19.
二王朝時代が短い期間で幕を下ろし、ブラントネル王国の治世が本格的に城から始まった。しかし、ブラントネル王国は、なかなか次期国王を立てなかった。それでも特に混乱なく進んだのは、元々の革命軍幹部陣が国議会の役割を果たしているからだった。
このまま合議制で治め、その議長としてヒューケが就くのかとアルロは思っていた。
アルロも、相変わらず会議にも参加している。
城を占拠した瞬間から、正式に新王国となり、想像以上にやるべきことが積みあがっていた。
旧政権の処遇、国全体に渡る新しい人員の配置、軍の再編、国庫の管理——人も物も産業も、全てを再構築するには、国土はあまりにも疲弊しきっていた。やることは数え上げたらきりがないが、何より大事な新しい王国としての内外に向けた宣言も、ヘルムトの急逝によりまだきちんとできていなかった。
とはいえ。そんなことをしていたら、あっという間に2月になってしまった。
終戦直後の混乱がようやく落ち着いて、闇の魔力がなくてももう大丈夫と思えるようにはなった。
アルロもそろそろ、帰る事を考えるようになっていた。
忙殺されているヒューケをはじめとする新政府の人々を前にすると、では僕はこれで帰ります、とも言いづらく、アルロは何となく手伝いを続けていた。
「——俺は、壊してしまいたいんだが……」
スタンレーの声にアルロははっとして手を止めた。
アルロの仕事の書類が増えたので、仕事部屋を一部屋借りている。そこに積み上がる書類の隙間からスタンレーが顔を覗かせた。
「あ、すみません。何ですか」
集中しすぎて話を聞いていなかった。というか、スタンレーはいつからこの部屋にいたのだろうか。
狭い部屋に執務机が一つ、ドアもいつも開け放っている。こうしてふらりと誰かが来るのはいつもの事だった。
「城の教会だよ。シエラリードの街みたいに、壊してしまいたいと思ってたんだが」
城の補修整備はスタンレーの管轄だ。あちこち修繕したり、部屋割りも警備も決めたりしている中で、建物の使い道に迷っているらしい。
「街からも見える場所にあって象徴的なものだから」
壊していいものか迷いがあるらしい。
「教会には何があるんですか」
「金銀宝石の飾りがびっしり」
「いいですね。城の補修に当てましょう」
アルロは即決した。
それくらい、今のブラントネルの財政は逼迫している。
城の教会だから、王族が使っていたのだろう。ブラントネル王朝では特に使い道がない。
アルロがこれまで出会った街の人達を見ても、解放された途端礼拝をやめ、教会を仰ぐのもやめている。今はもう、なくてもいいのだと判断できる。
「全部燃やしてしまおうって言うかと思った」
「あの時とは違いますから。排他的になる必要はないと思うんです。でも、撤去はしたらいいと思います」
「ふむ。結構な広さでなあ。何に使おうか。建設費が手に入れば、兵士の訓練所とか」
「ブラントネルが今注力するのは、軍事力ではないんですよね……」
軍隊を維持する余裕が、なかなかない。その人手を回し、早く産業を活性化しないと、衰退して国がなくなるか、起死回生できるかという瀬戸際だ。ブラントネルが周辺国に攻め込まれないのは、ファンドラグの全面的な支援があるからだ。それがあるうちに、先に産業を整えてしまいたい。
アルロは手元の資料を見つめた。ファンドラグとペンシルニアの支援の目録だ。ヒューケが決定していた支援物資の振り分けは、今はアルロが捌いている。——これがなければ、この国は間違いなく年越し前に滅亡していた。
「じゃあ何作る?新しい教会を建てるか」
「心の拠り所をまた宗教に頼るのは、どうなんでしょうね。国民はもう、何かを信仰することには疲れているでしょう」
ヒューケが国を率いるのなら、もっと合理的な使い道がいいんじゃないだろうか。
「ヒューケさんは何て言ってるんですか?」
「アルロに相談しろって」
「また何で……」
最近よく、いろんな人がヒューケからの勧めでこの部屋にやってくる。仕事が忙しいから割り振っているのだろうか。アルロの仕事が増えつつあるのはそのためだった。
「——考えておきます。とりあえず壊して更地にしておいたらどうですか」
「おう。——お、もうこんな時間だ。昼飯行かないか?」
見ればお昼を過ぎて随分と経っている。
「そうですね」
アルロはスタンレーと共に食堂へ向かった。
城の内部は戦闘が起きたわけではないものの、あちこち物が壊れている。それを片付けるために人の往来は多かった。古い城だし、なかなかに危なげな場所もある。冬の古城は芯から冷えるので、皆分厚いコートを着たまま過ごしている。
主にブラントネル軍の首都攻略を行った兵士らが補修に当たっているので、顔見知りばかりだった。
食堂への道もたくさんの人とすれ違う。
これまでは会釈で通り過ぎていた兵士らは、立ち止まり、アルロが通り過ぎるまで頭を下げるようになった。
いつの間にか、というよりほかない。自然にそうなっていた。
「あれ……どうにかならないでしょうか」
食堂で昼食を一緒に食べながら、アルロは困った顔をしていた。
「あれって?」
「みんなの反応です。あんなに頭を下げられるのは、困ります」
スタンレーはそうか?と言いながら、スープをあっという間に飲み干した。スタンレーはいつも早食いだ。
「アルロがこの城を解放しただろ?膝を折ってもいいくらいだと思うが」
「やめてください」
アルロが本当に参っているようだったから、スタンレーも眉を下げた。
「まあ……なあ、そんな性格でもねえし、古参ってわけでもねえから、気を遣う気持ちも分からんでもないが」
そうは言っても、古参のスタンレーにも皆、会釈で済ませているのをアルロは知っている。
闇の力への畏怖——というだけなら、ここまで気にしないのだが。皆の目には恐れと言うよりも……。
「——ヘルムトと言う巨大な、なんていうか、柱を失って、それでもそこまで揺らがなかったのは——アルロ、お前がいてくれたからだ」
同じく闇の魔力の使い手で、絶対的な力の持ち主。そして何よりヘルムト自身が認めて連れて来た人物。
「彼らにとって、お前は心の拠り所なんだ。立っててやれねえか?」
ヘルムトを失った穴を埋めてやれ——そう言われているように感じた。
「僕ではとても……ヘルムトさんの代わりには」
「真面目だなあ」
スタンレーは笑った。他の誰に相談しても、気にするなと同じような反応をされるような気がする。
このままではいけない——何となくそう思い、アルロは意を決した。
アルロはヒューケの執務室を訪れた。既にスタンレーと、数人の幹部がいた。
「——あ、すみません。お取込み中でしたら出直します」
「大丈夫ですよ。調印式が終わって、建国祭のようなものをどこでやるかという話です」
「はい」
建国祭——やはり喪が明けてからだろうか。国王の大喪だから、1年はかかるだろう。そうなるとアルロはここにはいないだろうなと漠然と思った。
「——スタンレーが笛を吹きたいと言っていて」
「酒もな」
スタンレーは巨体に似合わず、綺麗な笛の音を奏でる。
「まあでも、その時までには、この致命的な人手不足をどうにかしないと」
「そうですね……」
早めに寝返った貴族連中は、既に役職を得て働き始めている。しかし重職に就かせるわけにもいかず、圧倒的に革命軍だけでは人手が足りない。
「役人を一般から公募してはどうですか」
「一般……平民から?」
「ファンドラグでは、平民は貴族の後見を得て官吏の道が開けるんです」
ちょうどアルロもそうだった。教育にはお金がかかりすぎるから。
「学校へ行っている時に成績が優秀であれば、貴族への紹介状を貰える事があります。それで各自売り込んで、勉強をさせてもらう」
もちろん、そこまでの重職には就けない。ファンドラグでは魔力持ちの貴族が圧倒的に権力を持っているから。それでも、限りなく狭き門でも希望の一筋である。
ブラントネルでは後見を買って出るような貴族はいない。
「例えば学校などの公的機関の長1名以上の推薦のあるものに、等しく受験資格を与え、筆記試験と面接と身元調査で拾い上げる。そこから専門的な官吏になるための教育は、働きながら覚えてもらうと——」
「前途有望な人材が集まるかもしれない」
ヒューケはそれだ、と言って、周囲の数名と早速また会議を始めた。
出直そうかと思ったら、ヒューケがはたと気づいてくれる。
「そういえば、ここに来たのは……どうかしましたか?」
良かった、聞いてくれた。
「あ、そろそろ、ペンシルニアヘ帰ろうと思って——」
ズザザッザ——―――。
書類が雪崩を起こした。
ヒューケの机から紙が舞い落ち、幹部らの手からも書類が落ちて床一面に散らばった。大惨事だ。
「——うわっ、だ、大丈夫ですか!」
慌てて周囲の人と拾おうとしたが、屈んだのはアルロだけだった。不思議に思い見渡すが、皆呆然としてアルロを見下ろしていた。
「いつですか」
ヒューケが尋ねる。
「そうですね、もう2月になりましたし、色々と片づけたら、3月には」
「は……」
まずかっただろうか。アルロはとりあえず書類をそのままにして立ち上がった。
「困ります。アルロがいなくなったら……」
「これからはペンシルニアから、ちゃんとお手伝いさせていただきます」
支援も続けられるはずだ。
「いえ、そうではなく……」
みんなが顔を見合わせている。
「支援物資は、引き続いて——」
突然、皆が一斉に膝を折って、その場に手を着いた。
「大君、どうか……」
幹部の一人が、額まで床に付けて頭を下げてくる。
アルロはぎょっとした。
「ちょっ——」
「どうか、このままブラントネルに、留まっていただけないでしょうか……!!」
アルロが慌てて体を起こさせても、彼は止まらず大声で叫んだ。耳がキーン、となった。
「そ、そんな訳には」
「何でも致します。我々は、大君なしには、とても国を立て直す自信がありません!」
たじろぐアルロに畳みかけるようにそう言って、ヒューケも目の前に詰め寄って来た。
「アルロ——いえ。大君。もう少し、いつにしようか、どういえば、と思いあぐねているうちに、こんな風になってしまって。——実は、大君にお願いがあります」
ヒューケに詰め寄られると、ものすごく凄みがある。払いのけられる力のはずなのに動けなくなってしまった。
「ヒューケさんまで、その呼び方——」
「どうか……ブラントネル国王として、この国を治めていただけないでしょうか」
「は」
アルロは口を開けたまましばらく固まった。それから慌てて首を振った。
「国王……?とんでもない!冗談ですよね」
信じられなくてそう言ったが、誰一人笑っていなかった。
「なぜ冗談だと思われるのです。大君以上にその座に相応しいものなどいない」
「いえ、ないです。そんな。僕は誰よりも新参者で、余所者の子供で」
「そう思うものは、ここには一人もいません」
皆が頷く。
——おかしい。アルロは無意識にただ、首を振っていた。
「ヒューケさんがなると……」
「私には資質がありません」
きっぱりとヒューケは断言した。
「大君には、それがあります」
それ、と言うのが何を指すのか、全く分からなかった。
「何でも致します。差し上げられるものはないです、魅力もないかもしれない。しかし……!」
「大君!どうか、どうか我々を、見捨てないでください!!」
「見捨て……」
僕なんかいなくったって、これからみんなで十分にやって行けるじゃないか。
去るものと思っていたから、アルロはただただ混乱するしかなかった。
ただ、短い間でもともに苦難を乗り越えた仲間にここまで頭を下げられ縋られると——なかなか、それを振り切って帰るとは言えなかった。
「——もうしばらく、お手伝いはします。ですが……」
アルロは後ずさりをするようにして、少し距離を取った。
「僕は、ペンシルニアに帰りたいんです。僕の家はあそこだから……」
皆の失望とも絶望ともいえるような表情を振り切るようにして、アルロは逃げるように執務室を後にした。




