28.
「とりあえず、夜も遅いしもう寝ましょう」
マリーヴェルは当然のようにベッドへ向かった。
「——あ、そうですね。おやすみなさい」
「何言ってるの?アルロも寝るのよ」
「え」
「だってここはアルロの部屋じゃない」
「僕は、ここで大丈夫です」
アルロはソファから動かなかった。
他に部屋がないわけではないが、このままマリーヴェルを置いて出て行くのは心配だ。だから今日はソファで。
アルロは当然の如く、寝ずの番でもしてしまいそうな勢いだった。マリーヴェルは力ずくでアルロの手を引いてベッドまで連れて来た。
「はい、寝て」
「と——」
ぽすん、とマリーヴェルはベッドに腰掛けた。驚いたまま固まっていたアルロだったが、手を引かれてもさすがにベッドまでは動かなかった。
「とんでもない!」
「私は構わないわ」
「かっ……」
アルロは顔が真っ赤になってうつむいた。口をぱくぱくと動かして、何か言おうとするも言葉にならない。
やがて、消えそうな声を絞り出した。
「いけません、姫様」
「そんな顔をされると……私がいじめているみたいじゃない」
マリーヴェルは両手でそっとアルロの手を握った。
「手を繋ぐだけ。——だめ?」
真剣な目でじっと見上げられる。
アルロは、この顔に弱い。
いや、マリーヴェルの頼みを断れたことなど今まで一度もない。
「手を、繋ぐ、だけ」
これは、自分に言い聞かせるように言っている。
幸いベッドはとても大きくて、離れて寝ても落ちないくらいだ。
マリーヴェルがごろんと横になったそこから人一人分の距離を開けて、アルロは恐る恐るベッドに入った。ひやりとしたシーツが、いつもと違うように思うのはマリーヴェルの香りが移っているからだろうか。
既にマリーヴェルは満足そうな顔で目を閉じている。
それを見てアルロはごくりと唾を呑み込んだ。
これは——拷問だ。
アルロとマリーヴェルは手を繋いで、抱きしめ合ったことはあるが。口付けは頬にだってしたことがない。恐れ多くて、手に口付けた時ですら震えていたんじゃないかと思う程だ。
抱きしめ合うのだって、ほとんどマリーヴェルから。
そんなアルロにとって、これは刺激が強すぎる。
もっと触れたい。けれど、身動き一つしてはいけない気がする。色々と、まずい。
アルロは何度も深呼吸して、唾を飲み込んで。
目を閉じて無防備になっているマリーヴェルの横顔を見つめた。
銀色の長い睫毛がよくわかる。寝息に合わせて微かに揺れている。シーツの上に広がる髪の毛一本一本まで、ただ尊くて愛おしかった。
見つめながらも、この場所にマリーヴェルがいることがまだ信じられない
いつもの殺風景な部屋に、マリーヴェルだけが異彩を放っていた。ここだけに色彩が輝いているようだ。
この部屋はマリーヴェルにはふさわしくない。そんなことを考えていた。
こんなことなら、侍女頭の言うことにしたがって、もっと飾りつけていればよかった。装飾品は残らず売ってしまうか、掃除が大変かと思い宝物庫にしまっている。
すやすやと眠るマリーヴェルの寝顔は、無垢で、真珠のような肌も、ふっくりと形の良い唇も……天使のようだ。
このまま徹夜して見ていたい。
「ん……」
しまった。見すぎただろうか。自分だって、人の視線はすぐに察知する。こんなに至近距離で見つめられたら、流石のマリーヴェルも気づくだろう。
マリーヴェルは薄目を開けて微笑んだ。銀の睫毛に覆われて、アルロが見えているんだろうかと、至近距離だとそんなことを考えてしまう。
「だめよ、アルロ。目を閉じて」
そう言ってするりと繋いでいない方の手が伸びて、アルロの目に被さった。マリーヴェルの温かくて柔らかい手だ。
そのまま、すう、と寝息が聞こえる。
繋いだ手の感触が柔らかい。
マリーヴェルの甘い香りがする。
「ーーーーっっ」
目を閉じたら五感がより研ぎ澄まされて、更に心臓が跳ね上がるようだった。
理性を総動員させて、ちょっとくらい触れても——などと考える自分を頭の中で押さえつける。
微動だにしてはいけない。指一本、髪の毛一本すら動かしてはいけないという緊張感。
——でも、幸せだ。
マリーヴェルの手の温かさに力が抜けていく。
この存在を感じて、満たされて。
昔から今まで、ずっとそうだった。きっとこれからも一生そうだと思う。
マリーヴェルに触れるだけで、世界は美しく色彩を帯びてゆく。
ノックの音に目が覚める。アルロははっと目を開けた。
朝だ。
いつのまにか寝てしまったらしい。外はかなり明るくて、いつも起きる時間よりも遅いことが分かる。
手はつないだままだった。シーツの上に、マリーヴェルの顔は分からない。銀の髪が揺らめいていて、きっとそれをかき分ければ顔が見えるのだろうけれど。手を伸ばすのもためらわれて、アルロはそっと繋いでいた手を離す。
「——陛下、お目覚めですか」
「あ、待って」
マリーヴェルを起こさないようにゆっくりとベッドから離れて、アルロはドアへ駆け寄った。
時計を見ると、朝の9時半。いつもならとうに起きている時間だ。今日は休日だからゆっくり寝かせてくれていたのだろう。
そっとドアを開くと、ヒューケが立っていた。
「あれ?一体……」
昨日と同じ服だ。あの後城に泊まったのだろう。
「フォード伯爵の娘が、と聞きました。ご無事ですか」
「あ——」
そうだ、昨日の事をすっかり忘れていた。地下牢に入れたんだった。
ああいう事があるといつもならしばらくモヤモヤとするのが、マリーヴェルといたら吹き飛んでしまっていた。
「それで来てくれたんですね」
「帰ろうとしたら、報告を受けましたので」
「休日なのに、すみません」
「それは陛下もでしょう……。私の方で処理しておいてよろしいでしょうか」
やってくれると言うなら任せよう、と思った。
マリーヴェルがいる以上、今日はこの部屋から出ることも難しいかもしれない。
家に黙って出てきて大事に——なっているだろう。間違いなく。どうするのか考えないといけない。正直、伯爵令嬢に構っている暇はない。
「お願いします」
「——陛下?」
いつもなら部屋に招き入れて話をするのに。いつまでも半開きで、アルロもドアから出ようとしない。
ヒューケもさすがにおかしいと思い、視線が室内に移動した。それを隠すようにアルロが少し動く。
「……………」
ヒューケは更に怪しい、と言う顔になってしまった。
「陛下、お召し物が昨日と同じですが」
「宰相も。お疲れ様です。あ……そうだ、令嬢に口止めをしないと……」
「口止め?」
「その……」
ちら、とドアのところにいる近衛二人を見る。
「我々は、何も見ていません」
言ってないよ、と言いたいんだろうけれど。それでは何かあると言っているようなものだ。
「陛下?一体どうしたのですか」
「あの……驚かないでほしいんですけど」
説明するつもりでは、いる。下手をすると国家間の大問題だ。
ただ……何と言っていいのか。
それに、マリーヴェルはまだ寝ている。寝起きを他の人間に見せるわけにはいかない。——いや、自分も見ていいのだろうか。
そう思っていたら、もぞもぞとベッドのシーツが動いた。
「アルロ?おはよう……ふわぁあ」
マリーヴェルの声は良く通る。
ヒューケはぎょっとして固まった。
「良く寝た。あんなに休憩なしでずっとって、初めてだったから。体が痛くって。こんなに寝過ごしちゃったわ」
そりゃあ、慣れない移動で疲れただろう。疲れたのだろうが、その言い方では誤解を招く。
ヒューケとこの近衛らであれば、余計なことは言わないだろうが……。
「あー、その……」
「陛下……?空耳でしょうか、私の耳に……」
「ちょっと待って。説明するから。ちょっと……」
アルロは10秒程度、必死で頭を回転させた。
しばらくの沈黙の後、寝起きの頭で考えて、ヒューケにお願いするしかない、と思い至った。
「——口の堅い侍女を一人、寄こしていただけますか」
それだけでヒューケには分かったのだろう。顔を真っ青にして同じく数秒、その場に固まった。
新たな試練だアルロ(笑)




