そうやって報告してくる。
やれやれ、と思った時、部屋にノックの音が響き、エイダンとオルティメティが入って来た。
汗をかいたようで赤い髪がすっかり濡れている。
「まあ。・・・ちょっとだけ、って言っていなかった?」
シンシアの呆れ顔に、エイダンはまだ興奮したままの顔で笑った。
「母上、叔父上は強いです!父上と同じくらい強いです」
「いやいやいや、とんでもない」
オルティメティが慌てて否定した。
「騎士団長と比べられたら困るよ」
ふう、と息を吐きながら椅子に座り、汗を拭っている。
「それにしても、もうじき10歳でその強さって、ペンシルニアは本当に恐ろしいな。——エイダン、騎士団に入らないか」
「ティティ」
シンシアの言葉にオルティメティは肩を竦めた。
「半分冗談だよ」
「半分でも駄目よ。いくつだと思っているの」
「僕は興味あるけど」
「エイダン」
シンシアが呼ぶと、エイダンもオルティメティを真似したように肩を竦めた。
10歳になり、学園をもうすぐ卒業するから、エイダンの学習科目は増えた。後継者教育に加えて、一応王位継承者の教育も少ししている。それなりにどれも楽しいようだが、やはり一番好きなのは魔力を使った授業と、騎士団に交じって行う訓練だった。
ペンシルニアの血を感じる。
母親としては、擦り傷を作って帰ってくるたびに心配でたまらなくなるというのに。
「ソフィー、兄ちゃんとあそぼっか」
「や。かえう」
ぐずりそうなソフィアをさっとライアスが抱き上げた。
「お茶にしようか」
オルティメティの声に、使用人らが一斉にティーセットを用意し始めた。
カチャカチャとカップを持って飲みながら、ソフィアはスプーンを振り回す。
「ふぃ、が」
ソフィアがやる、と言っている。これも最近の口癖である。
ライアスも慣れたもので、食べやすいところにゼリーを置いて待っている。
エイダンの時は先々手を出して怒られ続けていたのが、嘘のようだ。
「おいち、ね」
「ああ、おいしいな」
「ぱっぱ、そぇ。あーな、うう」
「食べないから、ソフィーが食べてもいいぞ」
そう言ってライアスは自分の前にあったクッキーをソフィアの前に置く。
繰り返すようだが。エイダンの言葉が難解で、理解できないと困り果てていたのが嘘のようだ。
王室御用達の美味しい紅茶を飲みながら、穏やかな時を過ごす。
「何度見ても、ライアスのその姿は見慣れないな」
オルティメティが、世話を焼くライアスに向けて言う。イエナも笑いながら頷いた。
ライアスは当然のことのように言う。
「陛下はしないおつもりですか」
「いや・・・やりたいのは山々なんだけどね。アレックスはぼくの事が嫌いみたいで」
シンシアは笑った。
「そんなわけないでしょう」
「でも、泣いてると可哀想になっちゃって。すぐイエナや乳母に渡しちゃうかな」
「あらまあ」
どこかで聞いた話だな、とシンシアは考えた。
「ライアス、何かアドバイスはないんですか?」
「・・・・・・っ、私は」
ライアスが言葉に詰まる。
「父上が抱くと、マリーもソフィーもすぐ泣き止みますよね」
「いや・・・そうだったかな」
エイダンの時は散々だったから、と思うものの、それをどう言うべきか。
「—————まあ、慣れ、だな」
視線を逸らしてお茶を飲む。シンシアは笑いがこぼれた。
「まあま」
「なあに?ソフィア」
しばらくお菓子に夢中になっていたソフィアが、眠っているアレックスの方を見ながら話した。
「あかちゃ、ほし、ね」
「あら・・・そうねえ、赤ちゃん可愛いわよね。——でも、赤ちゃんはもう我が家には来ないのよね」
「ない?」
「ええ。だからまた、アレックスに会いに来ましょうね」
「いつでもきてね、ソフィア」
「———あかちゃ、かうの」
売ってません。
「ばかね、ソフィア。売ってるわけないでしょ」
マリーヴェルが冷たく言い放つので、ソフィアがむすっとしてしまった。
「マリー、馬鹿とか言わないの」
マリーヴェルまで口をへの字にして。
「——ごちそう様。わたし、おじいさまのところに行って来る!」
そう言って走り出してしまった。
前国王の居場所は別宮のため、ここからは少し遠い。
今は悠々自適の生活で、日々温室の植物を育てながら暮らしている。笑顔も見え、非常に落ち着いている。
「みんなで行きましょう」
「一人で行って来る。お母様はまだお話あるでしょ」
特別自分を甘やかしてくれる祖父の側は、マリーヴェルにとって居心地のいい空間のようだった。
一人でも時々訪れている。
気を付けているつもりでも、エイダンとソフィアに挟まれたマリーヴェルは、もしかしたらシンシアの関心が向いていないように感じてしまう時があるのかもしれない。自分を全力で可愛がってくれる人の事が好きなのは、幼い時からずっと変わらない。
「——じゃあ、後で行くから、レナと行ってなさい」
「はあい」
マリーヴェルは上機嫌でお辞儀をして走り去っていった。




