番外編2-1 ライアス
番外編2はライアス視点です
ライアスはたびたび警告していた。
「殿下、私はあのものは信用できません」
そう言う度、王太子は困ったような笑みを浮かべていた。
あのもの、とはマルセル侯爵家の子息の事だ。最近王太子の最側近を自称し、些か横暴が目に余る。
昔は自分が王太子と最も仲が良かったが、父が早逝し予定より少し早く公爵位を継いだから。忙しくなってからは物理的に会う時間が減った。
王太子と距離が縮まるということは、それだけ周囲の態度も変わる。うまくすれば金も権力もそちらへと動き始める。マルセルの子息はそのあたりの動きが異様に早かった。
貴族派として良からぬことを考えているのではないだろうか。王太子はどこまでわかって親交を深めているのか。そう思って言った台詞だったが、王太子はこの会話自体に消極的だった。
勢力図を考えながら人との距離感を図ることは、したくないようだった。
「ライアスはすごいね。・・・私は君のようにはできないよ」
いつしかそれが、王太子の口癖のようになった。
大人しい性格で、貴族連中を前にするといつも腰が引けていた。帝王学を学んだり剣を振るうより趣味の詩集を読むほうがずっと性に合っている。そう言って、授業が終わるなりよく書斎に引きこもっていた。
王太子はそう言っていたが、彼の繊細さや温かさは自分にはないもので、それ故に妹であるシンシアに向ける愛情は確実に彼女の寂しさを包み込むように埋めていた。
だから、彼も良い王になると思っていた。優しすぎるところはあるが、不足している部分は家臣である自分が補えばいい。苛烈を好まない気性であるからこそ、ライアスがペンシルニアとして担えるところがあると思っていた。
やがて、隣国からの宣戦布告を受け、ペンシルニアは王国の剣として先発隊の役割を担った。
とにかく王国の本隊が到着するまでは、砦を死守する。それが自分に課せられた使命であり、それが王国を——ひいては、密かに思慕していた第一王女を守ることになると思えば、恐怖心よりも正義感の方が勝った。
ペンシルニアは軍人の家系であり、幼いころからそういった教育をされる。
死が他の人間よりは身近に感じながら育てられるのかもしれない。
だからだろうか。ライアスは、王太子の恐怖を少しもわかっていなかった。
本隊は王太子を筆頭に送られた。
ここで確かな実績を積めるよう、ライアスも全面的に助ける心づもりでいた。そうすればきっと、軟弱だのと今まで心無い言葉を放っていた貴族の連中も、口を閉じるはずだ。
王太子が到着したら、まずは隊の編成を——そう思い、麾下の者たちと軍議をしていた時だった。
「お、王太子殿下の援軍が、敵陣に・・・っ!」
転がり込むようにして砦の軍議の部屋に入って来た伝令は、真っ青な顔でそう言った。
「——なんだと」
隣国の猛攻を数日前に食い止め、砦はまだ補修中である。敵軍の陣営は目の前にあるとはいえ、武器の数も健康な兵士の数も足りていない。しばらくは籠城し回復に専念しなくてはならない。兵たちは疲弊していた。
「本隊が到着したのか?いつ!?」
「たった今でございます!本隊は、王太子の名のもとすべての門の開門を命じ、砦を通過し、そのまま敵軍に、こ、攻撃を開始しております!」
伝令の声は裏返っていた。
ライアスは一瞬目の前が真っ暗になった。
敵軍の中には強大な魔法陣を扱う者がいる。それなりに攻城兵器も揃っている。
数は少ないながら、この砦を落とすくらいの戦力は十分にあるのだ。いくら数で優っていたとしても、それだけで勝てる相手ではない。
「閣下、行きましょう」
呆けているライアスの肩を、ペンシルニアの老練な騎士団長が叩いた。
見晴らし台まで駆ける。全員がそれに続いた。
敵軍を見下ろした一同は文字通り絶句した。
伝令の言う通り、本隊はものすごい速さで敵軍に向かって進行を続けていた。
「——嘘だろ」
「あ、ま、まずい。魔法陣が、展開する・・・っ」
「ああ・・・っ、そんな・・・あ、突っ込んでくぞ」
あまりの衝撃に、判断が遅れたかもしれない。
「即時、戦闘態勢に入る!」
ライアスは気が付けば大声で叫んでいた。
ほとんど条件反射に近かった。
「動ける者は私に続け!」
臨戦態勢にあるから、戦えるものは寝る間も武具を身に付けている。それにしても、急なことでどれほど体制が整えられるか。
「鐘を鳴らせ。武器を取れ!本隊に合流し、敵を一気に叩き潰す!」
士気は散々なものだ。混乱した部隊で敵陣に突っ込むなど自殺行為だとわかっている。それでも、それ以外の選択肢はなかった。
「ライアス、弓騎馬はまだ出られない!」
「歩兵は、半分行ける」
「閣下、魔術部隊は魔力補給が完了しておりません!」
編成も何もない軍を出して、どうなるのか、ライアスには判断がつかなかった。
脇の騎士団長を見れば、厳めしい顔を更に険しくして、剣を抜いた。
「・・・行くしかないでしょうな」
低く重い声にライアスは頷いた。
「中隊単位で、揃ったものから順次出撃を開始せよ!」
馬に跨り、剣を掲げる。
「全部隊、本隊の王太子殿下を目標とする。進め!!」
腹を蹴り、一気に駆ける。
すさまじい爆音、火と土煙、血と鉄の匂い。
戦場は混乱を極めていた。
「——地獄だ」
誰かが呟いている。
混戦に混戦を重ね、何とか王太子の元にたどり着いた時には、本隊はほぼ壊滅状態。王太子も深手を負い、足は動かない状態だった。側近の姿は既になく、統制を失った兵士らが逃げまどっていた。
「殿下!——ご無事ですか、殿下!!」
いったいなぜ。いやそれより、無事なのか。
そう思い抱き上げた王太子は、すでに虫の息だった。
「——ライ、アス・・・」
「一体何があったのです!」
説明する余裕もないとわかっているのに、つい聞いてしまう。
「私は、やっぱり駄目だった・・・」
敵はひっきりなしにやってくる。なんとか食い止めているが、それも時間の問題だ。
「——一旦、退却を・・・手当てを」
「もう駄目だよ。少しも痛くないんだ。ああ、私が死んだら・・・シンシアが、泣いてしまう・・・」
「殿下は死にません。死なせない!」
「ライアス・・・シンシアを・・・たの、む」
王太子は目を閉じた。
あっという間の事だった。
そこからは、ライアスも正直あまり覚えていない。
無我夢中で戦った。
それは今思い出しても、後悔しか残らない戦闘だった。
自分がもっと歴戦の戦士であったなら、体勢を立て直し被害を押さえて勝利を収めただろうに。
ただ、乱戦の末に消耗しあって、最後は何とか押し切っただけだった。
敵陣営がようやく撤退を開始した時。無傷な兵士は一人もおらず、積み上がった屍の数は地面を覆う程だった。
撤退をせず徹底して攻撃に出た分、ペンシルニアの被害が最も大きかった。
出陣した兵士のほとんどを失った。貴族平民に関わらず。
見知ったものが多く帰らぬものとなるのを次々に実感する。
これが戦争なんだと思うと同時に、感情は擦り切れて鈍くなったようだった。
生き残った少数の兵士と共に、ライアスはただ粛々と事態の収拾にあたった。
戦争には勝利したが、ファンドラグ王国の負った負債は、相当なものだった。
戦闘に参加した貴族兵士への補償だけで、おそらく王家は立ち行かなくなるだろう。
その負債の一部をペンシルニアも担った。
それは公爵家として、古くから王家の外戚としても政治に関与してきたペンシルニアとしては当然の事だったが。
幸いにして、ペンシルニアは非常に潤沢な資産を有している。金融業界も、鉱石類の主要採掘場も、巨大な商会も抱えている。長い歴史と共に、一つの国と言ってもいいほどの規模を誇っている。
そんな公爵家にとって、金銭的な負担はそれなりのものではあっても無理なことではない。国を立て直すために巨額を王国に貸し付ける。
しかし、このペンシルニアの今回の負債を王家がどう返済するのか。
王権派の貴族が一丸となって次第に圧を強めて行った。
下手をすれば王権が入れ替わったかもしれない。
ライアスの望まない所で進む話に、ライアスは連日頭を抱えていた。
正直ペンシルニア内部での事後処理が多忙を極めている。まだまだ公爵家当主としての執務も余裕を持ってこなせるほどには慣れていなかった。
ライアスは王家とのやり取りは側近に任せた。
「——シンシア・オステランタ・ファンドラグ様をペンシルニアにお迎えいたします」
王城から帰った者のその報告に、ライアスは握っていたペンを落とした。
「・・・・いま、なんと?」
「第一王女殿下を、公爵夫人としてお迎えいたします」
「急に。なんだ」
「王家からの補償の話でございます」
その家臣は当然ですと言うように続けた。
「何も不自然なことではございません。少々お若くはありますが、我が公爵家は代々王家から降嫁されることも多い家門。閣下との年齢を見ても、この婚姻は先の戦争がなくとも、不自然とは言えません」
「シンシア様と、私が・・・」
驚愕、動揺、あるいは。
締め付けられるほどの胸の痛みは、歓びよりもまず畏れ多さの方が強かったのかもしれない。
まだ若いライアスは、ただただ周囲の流れに翻弄された、という様子です。
入社当初みたいなもんですから、無理もないかな。




