37.
扉を越えても、シンシアの出迎えはなかった。
長い廊下を進み、シンシアが使っている部屋までエイダンが2人を連れていく。
「おかえりなさい」
シンシアは部屋でにこやかに出迎えた。
「長旅で疲れてない?アルロは行ったり来たりで大変だったわね」
「いえ。前回は、帰ってしまい、その……」
「いいのよ」
殴られたところはどう?と聞きたかったが、シンシアは言葉を飲み込んだ。
きっと答えは決まっている。
それに、どうなんだろう。敗北により負った傷のことに触れられるのは、嫌かもしれない。
見た目には何ともなっていないから、あえて聞かなくてもいいか。
「元気だった?ブラントネルのみんなも」
「はい。おかげさまで。いつもありがとうございます」
前回会えなかったから、久しぶりの再会だ。
「マリー。どこに行こうとしてるの?」
アルロにかけていたのと、声のトーンがガラリと変わる。あまりの変わりようにアルロも目を見開いた。
部屋を出て行こうとしていたマリーヴェルが止まる。
「ソフィアの、ところ」
「行ってどうするの?」
「ばらすのが——」
早いわよって文句を言いに——と言おうとして、はたととまる。
まずい。
シンシアが、かなり怒っている。
顔は笑顔だ。その張り付いた笑顔の下に、絶対零度の怒りを感じる。
流石にマリーヴェルもわかった。度々叱られたことはあるが、これは過去最大級のやつだ。
「ばらすのが、何?」
「……………」
こういう時は黙っているに限る。
マリーヴェルは言葉がうまく選べないから、下手なことを言っていつも悪い方に向かう。黙ってやり過ごすのが一番早く終わる。
そう思って黙るのも、シンシアにはお見通しだ。
今日は許すつもりはなかった。
「貴方がいなくなったのがわかった時のペンシルニアが、どれほど混乱し、大騒ぎになったか」
そんなに?マリーヴェルがエイダンを見るが、エイダンも黙って頷いた。
決して大袈裟ではないようだ。
ペンシルニア中を震撼させ、地獄のような殺伐とした空気の中、いよいよ全軍出陣しようとしていたのだ。皆が取り乱していたし、両親そろって正気ではなかった。ソフィアが話していなかったらどうなっていたことか。
「ソフィアには、今は会えないわよ」
シンシアの声は静かなのに、何故だろう。空気がものすごく重い。
「会えないのは、どうしてかって?謹慎中だからよ。謹慎中、ってわかるかしら。してはいけないことをして、反省を示す為に部屋で自分を見つめ直しているの」
何度もさせられたことのあるマリーヴェルが知らないはずがない。
「へ、へえ……」
「へえ?」
「あっ、その。ごめんなさい。心配をかけて」
マリーヴェルも、シンシアには素直に謝った。
シンシアは殊勝な様子に見えるマリーヴェルに、はあ、と息を吐き腕を組んだ。
「そう。じゃあ、聞かせてちょうだい?親にも言わず、護衛もつれずひとり国境を超えた理由を」
「1人じゃないのよ」
じろりと見据えられて、マリーヴェルが口をもごもごとさせた。
「だって。お父様が。そんなの……」
マリーヴェルが何を言いたいのか、何を思っているのか、聞かずとも、シンシアには分かっていた。
アルロが傷つけられた時、アルロ自身が痛みに鈍感な分、マリーヴェルが必要以上に反応すると言うのは、もう何年もそうだった。
「頭に血が上ると馬鹿なことをするのは、ペンシルニアの血筋なのかしら」
言葉が足りないのも。
説明できないから相談できないのだろうか。この直感で動くのをどうにかしたい。
難しいと思ったとしても、言葉でシンシアを納得させられるくらいでないと。
「——ねえ、マリー。その時、お母様の顔は浮かばなかった?相談しようとは思えなかったのかしら」
「……許してもらえないと思って」
アルロへの思いと、ライアスへの反抗心から来た家出なのだろう。
思春期の子供の家出を、シンシアだってそこまで大事にしたくはない。しかし、大事になってしまうのが、ペンシルニアという家だ。
そしてマリーヴェルはもうすぐ16。今は大切な時だ。
来年手元を離れるのなら、余計に。ここで手を緩めるわけにはいかない。
「貴族が国境を越える時には事前に申請がいること、知ってるわよね?」
「え?ええ。貴族法……」
「つまり貴方は、ファンドラグの法を犯したの。——騎士団長、違法越境者の処遇は?」
エイダンが背筋を伸ばした。自分が怒られているわけではないのに、緊張感が漂う。
「禁錮五年、爵位降下、又は罰金刑、です」
シンシアは頷いた。
「部屋は用意しなくていいわね」
「え」
「今の中でマリーヴェル、貴方が贖えるのは、その身体をもってする禁錮刑しかないようだわ」
「え、母上——」
まさか。
シンシアはエイダンに視線をやった。
「何をしているの?王国騎士の職務を果たしなさい」
冷たく言い放つ、まるで王族のような物言い——いや、かつてはそうだったのだろうが。
驚くエイダンとマリーヴェルの側から、アルロが一歩前に出る。
「奥様。何とか、お許しいただけないでしょうか」
部屋を用意しない——つまり、牢獄という事だ。そんなところにまさか、ペンシルニアの公女が入るなんて前代未聞だ。いや、それ以前にマリーヴェルを拘束させるなんて。
「すぐにお知らせしなかった僕に、非があります。ご心配をおかけして申し訳ありませんでした」
青ざめたアルロの言葉にもシンシアは動じない。
「それは、ブラントネル国王として言っているの?」
「え……」
ライアスと同じようなセリフ。
アルロは混乱した。シンシアの質問の意図が分からなくて。
「アルロ。貴方はこんなところにいていいの?ライアスのせいで、軍団が来て、国民は不安に思っているんじゃないかしら」
それは帰れと言っているのだろうか。
「マリーヴェルのわがままに付き合ってここまで送り届けてくれたのよね」
確かにマリーヴェルは、1人では帰ってこなかっただろう。アルロが一緒に帰ろうと言わなければ、もっと泥沼化していたと思われる。
そして、一緒に帰国して一緒に謝罪をして丸く収まる——アルロもそう考えていた。まるで違う流れに、返答に詰まった。
「貴方達2人とも、それぞれに、考えなくてはいけないことがあるようね」
シンシアは心底がっかりした、というようにため息交じりにそう言った。




