4. ルーラ・ペンシルニア
「いつもあんなご様子なんですか?」
部屋に戻ってシンシアはげんなりしてライアスに尋ねた。
「あんな、とは・・・?」
「お義母様です」
ソファにもたれるシンシアと背もたれの間に体を差し込んで、ライアスはああ、と言った。
「まさか出迎えがないとは思いませんでしたね。シンシアがいるのに」
そこじゃない。
「私の帰還には出迎えは不要と言ってあるので、同じような感覚なのかもしれません」
「食事、の・・・」
何と言っていいのか迷っているとライアスが続けた。
「一緒に食事をすることももう何年もありませんでしたし」
領地に帰った時にも、母親と食事すら共にしないということか。
シンシアが驚いているのを感じて、ライアスがここでようやく言葉を選ぶように視線を泳がせた。
「その・・・母は、シンシアとは違う考えの持ち主なんです。父が亡くなった時、私が公爵位を継ぐと、もう役目は終えたと言われました」
「役目」
「ペンシルニアの後継を作る役目、でしょうか」
は。の口でシンシアは固まった。
作るって。
「そのため、後は好きにさせてもらうと言われているのです」
「・・・・・・・」
少し沈黙が流れる。
「ご不快な思いをさせてしまったのなら、謝ります」
少ししょんぼりしたようなライアスの頬をそっと撫でる。
「貴方が謝る事ではないわ」
そうだ、今となっては知っている。
ペンシルニアの一族連中が、シンシアにさっさと2人目を産ませろとせっついていたことを。
それをライアスがシンシアの目に触れないよう徹底的に隠していたことを。
どうしてそんな考えがまかり通るのかと思っていたが、つい先代まではそれが当然で、公爵夫人もそれを甘んじて受け入れていたという事だろう。
——女が良い後継者を生む道具である、と。
そして役目が終われば、好きなように生きられる。窮屈だった生活な分も、今はやりたいようにやっているって?
それでは子供はどうなる。
良くここまで公爵家が持ったものだと思う。
ライアスはシンシアの掌に浮かない顔のまま顔をすり寄せた。そしてそっと手を重ねる。
「——とにかく、母の事は気にしないでください。屋敷も離れの方に滞在していますし、顔を合わせることももうないかもしれません」
今日は特別に晩餐会を開いたが、特に誘わなければあとはもう別々で、ということだろう。
なんだか、なんというか・・・。
シンシアは後味の悪さの様なものを感じた。
特に冷たくされたわけでも、何か嫌な思いをしたわけでもない。
ただ、終始感じていたのは無関心。
ライアスもそれが普通の事だとしているから、どうこうしようとするのも違う気がするし。
国王が孫を溺愛しているものだから、エイダンとマリーヴェルもおばあさまと聞いてそういうものを想像していたのではないだろうか。
シンシアとしては、子供がどう感じたのだろうかということが気がかりだった。
次の日。
ライアスは領地の治政について執政官と一日会議である。
シンシアは旅の疲れを取るために部屋でゆっくりしていた。
ガシャ———ン!!
屋敷に何かの割れる音が鳴り響いた。
「ああ、やだ・・・この音って絶対・・・」
シンシアの呟きに、メイドが見てまいります、と言うが、シンシアが行かないわけにはいかないだろう。
シンシアは重い腰を上げて音のしたホールへ向かった。
ホールはちょっとした騒ぎになっていた。
シンシアの部屋は2階にあったので、廊下からそれが見下ろせる。
「申し訳ありません!!」
床にひれ伏すエイダンの乳母、ダリア。その後ろで青い顔で震えるレナと、その腕に抱えられたマリーヴェルは大泣きしている。エイダンは俯いているから表情は見えない。
そこには執事とメイド数人、そしてルーラが立っていた。
離れにいると思っていたのに、ホールに立っているルーラにシンシアはどうしたものかと一瞬躊躇う。
「——どうしてこんなことに?」
ルーラがそう言って視線をやった先には、粉々に砕け散った、何か。色合いからして青磁の類だろう。2階からシンシアが見ても光り輝いている。
言うまでもなく、高級品だ。
「その・・・」
「僕が!ぶつかったんです!」
エイダンが叫んだ。
「ごめんなさい!」
エイダンが深々と頭を下げている。
遊んでいてぶつかったのだろうか。怪我をしていないか、心配になって身を乗り出すが、遠目にはわからなかった。
「走って遊ぶのでしたら外へ出て頂かないと。——ああ、黙らせることもできないの?随分若い乳母のようだけれど」
ルーラは額を押さえている。
ホールにはマリーヴェルの泣き声が響いていた。
2歳児の甲高い泣き声は、聞き慣れていないと耐え難いのかもしれない。
泣き声が耐えられない、というようにルーラはレナに厳しい目を向けた。
「も、申し訳ありません。——さ、マリーヴェル様、な、泣き止んでくださいませ」
「う、っえ、うあ——っ!」
視線が自分に集中すると、マリーヴェルは更に泣き出す。
「エイダン、貴方が割ったのですね?」
「は、い・・・」
「これは遠い国の使節団から献上されたものを、当時の功績を讃えられペンシルニアに下賜された特別なもの。謝罪だけでは済みません」
ルーラは淡々と言う。
シンシアは慌てて階段へ向かった。
「とは言え、まだ幼い貴方に責を負うことはできないでしょう。その責めは乳母に負ってもらいます」
「——っ、だ、だめ!」
「エイダン、誰にでも間違いはあるでしょう。しかし、ペンシルニアにはそれは許されません。貴方の失敗は部下が負うことになるのですよ。ペンシルニアの後継たるもの、この程度の事で取り乱してはなりません」
ルーラは執事に命じた。
「この乳母を牢へつなぎなさい」
「だ、だめ!ちが・・・」
「違う?」
エイダンがちら、とマリーヴェルを見て、そしてレナを見て。
「ちが、わないけど・・・でも。僕の乳母は悪くない」
「乳母たる役目を全うできなかったのですから。6歳にもなる貴方を走らせて貴重な品を割ったのです」
ルーラが再度執事に命じた。
「さあ、早く——」
「お待ちください、お義母様」
シンシアはやっとホールに降り立った。
「まずは、申し訳、ありませんでした」
息が切れる。
何度か呼吸をして、息を整えた。幸いみんな待ってくれる。
エイダンは不安そうな顔をしていた。泣き続けるマリーヴェルを受け取って抱きしめれば、ようやく泣き声が収まってくる。
「マリー、大丈夫よ。痛いところはない?」
「う、ええぇ・・・ままぁ」
「はい、ママですよ。——エイダンも、けがはなかった?」
「・・・・・・はい」
消えそうな声だ。言葉を出すと泣きそうなのだろうか。唇を噛んで下を向いてしまった。
シンシアはルーラに向き直った。
「子供達が壊してしまったことは申し訳ありません。けれど、子供の失敗と言うのなら、親の責任ですわ。責任と言うのでしたら私が負いましょう」
ペンシルニアの物なのだから、私の物でもあるはずだけど。
ルーラは驚いた目をしていた。
「王女殿下、それは一体・・・どういう意味なのでしょうか」
「どう、とは」
「子供の教育は乳母の責任でしょう?殿下が責められる謂れは何もありませんわ」
「いいえ、エイダンもマリーヴェルも私の子ですもの。この子たちのすることは全て、私に責任があります」
シンシアがあまりにきっぱりと、毅然として言い放ったため、ルーラは本当に何も言い返すことができなくなったようだった。
そもそも、ペンシルニアに負債として降嫁したとはいえ、シンシアは王族の第一王女。前公爵夫人であってもペンシルニア傍系出身のルーラからすれば雲の上の人だった。
だから粗相のないように気を付けていたつもりだった。
調度品を壊されたとしても、通常の規則に則って、事務的に、ただ処理をしておけばいいと思った。
シンシアの腕の中で泣きすぎて呼吸がひきつれているマリーヴェルと、その横でじっと固まっているエイダンを見下ろす。
——これだから子供は面倒なのだ。
何を考えているかわからない。大人の道理が通じない。大きな声で泣き叫べば、誰かが何とかしてくれると思っている。
だからルーラは、自分の子にはまずこの子供らしさをなくすことからしつけた。
静かに、話す言葉は論理的に。煩わしくない子供に。
思わず溜息が漏れたのを、シンシアが敏感に感じ取った。
「静かで格調高いこのお屋敷に子供達がうるさくしてしまい、申し訳ありませんでした。お義母様の御心を煩わせることになってしまい、私としても心苦しいです」
「いいえ、そのような」
「まだしばらくは滞在が続きます。勝手なお願いとは思いますが、私たちが滞在している間だけ、この屋敷の調度品をしまっておいてもよろしいでしょうか」
「それで、よろしいのですか?格式ある屋敷の中で所作を身に付けられるよう育てることも必要かと思いますが」
2歳と6歳に、所作とは。——と言う言葉を飲みこむ。
「そうですね。それも大切だと思います。けれど・・・」
シンシアはうつむいたままのエイダンの頭をそっと撫でた。
「今はまだ、子供らしく遊び、無邪気に騒ぐところを見ていたいのです」
「まあ・・・」
子供らしく。
「殿下は寛大なお方なのですね」
ルーラの眉間に微かに皺が寄っている。
不愉快、と言うよりは理解の外と言った様子だ。
「子供達が小さいうちに体験することが、宝物のようにこの子たちを強くしてくれると思っています。ですから、きっと大丈夫です」
これについては、シンシアには絶対の自信があった。
愛情をしっかりと感じてのびのび育ってほしい。
それがシンシアの願いだから。
「殿下がそうおっしゃるのでしたら、もちろんお任せいたしますわ」
「恐れ入ります」
ルーラはあっさりと去っていった。
特に子供たちに声をかけることもなく。
基本的には本当に無関心なのだろう。たまたま目にしたから、自分なりに処理しようとしただけで、罰を与えるという事にも深い意味もなかった。
シンシアはすっかり小さくなってしまったエイダンと、まだひっく、と泣いた余韻のあるマリーヴェルを順番に見て、ため息を吐いた。
そういう大人もいるということを知るには、まだこの子達は幼いというのに。
「奥様、申し訳ありませんでした」
乳母らが深々と頭を下げる。
シンシアはその場に膝を突いて、エイダンも引き寄せた。
「一体何があったの?」
「かくれんぼをしていたのです。申し訳ありません」
レナが消えそうな声で話す。
「付き添っていたのですが、私が近くにいるとすぐ見つかるからと、マリーヴェル様がお怒りになりますので。少し離れたところからついて行っておりました。そうしたら・・・見失ってしまい」
なるほど、よくあるいつものマリーヴェル雲隠れで、みんなでマリーヴェルを探していたらしい。
ぼそりとエイダンが口を開いた。
「僕、ここでマリーを見つけて。そしたらマリーがあのつぼに、手を伸ばしていて」
あの青磁は壺だったのか。
既に使用人らが片付け始めている。
「ぼく・・・ぼく、駄目って言ったのに・・・マリーが、聞いてくれなくて・・・」
エイダンの目からみるみるうちに涙があふれてくる。
「止まってって言っても、待ってって言っても、マリー、ぜんぜん・・・う、うえ・・・ふっ・・・」
エイダンはついに嗚咽を漏らし始めた。
「ごめんなさい。僕・・・ぼくのせいで、ダリアが・・・」
「大丈夫よ、エイダン」
シンシアは二人まとめて強く抱きしめた。
「貴方は悪くないわ。貴方の言った言葉のせいで、ダリアがいなくなってしまうかもしれないと思ったのね。母上がそんなことは許すはずがないでしょう?」
「う・・・うぅ・・・」
「マリーヴェルを守ろうとしてくれたのね。優しいお兄ちゃんね」
抱きしめた手を放し、エイダンの涙を拭ってやった。
「そういう時は、まず母上を呼ぶのよ。執事や使用人に、母を呼んでください、って言えばいいからね」
「・・・・・・はい」
エイダンの涙は止まったが、何とも後味の悪さだけは残ってしまった。貴方は悪くないと言って、それがどれほど伝わるだろうか。
祖母に責められたという思い、乳母に責任を押し付けそうになった恐怖。どうにかして気持ちを軽くしてやりたいのに。
ああいう大人もいるのよ、と言うのも違うし、ライアスの母を悪く言うわけにもいかない。
シンシアは子供達の心に傷が残っていないのを祈るしかできない自分がもどかしく、情けなくもあった。
大人なら「そういう人もいるよね」といえるだろう人と、子供が関わった時って難しくないですか・・・?