25.
アルロが馬を走らせてブラントネルに辿り着く頃には、日が傾いていた。
日の入りになると門が閉まるため、この時間帯は出入りで首都の門も城門も少し混雑する。深くフードを被って身分を隠しているため一番後ろに並んで順番を待った。
別に国王になる前のように顔も隠さず気軽に通り過ぎてもいいのだが、そうなると周囲に気を遣わせてしまう。警備の面だとか、威厳がとか言ってヒューケからもあまりいい顔をされない。
とはいえ、門番とは顔見知りなので、順番待ちの間に見つかってそわそわとされている。
「——お、お帰りなさいませ……」
身分証を確認する仕草をしながら、小声で言って頭を下げられる。
「ぎりぎりになってしまって、すまない。いつもご苦労様」
今朝出発するときに挨拶をした門番だった。その日のうちに帰ってきて驚いただろう。自分がペンシルニアに行って帰って来た間ずっと働いていたと思うともっと労いたいが、あまり会話をすると目立ってしまう。
最低限の言葉だけを交わし、アルロは城内に入った。
内城に入ったら上着を脱いで、そのまま執務室に向かった。ペンシルニアに行く時は、あちらですべてそろっているから荷物もほとんどない軽装だ。自室による必要もない。
3日程留守にすると言っておけば、書類は執務室に積みあがっていく。どうせ時間もあるし、寝る前に確認してしまおうと思った。
夕食前の少し慌ただしくなった廊下を歩くと、メイドを一人呼び止めた。
「予定を変更して帰って来たんだ。簡単な物でいいので、執務室に夕食を運んでもらえるかな」
「承知いたしました」
そう言ってメイドは頭を下げ、アルロの顔を見てぎょっとした顔をする。
「へ、陛下……」
「よろしく」
何だろう……そう思って、そういえば顔に痣があるのかと思い出す。
そんなにひどい顔だろうか。執務室に入ったら鏡で確認しようと思う。
——心配だよ。アルロはさ、人より痛みを感じにくいようで。
昔そう言ったのは、一緒に訓練した時のエイダンだった。
——僕の傷にはすぐ気づくのに、自分の傷には無頓着なんだから。
そんなことを言いつつも、かすり傷を気にしないのはエイダンもだと思うのだが。
長男気質なエイダンの顔を思い浮かべていると、すぐに執務室前に辿り着く。ちょうどヒューケが入ろうとしているところだった。
「宰相」
声を掛けるとヒューケが振り返る。
「陛下、お戻りはあ——」
ヒューケの目が見開かれた。
「へ、へいか、そ、——」
常に冷静沈着なヒューケが言葉を失うというのも珍しい。アルロは片手で頬に触れてみた。
「そんなにひどいですか?」
そう言って脇をすり抜け、先に執務室に入った。上着を掛けて、その横の鏡で確認する。
痣の範囲が広がって、頬全体が腫れ上がっていた。
確かにちょっとひどい顔だ。唇も切れている。これはきっと、唇も明日腫れるだろう。
合わせる顔がないと思ったけど、文字通りマリーヴェルにこの顔を見せなくてよかったと思った。
「だ、誰にやられたのですか。陛下にそんな傷を負わせるなど……どこで」
「あー……」
まさかペンシルニアでされたとは思っていないようだ。それもそうか。かといって、アルロを負かせることのできる人間などそういないことも知っている。
「その……ちょっと、訓練で」
アルロはこれまでほとんど嘘をついたことが無い。
最大の嘘が結局、とんでも無いことにつながったから、ほとんどトラウマに近い形で嘘が苦手になっている。自分でも声が上ずっているし、目は泳いでいるしで不味いなと思った。
「陛下……国王として嘘がつけないのは少々問題があるかと思ってましたが、今日ばかりは素直なその性格に感謝です」
ずい、と一歩進んでくる。ここで怯んだらだめだ。
アルロは平静を装っていつもの執務机に座った。
「今日の夕食はなにかな……」
といいつつ、書類をパラパラとめくる。
トン、とその書類を手で押さえられた。
「陛下」
「心配かけてすみません。大丈夫ですから」
「盗賊の類でしたら治安対策の見直しをします。仲間でしたら吊し上げます。落馬したのなら道を整備しましょう。もし——」
ものすごい早口で、口を挟む暇がない。
「考えたくはありませんが、もし、万一、ファンドラグのどなたかでしたら」
「待って」
「その時は……」
ヒューケは大きく息を吸った。眉間の皺が深い。
「全力で抗議いたします。場合によっては——」
「や、その」
「対立も、やむなしかと。——我らは……我らは確かに、ファンドラグの助力なしには成り立たなかった。しかし……」
ヒューケにしてみれば、究極の、苦渋の選択なのだろう。
「貴方はこのブラントネルの国王なのです。その髪の一本まで、欠片たりとも傷つけられた時に、許すわけにはいかない。ましてやそんな……」
このままではヒューケはファンドラグまでこのまま駆け出していきそうだった。ヒューケは冷たい人のように思われがちだが、実は心配性で苦労人でもあるのだ。
アルロがまだ若くしてここに来てからと言うもの、親代わり、兄代わりになって面倒を見てくれたせいもあって、ブラントネルの中ではやや過保護な部類にも入る。
アルロは慌てて両手を上げる。
「宰相の覚悟はわかった。わかってます。ただこれは……。本当に、個人的なことで」
「個人的!?」
あ、しまった。間違えた。
「でしたら尚更捨ておけません。誰ですか」
「いや……」
「個人的に、ということは、貴方をブラントネル国王と知っての上でのことですね」
その時。
執務室のドアが開く。
「よぉ、陛下が戻ったって聞い——っおお、なんだその顔!!」
スタンレーである。
「将軍、ノックくらいして下さい」
「しなかったか?——いや、それよりどうしたんだそれ。痛々しいな」
「私もそれを今お聞きしているところです。まだ教えて下さらないのです。個人的な事だと」
スタンレーはまじまじとアルロの顔を眺めた。
もうこの話、止めないかな……そう思ってアルロは抑えられた書類を数枚抜き取って読むふりをした。
「そりゃあ、拳だな。うまい事入ってるな……一撃でこんなにできるってのは、相当な手練れだ。となると相手は……騎士か?」
なかなかに、鋭い。
喋ったら速攻でばれそうなので答えられなかった。
「うーん、兄弟喧嘩ってんなら、まあ俺にも覚えがある。あれか?あの、公子様か?」
「兄弟げんかで、ここまでなりますか?やりすぎです。優し気な方かと思っていましたが……」
「違います」
エイダンの名誉の為にも、それは否定しておかねばならないだろう。
話に戻って来たから、ヒューケが再度身を乗り出した。
「では一体、誰なのです。まさか、ファンドラグで何か陛下に、反感を持つものが——」
「ないです。皆、相変わらず温かく、優しく受け入れてくださっています」
「では——」
「まあまあ、いいじゃねえか。陛下が言いたくねえて言ってんだから」
スタンレーに取りなされて、ヒューケは一旦黙った。
まだ言いたいことが10個くらいありそうな顔で、口を結んでいる。
こういう、あと一歩のところでヒューケは必ず引く。アルロにブラントネルを選んでもらったという思いがそうさせているのだと思う。
ちょっと申し訳なくなって、アルロは書類をそっと置いた。
「すみません。ご心配をおかけして。本当に訓練のようなもので……ペンシルニア公爵様と試合をして、僕は魔力まで使ったのに、一太刀も触れることもできなかったんです。情けなくて言い出せず……すみません」
ヒューケとスタンレーが顔を見合わせた。
二人の脳裏には、近寄り難く、鋼鉄のような厳格なライアスの姿が思い浮かぶ。
確かに、全く敵わないだろう。あれはもう別次元の強さだ。
一体どうして——そうは思ったが。まさかペンシルニアの公爵が、理由もなくこんなことをするとも思えない。
不満も疑問もまだ山ほどあったが、ヒューケは諦めたように長いため息を吐いた。
「……治癒師を呼んできます。今日は程々にして、もう休んでください」
そう言って静かに部屋を出て行った。




