3. ヒュートラン
中継地の宿泊場所となる街はそれなりに大きな街で、宿も貴族向けの豪華な宿だった。
屋敷にいるのと変わらない雰囲気だ。
それでもいつもと違う場所での宿泊に子供達は興奮し乳母らを困らせた。
シンシアはと言うと、夜はライアスが約束通りマッサージをしてくれたが、これが予想以上に巧くて。そのまま気がついたら寝てしまっていた。
「おはようございます」
目が覚めて、いつものようにライアスの腕の中。
ああ、ここは宿だった、と徐々に覚醒する頭で考える。
「私・・・いつ寝たんでしたっけ」
「おそらく、腰を揉んでいるあたりで」
確かに、足を揉まれているあたりは覚えている。大きくて暖かい手が包み込んで。自然と目を閉じただけのつもりが眠ってしまったようだ。
ちょっとがっかりである。
もっとお泊まりを楽しみたかった。夜のティータイムとか、夜の街の景色とか。
もう朝で、間もなく出発だ。
「ごめんなさい、先に寝ちゃって。——もう朝になってしまって、少し残念ね・・・」
「馬車に長時間乗っていたのですから、休んだ方が良かったと思います。また帰りにも来ますし、何度でも訪れましょう」
ライアスはそう言ってぎゅっと抱きしめ頭にキスを落とした。
そしてまた馬車に揺られ、街並みや村を通り抜け、田園風景、牧場、低木の雑木林を抜け、山の脇を進み。
間にまた昼休憩を挟み、再出発してから、夕方。
ようやくペンシルニア領へ入った。
広大な小麦畑を進み、徐々に街並みが見えてくる。
領主屋敷があるヒュートランはかなり発展した大きな街だ。地図では見たことがあったが、実際に見るとその規模に驚く。
王都の色とりどりな町並みと違って、ヒュートランはレンガ造りの家が建ち並ぶ。この重厚感と言ったら、馬車の中から見ても圧倒される。
「レンガの家ばかりですね」
「ペンシルニア領は建築に適した木材の産業があまりないのです。その代わり、レンガ産業が発展しています。耐久性もいいですしね」
なるほど、この乾燥した空気も地震のない土地も、レンガ造り向きと言うことだろう。
「あの中心街にある教会は、築87年です。周辺の建物も同時期のものが多いです」
「それは、すごいですね」
「また行ってみましょう」
「父上、湖は?」
行ってみましょう、で思い出したのか、エイダンが窓から飛びのいて聞いてくる。
「湖はこの道を抜けたところにある。屋敷より更に向こうだな」
「いつ、行けますか」
「明日はゆっくりして・・・明後日か」
ライアスは一応、仕事をしに来たので。領地の経営を任せている執政官と連日会議があるはず。
「ライアス、無理しないでくださいね。滞在は長いのですから」
「はい。滞在は長いので、休日を挟みつつ仕事をするつもりです」
そんな話をしていると、馬車は屋敷の門をくぐり、やがてゆっくりと停車した。
馬車が止まるとライアスの腕の中で眠っていたマリーヴェルも目を覚ました。
馬車を降りると、屋敷の前に使用人らが立ち並ぶ。
首都の屋敷と同じ制服を着たメイドたちだから、なんだかそのまま家に帰ってきたような気になる。
「お帰りなさいませ」
頭を下げる一同の間を通り抜けると、その先には一人の初老の執事らしき者が姿勢良く立っていた。
「お初にお目にかかります、奥様」
「この屋敷の執事のエルビだ」
「よろしく、エルビ」
「不自由なく快適に過ごしていただけますよう、誠心誠意ご準備させていただきました」
エルビはそう言って扉を開ける。
歩き出すかと思ったら、ライアスが立ち止まったままだ。
「——母上は」
そういえば。領地にいるはずのライアスのお母さん。
今日到着することは伝えているし、シンシアからもよろしくお願いしますと手紙を送った。
手紙には心よりお待ちしております、とやや丁寧すぎるくらいの返事が返ってきたのみだった。
嫌われている、という感じでもない。貴族の家族関係というものがどういう感じなのかわからない所もあるので、あまり会う前にあれこれ考えるのもやめようと思っていた。
ただ、ライアスが両親の話をすることはほとんどないから、あまりいい関係性でもなかったんじゃないかと思う。
シンシアがいなければ子供にはほとんど関われないのではないかと思うことがある。つまりは、そういう育てられ方をしたのか、と。
「ご婦人方のティーパーティーに行かれております。晩餐にはお戻りとのことです」
「そうか」
ライアスはそれだけ言って歩き出した。シンシアらもそれに続く。
——え、それだけ?
ライアスが領地へ来るのは1年半ぶりくらいである。実の息子が、しかも今回は初めて孫二人を連れてきたというのに。なおかつ嫁に会うのは、結婚式以来、7年ぶりになるだろうか。
シンシアも顔を思い出せないからどうしようかなと思っていたくらいである。
「足元に気を付けてください」
ライアスの声掛けにはっとする。少し考え込んでいたのを見透かされたようだった。
屋敷の中は王都の屋敷とはずいぶんと雰囲気が違った。
白黒を基本として揃えられており、かなりすっきりとした印象である。
質素と言うよりは、かなり洗練された格調高い雰囲気だ。新しくはないが、綺麗に整えられている。白い壁に黒い柱、調度品も派手なものはなく、白磁のような慎ましく美しいものが並ぶ。
豪華絢爛にしてある王都の公爵邸とは対照的である。
「——随分雰囲気が違うのですね」
「ここは母が管理していますから。母の趣味なのでしょう」
「え、じゃあ公爵邸はライアスの趣味なんですか?」
あのキラキラした調度品の数々は。
「いえ。私はそういったものには関心がありませんので」
だよね。知ってる。
「古くからあったものや、貰い物を適当に飾るよう言っているうちにああなりました」
「なるほど・・・」
「客人も多く、ある程度品位を保つ必要もありましたから」
シンシアが嫁いでくるまでは、日に何人もの来客があり、会議も屋敷で行われていた。それがシンシアの妊娠後から一切の来客を断り、それが徐々に緩和されたものの、まだ来客はほんの一握り。
ライアスが許可した、相当信用のおける重臣と数少ない友人。あとは、時折開くパーティーに招待された厳選された貴族たち。ペンシルニア一族の者ですら、実はシンシアはまだ会ったことがない。
出入りの商人の方がよく来るくらいだ。
「せっかくあんなに飾ってあるんだから、もっと来客を増やしてもいいような——」
「いけません」
この話になるとライアスは頑なだった。
「大切な貴方に何かあったらと思うと・・・」
ぐいっ、とエルビが振り返った。そんなに目を真ん丸にしなくても。
「わかってるわ。この力のせいで、標的になりやすいものね」
この話を切り上げようと思ってそう言ったが、ライアスは立ち止まってシンシアの手を取った。
「不自由な思いはさせたくないのですが・・・私のわがままです。すみません。美しい貴方を、本当なら誰にも見せたくはない」
そんな言い方をして。一族の心無い人たちから守ろうとしていることも、政治の柵に触れさせず守ってくれているのも知っている。
「大丈夫です。ありがとう、ライアス」
ライアスが手にキスをする。未だにこうして頬を赤くしているライアスを見るとほっこりしてしまうあたり、自分も相当だなと思ってしまうが。
ふと周りを見れば、いつものことと無表情な王都の使用人らに対し、この屋敷の使用人らの驚きぶりがすごかった。口を開けて固まっている者もいる。
ごほん、と咳ばらいをすれば、ライアスが察してまた腕を貸してくれた。
「疲れましたよね。とりあえず部屋でゆっくりしましょう。屋敷のご案内はその後で」
「ええ」
「父上、僕は探検したいです!」
「マリも!ぼうけん!」
新しい場所に、エイダンもマリーヴェルも目を輝かせている。
この勢いでは、ずらりと並ぶ黒い扉を全部開けて回りそうだ。
高そうな調度品が並ぶ屋敷に、この2人を放つのは・・・恐ろしすぎる。
「乳母とタンと一緒に行くように」
「はい!!——マリー、いこ!」
「あいっ」
ライアスが許可したので、あっという間にエイダンがマリーヴェルの手を引っ張って走り出した。手を繋がれているからマリーヴェルも素早い。
それをタンが礼をして追いかけ、2人の乳母が小走りでついて行く。
「にぎやかにしてしまうけど、よろしくね」
エルビにそう言えば、この熟練の執事はもう元のすました顔で頷いた。
「いつも静かなこの屋敷に、明るい声が響くことを皆が心待ちにしておりました。気兼ねなくお楽しみいただければ、使用人一同の幸いです」
「ありがとう」
シンシアとライアスはその後部屋でゆっくりした。
「お久しぶりです、お義母様」
晩餐の席、そう言って礼を執ったシンシアに、ライアスの母はにこやかに答えた。
「ご機嫌麗しゅう、殿下」
完璧なお辞儀だった。嫁にするには些か丁寧すぎる。
「まあ、お義母様。私はもう王族ではありません。どうかシンシアと、お呼びくださいませ」
「恐れ多いことでございます」
あくまで王族への礼儀を取ろうとするのが、かえって壁を感じる。
結局、ライアスの母は晩餐の少し前に帰宅したようだった。ご挨拶をと申し入れたが、身支度をしているので晩餐の席で、と言われ、今に至る。
こんな顔の人だったかな、という思いだった。
控えめな雰囲気だ。茶色の髪に茶色の瞳。この夫人もペンシルニアの家系に連なる傍系の出身だったはずだから、土の系統なのだろう。
ただ、顔はどこかライアスに似ていた。
「母上、今日到着とお伝えしていたはずですが」
「ええ。けれど、以前からのお誘いでしたから。お断りできませんもの」
「・・・・・・・・」
久しぶりの親子の会話にしては、冷たい。
「急で申し訳ありませんでした。——お義母様、エイダンとマリーヴェルです」
紹介すると、2人は練習した通りにお辞儀した。
「エイダンです。お祖母様、よろしくお願いいたします」
「マリ、でちゅ」
「初めまして。ルーラ・ペンシルニアです」
そう言ってライアスの母は完璧なお辞儀をする。
初対面の孫に対するのには、ちょっと——いや、かなり事務的に思える。目線を合わせるどころか、ゆっくり話すと言う事すらしない。
そうして席に着いた晩餐もシンシアには驚きの時間だった。
なんと、会話がほとんどなかったのだ。
シンシアが話しかけると会話はある程度ある。しかし、ライアスとルーラの間には一切ない。
そしてルーラが子ども達に話しかけることもなかった。
子供2人には乳母が付き添い、微妙な空気を察してか子供らも黙って食べている。
かちゃかちゃと子供の食器の音だけが響いた。
——何この地獄空間。
食事が終わったら、シンシアは疲労困憊で寝室に駆け込んだ。
嫁と姑の間で何もしないでいると
怒られちゃうよ…っ!




