40.
一度行ってみてもいいわよ。
——4日目になってようやくシンシアにそう言われて、アルロはエイダンと共に牢獄へ足を運んだ。
ブラントネルと同じく、ファンドラグ城の牢獄も地下にある。暗くてじめじめしているのも同じだ。
こんなところに。
あまりにもマリーヴェルに不似合いな場所に、アルロは胸が締め付けられた。
見張りの兵士はエイダンを見るとかしこまって敬礼をする。エイダンはそこに留まった。
「僕が行くと、また騒ぎ出すだろうから。ここで待ってるよ」
ひそひそとそんな風に言われ、右手の奥を指された。そこにいる、という事らしい。
マリーヴェル以外の牢獄はすべて開いていた。もともとここは一時的な拘置所で、もっと大きな牢獄は別の場所にある。
「姫様……」
そっと呼びかけてみる。
がさっ、と音がして、ガラガラガラ——と、何かが転がる音。
「あ、あ、アルロ!?」
中から聞こえる声は元気そうだ。アルロは暗闇に目を凝らした。
窓すらないので、かなり暗い。
「姫さ——」
「い、いやあああああああ!!」
ものすごい叫び声が牢獄中に響き渡った。
石畳に鉄格子だから、音が反響して非常に良く響く。
「な、なんだ!!」
兵士らが慌てて駆け付けたほどだった。
「どうされましたか!」
「ネズミですか、トカゲですか!」
どうやら悲鳴を上げたのは初めてではないようだ。
「やめて!照らさないで!」
ろうそくの明かりで中が少し見える。マリーヴェルは部屋の隅で、丸くなっていた。膝を抱えて顔も覆って、様子が分からない。
「こ、こんな姿見せられないわ。アルロ、目をつぶってて!」
「は、はい」
「……………」
「……………」
何と言っていいか分からず、沈黙が流れる。気まずい雰囲気に、兵士もまた顔を見合わせながら去って行った。
「——申し訳ありません、姫様」
「どうしてアルロが謝るの」
「僕のために国境を越えてきてくださったから」
「違うのよ。アルロは悪くないのよ」
でも、アルロの事がなかったら、ここまでマリーヴェルは無茶をしなかったはずだ。いつも、どれほど不自由でも、ペンシルニアの中からは出ようとしなかった。護衛が大変そうだからと、旅行もいつも何かに便乗する形でしていたのを、アルロは知っている。
元々はここまでの無茶をする性格ではないのだ。
「僕は姫様が来てくださって、本当に嬉しかったんです。嬉しいと思ってしまったから、僕も同罪なのに」
代わりには無理でも、せめて、いっそ共に牢獄に入れてもらえたらいいのに。
マリーヴェルはまだ丸まったままだった。
「アルロ……私ね。少しも後悔していないの。アルロに何かあったら真っ先に駆け付ける人でありたいって思っているし、それは今でも変わらないから」
目を開けていいわよ、と言われ、言われた通りにアルロは目を開けた。
「——でも、その過程がまずかったのよね。頭に血が上っちゃって、何としても、最速で駆け付けたかったの。手段なんてなんでもよかった。だから。悪いの、私が」
そんなことはないと、言いたかった。
けれどマリーヴェルのこの反省を、アルロは邪魔をしてはいけないような気がして。そっと鉄格子に手を掛ける。
「姫様……お腹が空いていませんか。ご飯を食べられていないと聞きました」
ふ、とマリーヴェルが笑ったような気がする。
「すごいのよ。ここで出る食事。今まで食べたことないような——あ、そういえば昔アルロが言ってたじゃない、ヨナキダケの味。古くなった水の味って。私、古い水って初めて飲んだの。少し匂うのね」
公女であるマリーヴェルに、なんていうものを飲ませているんだ。アルロは驚きすぎて声が出なかった。
「お腹も空いてないし、全然平気。ただ——せっかくアルロと同じ場所にいるのに、手を繋いだり、話したりできない。つらいのは、それだけ。アルロ……こんなに好きなのに。うまくいかないの。ごめんね……私が、馬鹿だから」
ぐすん、と洟をすする音がする。泣いているのだろうか。
「姫様……」
鉄格子を握る手に力が入る。
今にもこれを壊してしまいそうだ。
「——懲らしめたくて投獄したんじゃないのよ」
声がして見れば、いつの間に来たのか、入り口のところにシンシアが立っていた。
どこから聞いていたのだろうか。シンシアもこの牢獄にはあまりに不似合いな格好だ。ゆっくりと近づいてくる。
「マリー。顔を上げなさい」
シンシアに言われてマリーヴェルはゆっくりを顔を上げた。涙に濡れて、目の周りは真っ赤だった。
やつれたようには見えないが、髪は乱れ、服も皺だらけになっている。
ずずず、とまた洟をすする音。
マリーヴェルにとっては、牢獄に入れられることよりも、アルロに会えないという事の方がよほど堪えたようだ。
返事もできないほどに泣き腫らしていた。
「その涙は何の涙なのかしら」
「——なさけなくて」
うう、とまた涙。
「アルロにそんな顔、させたくなかったのに」
アルロを悲しませるものを取り除くのがマリーヴェルの役割なのに。自分が悲しませるなんて。
「貴方は、もう。——全てがアルロなのね」
シンシアがやれやれ、と言う。
アルロが傷付いたから反省する。アルロのために法を犯す。
それでも、アルロのために正しい道を選べるのなら、それも一つの正解になるのだろうけれど。
「マリー。さっき自分で言ってたわよね。過程が間違っていた、って」
「……うん」
「マリーヴェル。私はね、法を守るということを、もっと重く考えてほしいの。自分の行動の一つ一つ、その余波が思わぬことにつながるかもしれないって」
ぽろり、とマリーヴェルの目からまた涙がこぼれた。
「もし今回のことで戦争になってごらんなさい。ファンドラグ所属である貴方が、ブラントネル国王のところにいる、それだけで、世界はどちらの味方をすると思う?貴方の行動で、ブラントネルは窮地に立たされたかもしれないのよ」
「分かって——分かったわ。だから情けないの」
自分のせいで、世界がアルロの敵になる。考えただけで戦慄する。
「勉強しても、勉強してもちっとも賢くなれない。私は学園をやめたあの時から、少しも賢くなれてない」
「そんなことないです」
アルロが声を大きくした。
「知識を得られたからこそ——見えるようになったからこそ、姫様は去年、僕に仰ったんですよね。ブラントネルには、まだ、いけないって」
時計塔で言われた時に思ったことだった。
まだまだ足りない、そう思える程になったことこそが成長だ。そこに来るまでにとてつもない努力が必要だっただろう。
子供の頃、古文の向きすらわからず、勉強なんて必要ないと言っていた時を思えば。
「僕も分かってませんでした。ただ残念に思って、勝手に焦って。でも、違いました。姫様が着実に準備を進めてくださっているってわかって。僕も、もっと頑張らないとって」
「アルロ……」
「マリー。ちゃんとアルロを見なさい。アルロはもう、昔のように傷ついた子供じゃないでしょう?」
言って、シンシアは手を叩いた。
エイダンがカギを持ってやってくる。
「アルロをもっと信じなさい。貴方はいつも、誰よりもアルロを信じていたけれど」
エイダンが鍵を開けた。
「さあ、十分反省はできたようだから、ここから出て、夕食にしましょう」
——こうしてマリーヴェルの謹慎も解けた。
無知の知と言いますが
学習して色々分かるようになってきた時が一番苦しかったり、しませんか?




