10. 闇の魔力
マリーヴェル誘拐事件は一応の決着がつき、ペンシルニアの屋敷には平穏な日常が戻った。
幸いマリーヴェルは事件の間ほとんど眠っていたようで、しばらくは怖がってシンシアから離れなかったものの、次第に落ち着きを取り戻した。
ダリアとレナの傷もシンシアが治癒し、しばらくは休暇を取るよう勧めたが、2人そろってそれを固辞した。
守れなかった分、より一層しっかりと仕えたい、と忠誠心が妙に燃え上がっているようだった。
仕方のなかったことだと説明しても、そこは乳母としての矜持があり譲れないようで。
レナが戻ったからか、マリーヴェルは更に安定したようにも思う。
エイダンの謹慎が解けないので、エイダンの部屋の前に何度も訪れては、隙間から手紙を挿し込んでいた。
大好きなエイダンに会えない寂しさは募っているようだが、扉がどうあっても開かないということは理解しており、何とか耐えている。
ライアスはいくつか解決しておかなくてはいけないことがあった。
誘拐犯の生き残りは、まだ生かしている。
「どうだ」
ライアスの質問に、ダンカーは報告書を差し出しながら答えた。
「かろうじて生きております。ただ・・・魔力もない人間ですので、殺さないようにするのが難しいです。今も虫の息ですね」
「・・・・・・・」
報告書には、目新しいものはなかった。
国籍もない3人の流れ者。
酒場で、偶然意気投合した者に唆され、ペンシルニアの襲撃を企てる。
闇の魔力についてはその存在からして何も知らない。
ただ、馬車を崖から落とすから、公女を攫うように言われただけ。御者や騎士に内通者がいると思っていた、という。
「嘘はついていないようです」
「共犯者の特徴が聞き出せたら、そっちはもういい」
「どう処理しますか」
「生かさず、殺さず」
共犯者が捕まっていない以上、殺すわけにはいかないが、生かしておきたくもない。
こうやって指示を出せば、苦痛を与えながらぎりぎり生き永らえさせることだろう。
ダンカーは承知しました、と返答した。
「共犯者の方の捜査に進展は」
「騎士らの話を統合すると、騎士を襲ったのはその共犯者の方です。手練れ2名と闇の使い手と思われます」
時折体の自由が利かなくなり、騎士らは苦戦を強いられた。同士討ちさせられそうになったかと思えばまた解けてと、話を総合しても混乱を極めた。
「・・・・・手掛かりは」
「全くありません。もう国境を超えたのでは」
「一体何がしたかったのか・・・」
「さあ・・・もともとの計画なのか、それとも不測の事態が生じたのか」
手練れなのであれば、金の眼のマリーヴェルを攫ってさっさと国を越えそうなものだが。みすみす流れ者の3名が攫ったままにして、そこから引き取りもせず。
そもそも馬車を襲ったのも中途半端だ。
「闇の力が安定していなかったのだとすれば説明がつきそうですが」
相当な手練れであっても、魔力持ちの騎士10名を相手にするのは難しかっただろう。闇の力なくてはかなわなかったはずだ。だからこそライアスも彼らに馬車を任せていた。
しかし騎士らに話を聞いても、とどめを刺せたという者はいなかった。暗い中の豪雨である。相手の姿も見られていない。
「憶測だな」
こうなっては、ここで考えても答えは出ない。
シャーン国の潜入は王国騎士団の方で行っているが、そちらの報告としても変化なしだ。先の戦争以降、国は混乱からまだ立ち直っていない。敗戦の責めを負い政権が交代以後、政府は機能しておらず、他国に干渉する余裕も無さそうだった。
流れ者らは共犯者にマリーヴェルを売る算段で待ち合わせ場所で待っていたと言うが、周辺にそれらしき不審人物もいなかった。
個人的な犯行か、国が絡んでいるのかも不明なまま。
対象者は忽然と消え、結局、捜査は暗礁に乗り上げている。
「——葡萄亭のアイラの方は」
「念のため遠くから見守っていますが、いつも通り、学校に行き同年代の子供達と遊び。普通の、元気な少女と言った様子ですが」
何か気になることが?
ダンカーはそう言外に尋ねてくる。
ライアスにも、それが、よくわからない。
シンシアから、何かわかったら教えてと言われている。
森でアイラが居場所を言い当てたことは、偶然という認識になっている。
あの確信に満ちた示し方は、直前まで共にいて逃れてきたのだと思っていたら、そうではなかった。
不思議な感じがしたが、ライアスが感じたのは小さな違和感だけだから、誰にも言っていない。
それでもシンシアが敢えてそう言うということは、何か感じることがあるのかもしれない、
そもそも、味が気に入ったというだけにしては、シンシアはなぜかいつもアイラを気にしているようだった。
ライアスとしては、シンシアは素晴らしい女性だから、千里眼や未来視を持っていたとしても不思議はないと思っている。
とにかく、ここまでで捜査は一区切り。
ライアスはこれまでわかっていることをシンシアに伝えた。
ライアスの執務室で一通りの報告を聞いて、シンシアはポツリと呟いた。
「闇、ですか・・・」
シンシアがまず引っかかったのはそこのようだった。
ソファの席に座ったシンシアに紅茶を差し出しながら、確定ではないが、とライアスは伝える。
「闇属性についてはその希少性から、ほとんど資料がないのです。体を操ることができる、としか」
光属性の魔力ですら、実は分かっていないところが多い。それもライアスが生まれる前の戦争での情報だ。
シンシアはというと、実は、闇の魔力のことは知らなかった。
だからシャーン国の闇と聞いたら、ふと思い浮かぶのはやはり魔王の存在だった。
前世で読んだ小説である。
シャーン国境近くに魔王が出現し、瘴気が生まれ、人は次々に病に倒れ、獣は魔物となり人を襲った。
小説の通りなら、魔王が出現するのはエイダンが15歳の頃だ。
たった15で魔王討伐軍の筆頭って、一体何を考えているのか。
大人は何をやっているんだ、と思う。
いくらペンシルニアが軍部筆頭で、エイダンが光の属性とはいえ。
「結局、闇かどうかも確信はありません。実行犯の3名はただの流れ者ですし。引き続き調べますから」
「はい。また何かわかったら・・・あ、アイラの事は」
「話を聞きましたが、偶然居合わせたということで・・・何かご存知ですか」
ご存じも何も、アイラは聖女だ。
能力については、伝承通りなら魔王が出現しない限り無いに等しい。
「両親は何か知っているようですが、平穏な生活を望んでいるようで」
シンシアは頷いた。ライアスがそれを守ってやりたいと思っているのが伝わってくる。
「・・・ライアスは、聖女について聞いたことはありますか?」
聖女の出現は、随分昔に遡る。
それこそ魔王と同じく、古文書の類になる。王家所有の書物である。
「魔王を滅する存在、としか」
ライアスは目を見開いた。
「まさか。——アイラがそうだというのですか」
「わかりませんが、属性魔力ではない、何か不思議な力を持っているのかもしれませんね」
シンシアは言葉を濁した。
聖女は神の加護を受けた存在である、と言われている。神の意志のもと力を発現する、と。
前王太子が書物好きなおかげで、その手の話を寝物語代わりに教えられたことがあった。
神の意志にないところには少しも力が働かないのがこの聖女の力の不思議なところだ。
魔王が出現しない限り、能力が現れることもない、はず。
シンシアは複雑な気分だった。
つまり・・・今回、不思議な力でエイダンとマリーヴェルを救ったということは、勇者が必要ということ。
魔王がそのうちに出現すると、言えなくもない。
ライアスの視線を感じ、シンシアは微かに微笑んだ。
——やめよう。
シンシアは詰めていた息を吐いた。
何も分からない中で今から心配してもどうしようもない。
エイダンが15歳で魔王が出現したとしても、戦争になど絶対にやらない。そんなもののために育てているわけじゃない。
その為にできることを、今から少しずつやっていくしかない。
シンシアはぎゅっとライアスに抱きついた。
「シンシア・・・?」
ライアスが不思議そうに名前を呼ぶ。
聖女の能力のことを言えば、魔王に関連して勇者の話にもなってしまう。
今はまだ、言わなくても良いだろうか。
何かあればこの夫がきっと解決してくれる。そんな安心感もあった。
「——今回の旅行、本当に楽しかったんです」
「・・・はい」
「初めて見るものばかりで。見るものも触れるものも、空気まで違っていて。私は長い間、本当に狭い世界で生きていたと思いました」
シンシアは暗い顔をライアスの胸元に埋めた。
「この先・・・あの子達は不自由な思いをしなくてはいけないんでしょうか」
シンシアの心配を感じ取って、ライアスはそっとシンシアを抱きしめた。
そっと屈んで、耳元でゆっくりと囁く。
「心配しないでください。エイダンは自分の身は自分で守れるようになるでしょう。マリーヴェルにも、身を守る術をつけさせましょう」
そしてライアスはちゅ、とシンシアの耳元にキスをした。くすぐったくて肩がびくりとはねるが、ライアスはぐっと抱きしめたままだった。
「そして貴方は、私が守ります。ですからこれに懲りずに、また出かけましょう。次は必ず、守ると約束しますから」
シンシアにもわかっている。移動中の襲撃から守るのがどれほど難しいか。
それこそライアスほどの実力がなければ難しいのかもしれない。
ライアスにも楽しんで欲しいのに、家族旅行で警備に神経を尖らせるのも申し訳ない。
「私はいいのです。でも、ありがとうございます」
「いいのでしたら、本当にあなたを閉じ込めてしまいますよ」
つつ、とライアスの指がシンシアの頬から、細く白い首筋へ滑った。そこに欲望のような強い瞳の力を感じて、シンシアは少し赤くなる。
「まったく・・・ライアスは本当にずっとそう言ってくれますね」
「お気づきでないのですか?ご自身がどれほど美しく、愛らしいか。あなたの魅力が少しも衰えないばかりか増すばかりで——私は毎日、捨てられないように必死です」
それが本気か冗談かわからない言い方で、シンシアは笑いが溢れた。
多分、本気。




