2. 領地へ
家族4人を乗せて、馬車はカラカラと道を進む。
窓の大きな馬車をお願いした。
そこから見える景色に、エイダンもマリーヴェルも釘付けである。
一行は、馬車3台、それを取り囲む護衛20数名、荷物を括り付けた馬がまた数頭と、ちょっとした大集団になった。
護衛は全て魔力を有する選り抜きの騎士たちで、ちょっとした城くらいなら落とせるらしい。
——嘘でしょ。
「まま、っち!」
「ああ、あれは風車かしら」
向こうには風車小屋が立ち並ぶ。
「マリ、もってう!」
紙で作ったかざぐるまである。
折り紙文化はないので、屋敷で作ってもらって色々遊んでいる。今もマリーヴェルの暇つぶしグッズに山ほど入っているはずだ。
「ふー、ちてる?」
「マリー、あれは風車だよ。風で動くんだ」
「かじぇ・・・」
エイダンがおかしそうにクスクスと笑っている。
「あれはふーってしても動かないよ。小麦粉を作ったり、油を作ったりするんだよ」
「まあ、エイダン、物知りね」
エイダンも見るのは初めてだろうに。
「国のおもな産業を習う時に、教わりました」
まだ授業を始めたばかりだというのにどんどん覚えて。うちの子天才なんじゃないかな。
——というのはどの親も一度は思ってしまう欲目なんだろうけれど。
「あっちの風車は水を汲み上げるものだな」
ライアスが指差す方向には、畑が広がっている。
「なんで分かるんですか」
エイダンの質問にはライアスが答えた。
「ほら、小屋のすぐ横を見てみろ、水路があるだろ?あそこから汲み上げて、畑の水を抜いている」
麦畑には作業をしている農民らがちらほらと見える。
この辺りも土地は豊かなようだ。
「おはな?」
マリーの中で畑といえば花畑だろう。屋敷も、よく行くその横の公園のような領地も庭園しかない。
「あれはね、小麦畑だよ。小麦粉からはパンができるよ」
エイダンが色々と説明している。
2人の会話を微笑ましく聞きながら馬車は進んだ。
3時間ほど進んだだろうか。
「ママ、まだー?」
「まだよ」
「マリ、もうかえりゅ」
この会話はもう何度目だろうか。
マリーヴェルはすっかり飽きてしまったようだ。
折り紙、お絵描き、本、馬車の中にはいろんなものが散乱している。あれこれ遊んで、もう新しいネタもない。
「ママ、まだ?」
また始まった。
「マリー、お歌うたう?」
エイダンが聞くが、マリーヴェルは首を振った。
「うーん、じゃあ、本を読んであげようか?」
「や」
外の景色は、もうずっと牧場である。
羊の数を数えていたが、4までしか数えられないマリーヴェルはすぐに諦めたし、羊もすっかり見飽きたようだ。
馬車だからね。そうそう景色も変わらない。
景色が変わる新幹線だって退屈して騒ぎ出すんだから。馬車なんて、そりゃそうだ、と思う。
「一度休憩しましょう」
「大丈夫ですか?」
「ええ、街に寄ってもいいのですが、どうせならここで昼食にしましょう」
ライアスがそう言って外に指示を出す。
一行はゆっくりと止まった。
何もない、大きな木と川だけののどかな場所だ。
騎士らは慣れた様子で準備を始めた。
シンシアは子ども達と一緒に馬車を降り、伸びをした。
体がバキバキだ。腰を伸ばしていると、大きな手がそこを支えた。
「揉みましょうか」
ここではちょっと。
シンシアはやんわりと断った。
「大丈夫です」
「慣れないと、長時間の馬車は体にお辛いですよね」
確かに、ライアスの温かい大きな手は当てられると心地よかった。
「そうですね。ではまた夜にでも、揉んでいただけますか」
「はい。貴方程上手くできるかわかりませんが、訓練でやり慣れています。お任せください」
騎士と同じように揉まれたら、骨が折れるんじゃないだろうか。
ちょっと心配になったが、ふと走り出すマリーヴェルが目に入り、はたと止まる。
「マリー!乳母と行きなさい!」
無視である。
何が目に入ったのか、全速力で駆け出している。
幸い、マリーヴェルはそこまで足が速いわけではないので、レナも数人の騎士も追いかけている。
エイダンは走るのも早くてなかなか追いつけなかったが、マリーヴェルにはそれほどの速さはない。但し、人の目を盗んでふといなくなる名人だ。油断がならない。
追いかけようかとも思ったが、シンシアが移動するとぞろぞろと護衛騎士がついてきてしまう。
火を起こしたり水を汲みに行ったりと忙しくしている騎士たちの手を煩わせるのもあれなので、シンシアは待つことにした。
15分ほどして、エイダンとマリーヴェルが帰って来た。
「ママ!みて!」
エイダンと手を繋ぎ、マリーヴェルはとことこと走る。その手には布袋が握られていた。
「そっと、そっとよ」
そう言ってそっと布袋の口を開く。
——ちょっと嫌な予感しかしない。
「っわ、おっきい」
見たこともないほど大きなバッタだ。
シンシアは引き攣りそうになる顔を無理矢理微笑ませた。
「よく捕まえたわね」
「マリ、みちゅけてね、にちゃが」
「エイダンが?すごいわね」
「マリー、あっちの草むらも見てみようよ!」
エイダンが誘って、マリーヴェルと一緒にまた走り出した。タンも追いかけていってくれる。
屋敷の庭園には、そこまで虫がいないから。楽しそうで何よりである。
「シンシア、こちらへどうぞ」
ライアスの声に振り返ると、綺麗な布が敷かれ、ティーセットが置かれている。
ピクニックの用意が出来上がっている。
ライアスが手を差し出してくれるのでその手を取って、布の上に座った。ライアスがその背後に座る。
背もたれになってくれるつもりのようだが、今は夏である。くっつくと正直少し暑い。
そこにはもたれずに、入れてくれた紅茶を飲んだ。
夏でも、木陰だとそこまでは暑くはない。涼しい風を感じてホッとする。
騎士らは慣れた様子で火を起こし終わり、鍋を取り出して調理を始めた。
目の前にはサンドイッチが並ぶ。
「ライアス・・・豪華すぎませんか?」
「そうですか?いつもに比べれば質素になります。パンを焼いていては長くお待たせいたしますから」
誰がサンドイッチを、パンから焼けと。
「まさか、メニューもライアスが」
「はい、この2日間は、完璧な栄養をお約束します」
え、そこに完璧さ求めてないけど。
でもそれを言うとがっかりしてしまいそうなので、とりあえずお礼くらいは言っておく。
「ちなみに、ライアスはいつも何を食べているんですか?領地へ行く時」
「馬上で済ませるので、少し硬めのパンでしょうか」
「それだけ?」
「ええ」
「休憩は?」
「馬を替えるなどしますので止まることはありますが、基本的にはあまりしませんね。そうすれば、朝に出て夜には到着します」
なんていうか、強行軍すぎると思う。
一緒についていく騎士たちが可哀想だ。
「貴方が頑丈なのは知っているけれど・・・騎士らはついていけてるの?」
「問題ありません。ついてこれる者だけを連れて行きますので」
「みんながあなたのように強くはないのだから——」
「よくぞ言って下さいました!」
とん、と器が置かれる。
副騎士団長のベンだった。
「公爵様は無茶苦茶なんです」
「まあ」
「私達は死に物狂いでついていくのがやっとです。それだと言うのに、到着したらしたですぐに仕事を始めようとして」
「さっさと終わらせて帰りたいからな」
「ライアス・・・」
この国には労働基準法なんてものがないから、上司のやりたい放題だ。
今度作ろうかしら。領内の法は領で決められる。
そんなことを考えつつ、シンシアはライアスを振り返った。
とりあえず無茶は強いないよう言っておかないと。
「部下の皆さんが可哀想だわ」
「奥様・・・」
ベンが嬉しそうに見てくるが、まだ何も改善されていないから。
「お前、早くあっちに戻ったらどうだ」
ベンはライアスに冷たく追い払われる。
そうこうしていると、メイドらが昼食準備を整えてくれた。
今回、メイアは腰が痛いので屋敷で留守番である。
屋敷から持ってきたサンドイッチに、カットしたフルーツ、サラダ、そして騎士らがあっという間に作ったスープ。普段のピクニックにスープが追加されたメニューだ。
子供達を呼ぼうかと思ったが、エイダンとマリーヴェルは虫捕りの次に火おこしを不思議そうに眺め、その後つられるようにこちらに戻ってきた。
「ここでごはん?」
「母上、あっという間に火がつきました。僕もやってみたいです、あれ!」
「あれって?」
「カチカチしたら火がつくんです」
「火打石か?まだ危ないんじゃないか」
「大丈夫です!」
とりあえず子供達をご飯の前に座らせる。
すぐに目の前のランチに釘付けになって食事が始まった。
「母上、だめですか?」
少しお腹が満たされたら、エイダンが再び聞いてきた。余程気になったらしい。
「——私、火打石は使ったことがなくて。危ないのですか?」
「火花が飛びますので」
「大丈夫です。気をつけます!」
エイダンの目がキラキラと輝いている。
「・・・・・」
ライアスは渋っている。
このきらきら攻撃に耐えるとは、なかなかだな。
しばらく見つめ合ったそっくりな親子だったが、やがてライアスが軽く息を吐いた。
「手袋をして、オレンシア卿とやるならいいが」
「やった!」
エイダンが嬉しそうに立ち上がる。
「こら、エイダン。まだ食事の途中でしょう」
エイダンは慌てて残りのスープを飲み干した。
向こうを見れば、騎士らはようやく今から食事を始めようというところだ。オレンシア卿もその中にいるし、タンもそっちで食べ始めている。
ここでエイダンが行ったらお世話をしなくてはいけなくなる。
そもそも、シンシアはふと疑問に思った。
「ライアスは火打石は使えないのですか?」
この質問にライアスは不思議そうにした。
「もちろん使えます。野営に火は欠かせませんから」
「では、ライアスが教えてやってはどうですか」
その発想がなかったようだ。
こんな父子の交流の絶好の機会をなぜ部下に任せようとするのだろう。
一緒に何かするということがなかなかないのだから、ワイワイ火おこし体験で遊んだらいいのに。
そう、シンシアのお世話より子供のお世話をして欲しい。
「私が教えてやりたいくらいですが」
「危険です」
そんなにキッパリと言わなくてもというくらい断言される。
「——これを食べ終えたら、やってみるか?」
エイダンは満面の笑みを浮かべた。
「はい!!」
マリーヴェルはよくわかっていないようなので、シンシアの方でフルーツで気を逸らせておいた。
やると言うとややこしいことになりそうなので。
エイダンが嬉しそうにライアスと作業をしているのを見ていると微笑ましかった。




