41.償いの方法
そうして、帰還から5日目。
シンシアはテラスに立ってペンシルニア邸の屋根を眺めていた。
その表情が、恐ろしく冷たい。
「——門前払いしてるのは母上なのにさ——」
エイダンがやれやれというように話した口に、アイラがマドレーヌを突っ込んだ。
「ふぁ、ふあに?」
シンシアの部屋の応接エリアである。今日は結婚式の打ち合わせもかねて、エイダンがアイラを連れて来た。
料理については王室の料理長から提案されたものをそのまま採用する予定だ。デザートについては、今目の前にずらりと並んでいるのが候補になっている。この中からいくつかを選んでほしいと言われている。
「美味しい?」
ごくり、と甘いお菓子を飲み込んだ。
「う、うん」
「はい、これも食べて」
アイラは次々にお菓子を渡して来た。これでは食べるどころか、喋る暇もない。
「アイラ。こんなに食べられないよ」
「でもエイダンはいつも訓練で体を動かすから、沢山食べた方がいいでしょう?」
「アイラ……僕の体の事を思って」
「うん。——あ、これ美味しい」
アイラは葡萄亭の娘なだけあって、舌がとてもいい。アイラが選んだワインもきっと招待客らに喜ばれるだろう。
お菓子もアイラに任せておこうと思っているから、エイダンにとってこの時間はティータイムのようなものだった。
シンシアはまだ外の風に当たっている。今日は結婚式の準備に参加してこない。話が進んできたから、もうあとはエイダンらでやりなさいって事なんだろうか。
しばらくして、部屋にノックの音が響く。エイダンが返事をすると、ゆっくりと部屋付きの侍従が入ってきた。
「公爵夫人、騎士団長。その……」
エイダンを見て頭を下げる。
「どうしたの」
「公爵様が来られています。お目通りを願って」
「会わないわ」
テラスから入っても来ないで、シンシアは返事をした。
侍従が困った様子でそちらを窺う。
「そ、その……会っていただけるまで帰らないと仰せで……」
仕方ない、また僕が門前払いをしに行こうか——そう思って立ち上がろうとしたら、アイラがぐっとエイダンの腕を掴んだ。そのまま座らされて、2人は密着して腕を組む形になる。
「お母様、お城の人達が困ってらっしゃるみたいですよ」
ね、とエイダンに言うと、エイダンは半分上の空で便乗した。アイラから目が離せない。
「……そうだよ。近衛騎士らの精神上よくないから、助けると思って行ってあげてよ」
「——仕方ないわね」
シンシアはしぶしぶ、といった様子でテラスから入って来た。そうして鏡の前で髪を整え、襟を正してからようやく部屋を出て行く。
それを見送ってから、またお菓子の選別に入ったエイダンの手を、アイラがギュッと握った。
「エイダン。今のは良かったわ」
「え、何が?どれ?」
「いいのいいの。そういうところも結構好き」
そう言ってアイラはにっこり笑う。
よくわからないけど褒められて、嬉しいエイダンだった。
ライアスは今日ばかりは、いつまでもドアの前で待つつもりだった。夜になろうと何日経とうと、シンシアが姿を見せるまで飲まず食わずのつもりで。
それが、ドアは比較的早く開かれた。
王城の煌びやかな廊下に少しも引けを取らない華やかさでシンシアが立っている。
その場に跪きたくなるのをライアスは堪えた。
シンシアはライアスの言葉を待っているようだった。沈黙したままのシンシアに、そっと声を掛ける。
「まだ、怒っていますか」
「まだ?」
しまった。言葉を間違えた。シンシアは明らかに機嫌を損ねたようだった。
「あ、いえ、その」
シンシアは視線は合わさず、遠くを見ていた。
「ここに来た時はまだそこまで怒ってなかったのよ。でも、国王陛下の承認を得ずに軍を動かしたと聞いて、怒ってるわ」
カツ、と磨き上げられた廊下を一歩進む。ライアスは後ずさりしそうになって、何とか踏みとどまった。
「それから今、まだ、って言われて、余計に腹が立ったところよ」
「は……その、申し訳——」
「そのうち収まるとでも思ってるの?私が勝手に怒ってるみたいな言い方」
「い、いえ、そんなつもりは」
「そんなつもりじゃないなら——」
はたと止まる。
廊下では人目もある。
シンシアは気まずく眉を寄せ、くるりと向きを変えた。
「話をしましょう」
すぐそばの応接室に入ると、ライアスも後からついてきた。
ソファに腰掛けてライアスを見るが、いつまでも部屋に入ったところから動かない。
「ライアス、そこに立たれると——」
びくりと反応して、ライアスはその場に膝をついた。
「……座って」
「いえ」
「おかしいでしょ?ここは王城で人目もあるのに。ペンシルニアの公爵が床に座ってたら」
奥さんが尻に敷いてるなあ、では済まない。下手をしたら国の威信に関わる。
いい加減にしなさいというように言われて、ライアスはすごすごと対面のソファに腰掛けた。
カチカチだ。目はテーブルの木目でも見ているのか、じっと一点を見つめて動かない。
話があるから来たのだろうに、ライアスから言葉が発されることはなかった。
長い沈默が流れる。
大きな体でじっと固まっている姿を見ると、やっぱり心が揺らいだ。怒りもしぼんでくるから、結局自分はライアスに甘いんだ、と思う。
——いやいや。ここは絆されてはだめだ。
「昨日も一昨日も来なかったから、もう諦めたのかと思ったわ」
ふん、とわざと冷たく言ってみる。
王国騎士団長の座を退いてからは、王城に来る用事が極端に減っている。以前は毎日通っていたのに、今では週に一度くらいだ。
だからって、妻が城にいるのに毎日来ないなんて。
門前払いをしておきながら、そんなことを思ってしまう。
「——ご不便は、ありませんか」
しぼんだままのライアスがポツリと尋ねた。
「久しぶりの実家で、とっても快適よ」
とっても、を強調してみる。
「そうですか……」
また、沈默。
話が進まない。
もともと喋る人ではないから、話はいつもシンシアが主導していた。——今日はそのつもりはない。
また沈默が流れる。
「ソフィアの謹慎は一昨日、マリーの謹慎は昨日ときました」
「……はい」
部屋の空気は冷たく重苦しかった。
ここに誰か第三者がいたら、間違いなく呼吸困難を起こしていただろう。
ライアスも、これほどの緊張感を持ったのは人生でも初めてである。どんな戦場の緊迫した状態より、今この時が、苦しい。
「どうすれば、お許しいただけるでしょうか」
シンシアは答えなかった。
一体何を謝っているのか、それを聞かないことには話は進まない。
シンシアの金の瞳に見据えられて、ライアスは続けた。
「貴方に相談もなく軍を動かしたことです。本当に、ありえないことでした」
「本来、公爵夫人に一切の権限はないものね」
けれどライアスは、いつも相談してくれていた。
ワイバーン侵略時も、王都防衛戦の時も、ヴェリント攻防戦の時も。
行ってきます、これだけの軍を動かすので、後を頼みます、と。
今回はそれがなかった。
「とんでもありません!権限がない、などということは!ですが——そう、思われても仕方のないことをしたと、思います」
結果を見ればそうだということに気づき、ライアスの声は消えそうだった。
「初めは、がっかりした。怒りよりも」
「は、い」
「マリーを迎えに行くのに、軍を動かした理由は何?」
「万全を期し、一片の不安要素もなく、と思うと」
「国王陛下の承認を後回しにしてまで?」
「有事の際には、それが定石でしたので」
「これは有事なの?」
「——一大事、かと」
そう、ライアスの手には、いつもペンシルニアの軍隊がある。それがあまりに当然すぎて。
あるものを使うのに、それほど大きな決断はいらないのだ。むしろ躊躇うな、と叩き込まれている。
フォークを使うように。ペンを滑らせるように。手にあるものを、使うだけ。
その部分で、ライアスとの間にどれほど大きな差があるのか、思い知らされた。
シンシアはふと遠くを見る。
「あの時。ソフィアから、マリーはブラントネルに行ったって聞いて、心から安堵したでしょう?」
昔の誘拐のことが走馬灯のように甦って。あまりのショックに冷静ではなく、最悪のことばかり考えた。だからソフィアが教えてくれて本当に助かった。
「私はそれで力が抜けて、ほっとして。少し休んだじゃない?けれど貴方はそれで終わってなくて。その間にそのまま出陣していた」
気を遣って休ませてくれたのだろうけれど。
「起きたら、もぬけの殻になったペンシルニアを見た時の、私の気持ちがわかる?——もう、力が抜けてしまって」
ライアスの方が、愕然としていた。
想像したのだろうか、シンシアの気持ちを。
ライアスはシンシアのすぐそばまで進み出た。そこに膝をつき、項垂れるように頭を下げた。
「頭を下げて欲しいわけじゃないのよ」
「はい。ですが……。私が間違っていました。ペンシルニアの全ては、貴方のためにあるというのに」
「それも違うと思うのよね」
シンシアの台詞にライアスが顔を上げる。
「ペンシルニアも、この王国も。全てはそこで暮らす人々のためのものじゃない?」
たまたま、王家に生まれて、ペンシルニアに嫁いで。今は子供に恵まれて幸せに暮らしている。
でも、それが当たり前ではないって知っているから。できることをしてきたつもりだ。幸せな分、国民にも安心で暮らせる世を作るのは、当然の役目だと思って。
「一番理解して欲しかったのが、貴方だから。だから余計、悲しかったのかしら」
この十数年、シンシアが過去のことを告げてから。ずっとわかってくれていると思っていた。
「他でもない、ライアス。貴方だったから。私の思いをいつも尊重し、分かろうとあり続けてくれた、その貴方だったから。悲しくて」
「私は……何ということを」
「でも。貴方の手に武力があって、それを迷わず使わなければいけない立場でもあるから。私のこの考えが本当に正しいのか、わからなくなったわ」
「貴方は正しい」
今までとは違って、強くはっきりした口調だった。
「私が間違っていました。私事で軍を動かしたのは、いたずらに不和を生み、いらぬ争いを招く愚かな行為でした。二度としません」
二度と、とライアスはきっぱりと言った。
怒られるより、失望されるより。
シンシアが、自分が間違っているのかと悲しむ姿が一番こたえた。
「貴方の喜びが私の喜びです」
願いを込めて、頭を下げた。
「貴方の悲しみを全て取り除きたいと思いました。貴方が、泣きながらペンシルニアにいらした、その時から。だというのに、私は」
ぐ、と拳を握る。
「どうすれば償えるでしょうか」
シンシアはふとライアスの手に目が止まった。
シンシアは、この無骨な手が好きだ。
ごつごつとして、傷ついている硬い皮膚。剣を握るから、特にマメのあとはものすごく硬くて。
この手が国を守っているのだと思うと、愛おしくてたまらなくなる。
その手はいつも優しくシンシアに触れた。
強く握ったって壊れやしないのに、ふわりと、初めは遠慮がちに。そして次に撫でるように。
大きな手と自分の小さな手をつなぐと、おかしいくらいちがっていて。
その手からは想像もつかないくらいの繊細さで、ライアスは時々シンシアの世話を焼いてくれる。
髪をとかし、服を着せて。
紅茶を淹れた時には、シンシアの好きなシナモンを削って入れてくれる。大きくて武骨なその手が持つと小さく見えるシナモンが、ガリガリといともたやすく削られていく。
はあ、とシンシアは大きく息を吸って吐いた。
そう、積み上げてきたものが無くなるわけではない。
ライアスがここに来た時から、自分はすでに許していたのかもしれない。シンシアが悲しむと、自分のこと以上に狼狽えるライアスがいるから、いつもそうだ。
怒り続けるっていうのが、どうも難しい。
「貴方が淹れたお茶が飲みたいわ」
急に、ペンシルニアに帰りたくなった。
「すぐにお淹れします」
「毎朝、ね」
その答えに、ライアスは弾かれたようにシンシアをみつめた。
「貴方は私の好みを本当によく理解してれているから。これから毎朝よ?」
「淹れます」
キッパリと言い放つライアスに、シンシアはふっと笑った。
それだけでライアスは涙が出そうになった。
シンシアの笑顔だけで、世界が変わって見える。
「私にその喜びを与えてくださり、ありがとうございます」
この日から、ライアスは毎朝目覚めるシンシアのためにお茶を淹れるようになった。
このお茶とスパイスの研究は、第一線を退いたライアスの新たな趣味になったのだった。




