34.大魔神の妻
いつもありがとうございます。
場面代わりまして、ファンドラグです
シンシアは城のテラスから見えるペンシルニア邸の屋根を眺めていた。
「はあ……」
今日、何度目かの溜息が出る。
「そんなに気になるなら帰ったらいいのに」
いつの間に来たのか、ノックもなくこの部屋に入って来て、ソファに座っている。
「——エイダン。暇なの?」
今日だけでもう、3回目の訪問である。
「暇じゃないよ。父上が放り出していくから、ペンシルニアの仕事もあるし。王国騎士団の仕事は、要人が一人増えたから余計ややこしいし」
要人——シンシアの事である。
「いいのに、私の事は放っておいて」
「そうはいかないってわかってるでしょ」
エイダンはテラスまで歩いてきて、シンシアの横に並んだ。すっかり大きくなってしまって、真横で見上げると首が痛いくらいだ。昔、ここに並んだ時には、片手でだって抱けるくらいだったのに。
王室騎士団長の紫のマントが、風に揺れている。
他でもない国王陛下直々に、シンシアの警護には万全を期すように言われている。エイダンはシンシアが実家に帰って来てからと言うもの、しょっちゅうこの部屋を訪れる。
「貴方も真面目ねえ」
「いやいや。王命に逆らうわけにいかないから」
ライアスも相当な過保護だと思うが、オルティメティも底知れないシスコンだと、エイダンは思っている。くれぐれも、と念を押された。一体王城内部でどんな危険があると言うのか。
シンシアは先ほど伝書鳩が運んできた紙を眺めている。
「マリーヴェルは見つかったみたい。アルロと一緒に帰って来るんだって」
「まあ、僕はそんなに心配してなかったけどね」
いなくなった時には大騒ぎになった。跡形もなく忽然と姿を消し、仲の良いベラも知らないと話した時には誘拐も疑ったほどだった。元乳母であり専属侍女のレナはその場に泣き崩れていた。
全軍を上げて——となった時、ソフィアが口を開いたのだった。
エイダンはうすうすそんな気はしていた。調査団に同行したのなら無事に到着しただろうし、アルロと合流できたのなら大丈夫だろう。
そのソフィアとアレックスは現在、謹慎を言い渡されて、城の部屋にいる。
結局、ペンシルニアの屋敷は今、誰もいないのだ。エイダンも城に詰めている。
「父上が帰ってきたらどうするんですか」
「さあ……どうしよう」
「母上がここまで怒るとは思っていませんでした」
「怒る……ねえ」
実際、激怒、とは少し違う。
手紙に書いた通り、失望に近い。がっかりしたらなんだか、力が抜けてしまって。
ライアスの考えも、分かる。マリーヴェルの事を心配しているというのも。
ただ、そこから軍を動かすという事に至るのは、シンシアが大切にしてきたものを無視されているようで。
マリーヴェルを万全を期して守りたい気持ちはシンシアだって同じだ。同じだけど、兵を動かそうという発想にはならない。
根本的に分かり合えないと思い知らされた気分だ。軍人の妻として、これではいけないのだろうか。
「母上が平和を何よりも大切にしているのは知っているけど。そこまで怒る事?マリーヴェルが他国に渡ったことが広まれば、軍を動かすくらいの方が守れると思うけど」
もちろんその思惑もあるのだろう。けれど、それならブラントネルに報せを入れてから動かせばいい。
あんな脅しをかけて喧嘩を売るような真似をするなんて。
「あ、弱い者いじめが気に入らないの?」
「まあエイダン」
シンシアは呆れたように向き直った。
「アルロのどこが弱いって?」
「母上って……結構、アルロを贔屓してるよね」
「えっ」
珍しいことを言うから、シンシアは驚いた。
エイダンは今まで妹たちにやきもちのようなものを焼いたことが、ほとんどない。マリーヴェルとは大違いで、常に妹には寛大だった。
父上は妹には甘い——なんて、言われても仕方ないと思うのに、言った事がない。
だから、贔屓という言葉が出ると、よっぽどそうなのかと思ってしまう。
「……そんなに考えこまなくても」
「そんなふうに、考えたことなかったわ」
「なんていうか、神経質——繊細に?まあ要するに、気を遣ってるよねアルロに」
「それはね、まあ……」
どうしても気になってしまう。ペンシルニアに運び込まれたときの悲惨な様子を知っているし。
アルロ自身が、主張をしない子供だったから。
「——そうね。だからこそ、私は貴方達が本当に誇らしかったわ」
子供達は自然体で、ただ普通にアルロと遊んでいた。特別扱いも、余計な気遣いもせずに。
きっとアルロを一番癒したのはそれだったのだろう。
「話のつながりはよくわからないけど——やめてよ。ここは僕の職場なんだから。人の目があるんだから」
エイダンがじり、と数歩下がった。シンシアから頭を撫でられるか、激しめの抱擁をされるのを察知したらしい。
「あら、だれも見てないのに」
こっちだって、成人した息子相手にそんなスキンシップを無理強いするつもりはない。
シンシアは諦めてまたペンシルニアの屋敷に視線を戻した。
「はあ……」
また溜息が出てしまう。
もうじきライアスたちが帰って来るだろう。さて、どうしたものか。
マリーヴェルは謹慎させるとして。
マリーヴェルをシンシアの目の届くところで謹慎させようと思うと、やはり城になってしまう。そうなるとライアスとアルロだけがペンシルニア邸に——いや、それはまずい。
「父上はここに帰還するんじゃないですか」
「そうねえ……」
「話を戻すけど。気になるなら、帰ったらどう?」
「……………」
気には、なるけど。今帰っても、ライアスと普通に話をする自信はない。
どうしてそんなに怒るんですかとか言われた日には。思わずきつい言葉を掛けてしまいそうだ。ライアスはそれに耐えられないだろう。——いや、何で私が気を遣わないといけないのか。
はあ、とシンシアはまた溜息をついた。
シンシアの中の前世の記憶が、戦争への拒否感を強めている。
でもライアスは軍人で、戦争が身近にあり、経験者でもある。有事の際は真っ先に軍を動かす人だ。そこを躊躇してはいけないというのも分かる。
考え方が違う。でもやっぱり、アルロの国へ軍を動かすのはやりすぎだ。
「母上がここにいたら、話がややこしくなりそうじゃない?もともとは、アルロを認めないっていう父上に、マリーヴェルが反抗したのが始まりでしょ」
「まあそうなるのかしら」
「母上はそこの仲裁はしないの?」
「……………」
「母上は、父上が何を考えているのか分かってるの?僕も不思議なんだけどさ。何であんなに反対するんだろう」
「……………」
「母上?」
この子は、小さい時からそうだけどよく喋る。一時期喋らなくなったかと思ったのに、大人になったらまたよく喋るようになった。
そういうところが可愛いんだけど。
今は話せることはない。
「黙秘」
「ふうん……」
エイダンはそれ以上何も言わなかった。
「——なんか、こうしてここのテラスからの景色——前も母上と見た気がする」
「あら、覚えてるの?」
「夢かな?」
「あったのよ。貴方が2歳の時に、ペンシルニア邸が襲撃にあって、ここから屋敷が燃えているのを見たのよね……」
そんなに昔の事でもない。あの時まだ喋るのもたどたどしかったエイダンが、今やこうしてシンシアよりも大きくなってしまって。
大きく——そうだ。
「エイダン。貴方、結婚式の準備はどうなっているの」
「さて、僕は巡回に——」
「待ちなさい」
マントの裾を握って、そのまま一緒に室内まで入る。手近にあった呼び鈴を鳴らした。
「せっかくお城に来たのだから、サクサク準備を始めるわよ!」
「ええ……」
メイドが一人やってきた。
「お呼びでしょうか。公爵夫人」
「ええ。お茶の用意をお願い。それから結婚式に使う——そうね、まずは結婚式に関連した式典礼法の本を持ってきてくれるかしら。掲げる紋章旗のカタログと、花——はまだいいか」
「承知いたしました」
心得たもので、もう一人メイドがやってきて、お茶を淹れてくれる。
エイダンは諦めて椅子の一つに腰掛けた。
「——じゃあ、まあまずは、母上の結婚式の思い出話でも聞いてから始めようかな」
「エイダン……」
シンシアは勢いづいた姿勢を戻し、ゆっくりと自分も腰掛けた。
対面に座ったエイダンが楽しそうに笑っているのを見て、やれやれと眉を寄せた。
「貴方、もしかして、分かってて言ってる?」
エイダンは面白そうに、声を出して笑う。
「いや、もうさ、この年になったら純粋に知りたい。今の二人からは想像もできないほどの冷え切って凍り付くようなエピソードを、聞いてみたい」
「エイダン……」
こうなったからこそ笑い話にできるでしょう、というように。
逞しいと言うか、何と言うか。
どう考えても子どもに聞かせられる話ではないので、取り敢えずシンシアはエイダンの子どもの時の思い出話をすることにした。
はい、妻です。
そこの大魔神の。みたいな(笑)




