7. マリー捜索隊
エイダンが歩いて王都の見慣れた街並みまで到着した時には、もうすっかり朝になり人の往来も増えた頃だった。
朝に街に来たのは初めてだった。
忙しく移動する人々、パン屋さんのいい香り。
そして時折、ものすごい速さで騎馬の騎士が駆け抜けていく。
何かあったんだろうか、と少しざわめいている、そんな街の広場を抜け、エイダンは見慣れた通りを進んだ。
エイダンは迷いなく目当ての店にたどり着いた。
時々家族で訪れる店だった。シンシアはここのシチューが好きだと言っていた。
「——アイラ!」
店先で掃除をしている子供の姿を見て、エイダンが呼びかける。
アイラの肩まで伸びた黒い髪がふわりと揺れて、呼ばれた声の主を探している。やがてアクアブルーの瞳と目が合い、それが見開かれた。
「公子様!?」
アイラは箒を放り投げて、エイダンのもとに駆け寄った。
「一体どうしたの?お父さんとお母さんは?」
「助けて・・・助けてほしいんだ」
「えっ」
「マリーが、いなくなったんだ。昨日の夕方、急に。みんな探してるのに見つからないんだ。助けて!」
「マリーって・・・あの、赤ちゃんの?」
以前来た時はまだ歩けなかったからだろうか。
「もう赤ちゃんじゃない。2歳になったんだ。——急に、ごめん」
「ううん。——わたしの目で、見てほしい、って事だよね」
アイラは、エイダンの友達だ。身分は違うけど、この店に来るといつも遊ぶ。
アイラの両親はライアスを命の恩人と言っていた。何があったのかはよく知らないが、ただの客と言うよりは少し話したりする関係。数少ない平民の知り合い、という感じだ。
エイダンは何度かアイラと遊ぶようになっていき、シンシアも積極的に仲良くしたらいい、という風で、身分の差も構わない様子だった。
そんな時、アイラがシンシアを見つめてそっとエイダンに囁いた。
まだエイダンが3歳の時。
「——奥様のお腹に、妹がいるよ」
「え?いないよ」
そう言って変なの、というエイダンに、アイラはくすくすと笑って言った。
「私ね、そういうの、見えるんだもん。内緒だよ?」
「あかちゃんが?」
「赤ちゃんだけじゃないよ」
そう言って楽しそうに秘密を打ち明けたのは、今のエイダンと同じ年の頃だったと思う。
その後も、エイダンのなくした大切なブローチを見つけてくれたり、天気を当てたり。
エイダンの中でアイラは不思議な女の子だった。
魔力を使う者は公爵邸にはたくさんいたから、そういうこともあるのかと思っていた。
それが使える者は貴族がほとんどで希少だということも、そんな不思議なものが見える能力なんて属性魔法には存在しないということも、知ったのはつい最近だった。
なぜこんな不思議な能力が平民の、しかもたまたま行きつけていたお店の女の子にあるのかはわからないが、エイダンもまだ子供で知らないことの方が多い。
そういうこともあるのかな、程度に考えていた。
そんなアイラなら、マリーヴェルの居場所もわかるんじゃないだろうか。
この力の事は秘密、って言われていたから、エイダンは一人で来た。
アイラは少し通りを外れたところまでエイダンを引っ張った。
「公女様が、いないの?朝から騒がしかったのってそのせいなんだ」
エイダンは力なく頷いた。
「ぼくのせいなんだ・・・ぼくが、マリーなんか知らないって言ったから」
「けんかしたの?」
「う、ん・・・」
アイラは少し首を傾げてから、ぽん、とエイダンの肩を叩いた。
「じゃあ、早く迎えに行って、仲直りしないとね!」
明るい声でちょっと待ってて、と言って一度店に戻り、アイラは荷物を持って出てきた。
「——ちょっと歩くけど、平気?」
「え・・・わ、わかるの?」
「多分ね。なんとなく」
「一緒に・・・来てくれるの」
「当たり前じゃん!私の方がお姉ちゃんだもん。お父さんとお母さんには、学校行って来るって言ったから、大丈夫だよ。行こう!」
アイラはエイダンの手を握って歩き始めた。
不安でいっぱいだった気持ちが、どんどん和らいでいく。
アイラと一緒に行けばマリーヴェルはちゃんと見つかるような気がしてきた。
「マリー、大丈夫かな・・・」
「大丈夫だよ」
なんの根拠もなくても、ただアイラに大丈夫、と言われるだけで、本当に大丈夫な気がしてくる。
「うん・・・」
アイラはエイダンを地下通路へ連れてきた。水路が通路にもなっている。真っ暗な中に入ると、アイラが灯りを灯した。
「子供だけで街を出ると目立っちゃうから、地下水路から町の外に出るよ」
「うん」
屋敷から一人で出たことのない自分とは違って、アイラはすごい。
ぐいぐいと手を引っ張って先に進んでいく。
王都の地図も、その他の場所もアイラの頭にはきっと入っているんだ。
「すごいね。いっぱいわかるんだね、アイラ」
「いつもはここまではっきり見えないんだけど。公子様と手を繋いでると、はっきり見えるの。今までもそうだったから、きっと間違えてないよ」
能力の事だけではなかったのだが、アイラは特別な力の事を言っているようだった。
「何が見えるの?」
「うーん・・・公子様の、望むもの?」
「ぼくの?」
「きっと公子様は特別な人なんだよ。だから、公子様の望むものがちゃんと見えるようになってるんじゃないかな」
エイダンはそれには疑問に思った。
特別なのはアイラだと思う。
だってこんなにも綺麗なガラスみたいな目で、色んなものが見えるんだもの。
地下水路は雨のせいで、轟音を鳴らしながら激しく水が流れていた。その脇を通り、子供でようやく通れる柵をくぐりぬけながらどんどん進んでいく。
9歳のアイラの歩みにも、エイダンは遅れずについて行った。
黙って歩くだけだと暗くなっていく。アイラが時々話を振ってくれた。
「それで、なんでけんかしたの?」
「・・・わかんない。大嫌いだって思って」
「ふうん。——私、妹いないから分かんないけど、私の友達も、妹が邪魔とかうっとうしいって、よく言ってる」
「そんなこと・・・っ」
エイダンはそう言って、はたと俯いた。
「そんなこと、なかったんだ・・・今までは」
「そうなの?」
「だってマリーは、ぼくのことが大好きなんだもん。ちっちゃい時から、ぼくが抱っこすると泣き止むんだ。父上でもダメなのに。初めてしゃべった言葉も、ママの次はにいに、って」
ふわふわで、可愛くて。守ってあげるって決めてたのに。
「誰にも渡したくない大好きなおやつを、ずっと手に持ってて、僕が訓練から帰ってきたらくれるんだよ。自分の好物なのに、ずっと食べるの我慢して持っててくれてたんだ」
チラチラ、何回も手を開いて欲しそうに見つめ、また握るのを繰り返してたって、レナが言ってた。
「僕が怪我したら、泣いてくれるし、母上に怒られてたら、母上を怒りに行ってくれるんだ。マリーは僕が大好きで・・・」
「そんなに大好きでも、けんかになるんだね」
「マリーが、あそぼって・・・それだけなのに」
じわ、と涙が出そうになって、エイダンはぐっと飲み込んだ。
「僕にわがままいうのは、僕に甘えてるんだ、って母上が言ってた。僕が大好きだから、わがまま言っても大丈夫って、安心してるんだって。——だから僕、マリーが安心できる、お兄ちゃんでいようって・・・決めてたのに・・・」
泣いてる場合じゃないのに。
涙がぽろぽろとこぼれてくる。
黙って聞いていたアイラが、荷物の中からゴソゴソとハンカチを取り出して拭いてくれた。
「よしよし、大丈夫だよ。公女様にはすぐ会えるからね。そしたら、仲直りしたらいいからね」
いつもはお兄ちゃんで、それはエイダンの役割だったのに。
そんな風に言われると照れくさいような、くすぐったいような。
アイラは今度はカバンから飴玉を出した。
「ほら、これを食べて元気出して、行こう?」
エイダンはアイラに手を引かれながら頷いた。
口の中でイチゴの味が優しく広がっていった。
数時間歩いて外に出ると、そこは比較的穏やかな川の流れている場所だった。
眩しくて目を細めていると、アイラはきょろきょろと辺りを見渡し、少し先の方を指さした。
「うーん・・・こっち、多分」
そこからまたしばらく歩く。道という感じはなく、ほとんど獣道だ。腰の高さくらいある草を分け入って進んでいくから、歩くだけでも大変だった。
時々、アイラは急に方向転換をする。かと思ったらまた元の道に戻ったり。
どうしたの?と聞くと、アイラも自分でもよくわからない、と答えた。
「曲がったほうがいいような気がして。こういう勘には、言う通りにするようにしてるの」
そう言って道をジグザグに進んでいくと、やがて少し開けた広場にたどり着いた。
エイダンははじめ、マリーヴェルが道に迷ったのかと思っていた。
マリーヴェルはよく大人の目を盗んで逃げだすことがある。
雨の中、トイレと言って休憩した後、マリーヴェルが一人で歩いて、道に迷ったのだろうか、と。
広場の様子を見てそれが違ったのだとエイダンは気づいた。
焚火を取り囲んで、大人が何人か座って食事をしていた。
見慣れない大人たちだ。顔や体に傷がある、目つきの悪い男たち。
その脇で、マリーヴェルが箱の中に入れられ、眠っていた。
エイダンとアイラは息をひそめて様子を窺った。
「——おい、まだ来ねえのかよ」
「騎士がうようよしてるから時間がかかるんだろうよ」
昨日の雨のせいか、薄く霧が立ち込めている。
「ったく。早くしねえと、ガキが起きちまうぞ」
「また眠らしゃいいだろうが」
「うるせえだろ、泣かれたら」
男3人だ。何かを待っているようだった。
「——まあ、あと1時間待ってこなけりゃ、場所を移すぞ。王都から離れねえと」
「んだよ、取引相手はどうすんだよ」
「心配しなくても、金の眼だぞ?大金出したってほしいってやつはいくらでもいるだろ」
「たしかにな」
男たちの下品な笑い声が響く。
「どうしよう・・・」
エイダンはまだ剣もろくに扱えない。腰に差した短剣だって、使えるわけではない。
アイラがしばらく考えてから、辺りを見渡した。
「もう少ししたら、前見えないくらい霧が濃くなるよ。そしたら、私が向こうで物音を立てるね。その隙に、公女様を抱いて、来た道を走って逃げられる?」
「えっ・・・アイラ、危ないよ」
「平気。水路まで行ったら、あそこの入り口は子供しか通れないから一安心でしょ?」
確かに、水路の出口は鉄格子が嵌っていて、子供ならなんとか通り抜けられる大きさだった。
水路の柵を思い出すと、急にできるような気がしてきた。
「水路に入ったところで待ち合わせよう。大丈夫?」
エイダンは力強く頷いた。