42.
シンシアはその日のうちにペンシルニアに帰ることになった。
ソフィアとマリーも一緒に——と言ったら、マリーヴェルはシンシアの横に立つライアスを見もしなかった。
相変わらず冷戦が続く模様だ。
「お父様がアルロとの結婚を認めてくれるなら、帰るわ」
「……………」
「——っていってるけど」
直接の会話すら成り立たなかったため、シンシアが伝言をさせられた。
「私の答えは変わらない」
——そう言って、ライアスは馬車に乗り込んでしまった。結果城にはアルロとマリーヴェルが残った。
困ったものだ。
エイダンが部屋を離すように部下に指示を出していたが、「やっぱり見張っとかないと心配」と言って城に残ることになる。
そうなると、馬車にはシンシアとライアス、ソフィアとアイラが乗った。
ガラガラと車輪の音が響く。
「——ティティにはちゃんと謝ったの?」
シンシアが聞くと、ライアスは頷いた。
少し前、お礼を言って城を後にするとき、オルティメティが妙に満足そうだった。
「はい。貸しがひとつ、といわれました」
ようやくライアスに貸しができた、と喜んでいた。
「そんな事をしなくても、臣下なのだから一言命じればよろしいのに、とは言ったのですが」
「貸し……それは、ライアス。高くつくかもしれないわね」
「何がですか」
シンシアはつい、ソフィアをチラリと見た。
ソフィアが楽しそうに笑っている。——まあ、本人がいいなら、いいか。
それよりも、今はマリーヴェルだ。
「私はいつまで伝言係をさせられるのかしら。あの子の方から折れることはないと思うのだけれど」
マリーヴェルの気の強さは折り紙付きだ。——私に似たのかしら?過去の自分に、ちょっと身に覚えがある。
このままでは、ペンシルニアに帰ってこないだろう。
「何も今すぐ結婚するわけでもないし。婚約くらいいいんじゃないの?」
「マリーはまだ……15なんです……!!」
おっと。
思った以上に、強火の反応だった。
「今でも鮮明に甦る、初めてマリーを抱いた時……か弱くて、今にも壊れそうで……」
ライアスは両手を見つめていた。見えてるんだろう、その手に生まれたてのマリーヴェルが。
「急いで婚約をする必要があるでしょうか」
ぶるぶると、怒りに打ち震えているような様子で、感情をなんとか抑えようとしている。
この感じだと、確かに、勢い余ってしまうんだろう。既に今、再び暴走直前だ。
マリーヴェルは、いずれはアルロの元へ行くと言って王妃になるための勉強を頑張っていた。
だからシンシアは、早ければ15になればブラントネルへ行くと覚悟した。そのためにできる限り協力したし、少し厳しくしたつもりだ。少しずつ送り出す心の準備をしてきた。
一方、ライアスはこの数年、極力その話題を避けていた。考えないようにし続けていたとしたら、アルロの求婚の許しは、ライアスにとっては突然の事だったのだろう。目の前に現実を突きつけられて。
困ったものだ。
「……何も、今すぐに……」
ぎり、とライアスが歯を食いしばっている。
この筋骨隆々とした巨体で怒りにぶるぶると震えられたら、一般人は震え上がりそうだ。敵も裸足で逃げ出すんじゃないだろうか。先ほどから、馬車がいつもより揺れている。魔力が漏れてるのだと思う。
——アルロはよくこれを耐えたわね。
この恐ろしい威圧感に、真正面から向き合って戦ったのだとしたら。
やっぱりアルロは強い。
「ねえ、私は?赤ちゃんの時どうだった?」
ソフィアが呑気に尋ねてきた。
「貴方はね、ペンシルニアらしい子供だったから、がっしりしてたわよ。エイダンとよく似て、骨太肉厚」
ライアスがそれどころではなかったので、シンシアが代わりに答えた。
「3人目なのに大きいから大変だったのよ。一番するっと生まれたのはマリーね。お父様の言うように、小さくて」
「ですって!アイラ、どうする?」
「えー、どうしようー?でも私は奥様みたいにすらりとしてないから〜」
ふふふ、と二の腕を見せながら、アイラは笑っている。
これだけライアスから威圧感が漏れ出ていても、アイラもソフィアもまるで気にならないようだ。
——まあ、これくらいでないとペンシルニアの女性はやってられないわよね。
そんなことを考えていると、懐かしいペンシルニア邸が見えてきた。
***
一体5日の間に何があったのか。シンシアは帰還するなり涙ぐむ使用人らに取り囲まれた。
そして、それから更に数日。
しばらく手を付けていなかった仕事も再開して、忙しい日々を送っていた。
穏やかな日常だが、いつまでもこのままではいられない。
シンシアは再び登城した。
マリーヴェルからは何の連絡もなく、沈黙を続けていた。——これは、いい加減どうにかしないといけない。
「——マリーに会ってきますけど。何か伝えましょうか?」
「いえ……私からは、特には」
「ねえライアス。このままでいいの?マリーと話さないままで」
マリーヴェルはこのまま結婚まで城に住み着くと言いそうだ。
あんなに親子仲が良かったのに。ライアスもつらいんじゃないかと思う。
「分かっています。アルロが心を決めたら、私はそれ以上反対はしないつもりです」
しばらくしてそう言ったライアスは、ようやくほんの少し、覚悟が決まってきたようにも思う。
けれど、それまでは。
悪あがきがしたいのだ——そう言われているようで。それ以上シンシアはプレッシャーを掛けられなかった。
「その時は、やりすぎたって、アルロにちゃんと謝るんですよ?」
「……………」
長い長い沈黙の後、ライアスは絞り出すように、はい、と答えた。
城に着くと、アルロとマリーヴェルはちょうど庭園を散歩していると聞いた。
案内を断って、ぶらぶらしながらそっちに行ってみる。
アルロとマリーヴェルは手を繋いで、薔薇園をゆっくりと歩いていた。
ライアスが見たらまた苦しみそうな景色だ。シンシアはその二人の後姿を微笑ましくしばらく見守った。
まるで2人しか存在しないような——間違いなく、2人はそう思っているだろう。
お互いしか見えていない、幸せそうな顔をしている。
その顔を見れただけで、もう、行ってらっしゃいと言って送り出したくなる。
寄り添いながら歩いて、マリーヴェルが何かを話す。それにアルロが答えて、2人は笑い合っていた。
マリーヴェルが花の匂いを嗅いで、アルロに話しかける。アルロは少しかがんで静かに頷いた。そしてまた歩き出すと、水たまりをよけるようアルロが自然にエスコートして。
ふと立ち止まり、アルロが何かをマリーヴェルに囁いた。マリーヴェルがこっちを見て、目があったように思う。
それから二人はこちらに歩いて来た。
「お母様。いつ来たの?」
「さっきよ。楽しそうね、2人で」
「アルロが、お母様の気配がするって言うから。その距離で、すごくない?」
シンシアは苦笑した。
「マリー……あなた、何事もないように話すけど。いい加減帰って来なさい」
「え……」
「アルロも、そろそろブラントネルに帰らないといけないでしょう?マリーがここにいたら、気になって帰れないじゃない」
マリーヴェルは吊り上がっていた眉を更に吊り上げた。
「……お父様は何て?」
考えは変わらないって言ってたけど、それは特に言わなくていいだろう。
マリーヴェルは何も言わないシンシアを窺うように見てから、少し勢いを弱めた。
「お父様が何を考えているのか分からないわ。アルロの事、認めてると思ったのに」
「あら。認めてるわよ。かなり」
「それなのにあんなことするの?」
あんなこと——ライアスを倒さないと認めないと言ったり、軍を引き連れて行ったり、殴ったり——だろうか。
ライアスが少しやりすぎていて、だから話がややこしくなっている。
「お父様が願うのは、貴方とアルロの幸せ、それだけよ」
マリーヴェルは納得していないようだった。
「アルロは、どう?」
「僕は……」
アルロはひたとシンシアを見つめた。真剣なまなざしで、深い漆黒の瞳に吸い込まれそうになる。
「まだうまくは言えませんが。ブラントネル国王として、すべきこと守るべきものが増えた分……今までと同じようにしていて、姫様を守れるのかと、問われていたように思います」
風が吹いて、マリーヴェルの髪が舞う。アルロはそっとその髪に触れた。その髪の一本一本まで愛おしいと言うように、優しい手つきだ。
「——ペンシルニアでなら認めると言って下さったのが……」
「それってつまり、アルロが国王をやめるなら、いますぐ結婚できるって事よね?」
言葉のままの意味だ、と言った。言った以上、ライアスはアルロが帰ってきたら認めるつもりなのだ。
アルロは頷く。
「そうなると、婿に入るって事?」
「そうねえ。ペンシルニアの要職に就いて、いずれは爵位ももらって」
「へえ……」
シンシアが乗っかって説明した事を、マリーヴェルは考えているようだった。
「それって、私はペンシルニアのままで王妃にならないから、もう勉強もしなくていいのね」
勉強をしなくていい——それに喜ぶかと思ったら、マリーヴェルは浮かない顔だった。
ううん、と考えてから、アルロに向き直った。
「私は、アルロについて行く。ブラントネルでも、ペンシルニアでも。何なら外国でもいいの。私はアルロなら、何でもいいの」
最短で結婚する方法がある、それは確かに魅力的な話だ。
アルロの頭に、すぐに結婚できるという言葉が残る。
マリーヴェルがそうしてと言ったら、自分は……。
「でも、そうね。——アルロがブラントネルを出るって言うと、ちょっと、何ていうか……」
ふ、とマリーヴェルは困ったように笑う。
「少し、がっかりするかもね」
がっかり——アルロに対しては一度も使ったことのない言葉だった。
今までマリーヴェルはアルロへの尊敬と敬愛に満ちていた。アルロがまだ何者でもない小さな子供だった時から、アルロはすごいと言い続けていた。どんな選択をしても、アルロの選択ならそれが正しいんだと言って、ブラントネル行きを決めた時ですら、自分の感情を抑えて応援した。
「姫様……」
一瞬、マリーヴェルと一緒にいられるならと考えてしまった。
それを見透かされたのだろうか。
「アルロ。貴方のやりたいことは何なの?」
シンシアに言われて、アルロははっと顔を上げた。
「人生を賭けてもいいと思えたんでしょう?たった一人でペンシルニアを去ってまで、ブラントネルへ行ったのだもの」
迷いから引き戻されるように、言われた。
ブラントネルの一人一人の顔が思い浮かぶ。
まだ、誰かに託すことができるほどには、国は安定していない。
とても手放せない。一瞬でも、楽な方へ行こうとした自分がアルロは恥ずかしかった。
表情は動かなかったが、シンシアにはアルロが何を考えているのか分かるようだった。
「ね、アルロ。マリーとブラントネル、どちらか選ばなくてはいけない時、どうするのって聞いたわよね。本当に天秤にかけろと言っているわけではないのよ。ライアスもそんな事望んでいないわ」
「はい……」
「あの人は、王位というものの重さをよくわかっている人よ。ペンシルニアの力がどれほど大きくなっても、王家との線引きは必ず守って来た。そんなあの人が、貴方には王位を勧めたじゃない。そのライアスが、王位を退いてマリーを選ぶ事を望んでいると思う?」
「でも、お父様は聞く耳持たないじゃない。この話の時だけ、別人みたいよ」
それはね、もう、仕方ない。
シンシアは笑ってしまいそうになるのをこらえて、真剣な顔を作ってアルロに向けた。
まだ迷いのある顔。けれど、迷ってるうちは、シンシアもやっぱりうんとは言えない。
「ここがね、踏ん張りどころよ、アルロ」
シンシアの凛とした物言いに、アルロは背筋を伸ばした。
「頑張りなさい。死に物狂いで。国と、マリーヴェルの両方が欲しいのでしょう?それってものすごく欲張りなことでしょう?」
「はい」
アルロはじっとマリーヴェルを見つめた。
「世界を二つ手にするようなものです」
アルロにとって、マリーヴェルは世界そのもの
それにしても、ライアスが。
ペンシルニアには子供が何人なんでしょうね
まったく大変ですね




