17.弔鐘が鳴る
寝室ではサンが待ち構えていた。
ヘルムトを寝かせると、すぐに数人で手際よく処置をしていく。
吐いた血が肺へ流れ込んだのだろうか、静かな室内に、ごろごろという嫌な呼吸音が響く。
一通りの処置が終わってヘルムトを横向きに寝かせ、ようやく少し呼吸も穏やかになった頃。事態を収拾させてスタンレーとヒューケも駆けつけた。
二人ともヘルムトの顔を見たものの、もう覚悟していたというような顔をしていた。
「一旦、ここまで下がったが、内城門はいつでも通れるよう軍隊を配置して来たぞ」
「あ……すみません、勝手に……」
咄嗟に撤退の命令を出し、実際、全てのブラントネル軍はアルロの言葉に従った。
「いや、あれで正しい」
スタンレーが言い切ってくれた。
城門は破壊し終わったものの、臨終のヘルムトを脇に置いたまま攻める余裕はなかっただろう。一旦は下がり仕切りなおすべきだ。
「——はあ、まったく、なんて顔だ」
スタンレーが呆れたような声を出す。
「心配かけやがって。それなのになんて……」
声が掠れて、それ以上は言えない。
「今までになく満足そうですね。まだ終わっていないというのに」
ヒューケが後を継いだが、その声も掠れていた。
「この顔を見たら気が抜けた。後処理してくるわ」
「私も、仕事に戻ります」
二人はそう言ってさっさと行ってしまった。
アルロも血にまみれた鎧を脱いだ方がいいだろうと思い、一旦部屋に戻ることにした。
部屋に戻るとベンが待っていた。
「ヘルムトは」
「眠ってます」
「そうか……」
ぽん、と少し強めに肩を叩かれる。
「平気か——あんまり、こういう聞き方はしたくないんだが。他に言葉が見つからないな」
アルロは黙って頷いた。
平気かどうか、自分でもよくわからない。
とにかく休めと言って、ベンは簡単にペンシルニアの騎士等の報告を教えてくれた。
アルロの母と言う人物は、王城から逃れて解放したらしい。今各所には支援物資が配られ、シェルターも設置されている。生き延びる事はできるだろう。
アルロは会うつもりはなかったし、無事に解放できたことを聞いたら、もうそれで思い返すこともないだろう。
被害もそれほどなく、王城戦は決着がついた。——ついたと言っていいのか迷うところだが、ここまでくればいつでも城は落ちるだろう。
いつそれをするかだけだ。その指示を出すヘルムトはしかし、長い間目を覚まさなかった。
「……もうじき年が変わりますよ、ヘルムトさん」
アルロは毎日ヘルムトの寝室を訪れたが、ヘルムトの状態は変わらなかった。良くも悪くもなく、ただ眠り続けている。
12月に入って、この辺りはずっと雪が降っている。
シャーン国で冬を越すのがどれほど難しいか——そういう話を以前ヘルムトがしていた。
「本当に、ここは寒いんですね」
外に出ると、吸い込んだ空気は肺を凍り付かせるほど冷たいし、軽く思う雪も積もればすぐに重く冷たく濡れる。外を歩けば、すぐに手足の感覚がなくなる。
食料と燃料が行き渡っていなければ、すぐにでも民衆は死に絶えるだろう。
「燃料、足りてるかな……」
ファンドラグからの支援物資は相変わらず届いている。おそらくこのシャーン国の中で、一番貧しいのは目の前の王城の中だろう。
窓からは真っ白に覆われた城が見える。山肌に聳え立つ城は、雪化粧を被ると一気に様相が変わる。幻想的で美しい氷の城のようにも見えた。
「お見せしたいな……」
そうだ、今日の手紙にはこの城の事を書こう。絵がないか、街に出て探してみようか。
「誰にだい……色男だねえ」
急に声を掛けられてびっくりする。見ればヘルムトがこちらを見ていた。アルロは脱力するのを感じた。
「久しぶりに起きて第一声が、そんな事だなんて……」
「はは。不思議な感じだよ。少しもつらくないんだ。アルロ君、何かした?」
「いいえ」
「とても穏やかな感じだ。ふわふわと雲の上に浮かんでいるみたいだ」
ヘルムトは夢見心地の、本当に心地よさそうに顔を緩ませていた。
「君の闇の魔力のおかげかもしれない。神経が全て、断ち切られたようで……何も感じないんだ」
それは、いいのか悪いのか。
感覚を失ったという事だろうか。
「これで本当に……最後かも、しれないな」
ぼそりとヘルムトが呟く。
「そ……」
そんな事。そう言いたいのに、きっとそれは真実だ。
「悲しまないでくれよ。今、私はものすごく幸せな気分なんだ」
それは本心からそう言っているように思えた。
「この国にいると、人間の汚いところを沢山見ることになるから。ヒューケなんかはもう人間嫌いをこじらせたようなところがあるだろう?でも、私は嫌だったんだ。人をあれほどまでに醜悪にさせるのは、この国のせいだって思いたくてね」
ヘルムトは昔のように饒舌だった。不思議なことに活舌も良く、生き生きと喋っている。
「どんな苦難にあっても、こうして病に倒れたとしても——いや、この病でさえもさ。意味があったんじゃないかって思える。だって私が病気でなかったら、君はブラントネルに来ることはなかっただろう?」
「はい……」
それはそうだ。ヘルムトが先が長くないと知ったから、手を貸そうと決心した。初めのきっかけはそれだった。
「君だってもとはこの国の犠牲で、つらい思いもしたのに……。天啓ってやつなのか……ペンシルニアの人達……子供たちを見たら、やっぱり人間は素晴らしい、そう思えるのが、嬉しいんだ」
「ペンシルニアの人々は……別格ですから」
「はは……そうだね」
ヘルムトはようやく、思いを馳せるように言葉を止めた。
少しずつ、呼吸が細くなっていっているように思う。
「……人を諦めなくてよかった。どうして想像できただろう。ほんの数年前までは、こんなに満足で、穏やかな最期になるだなんて、想像もしていなかった。……ろくな死に方をしないと思っていたのに」
ああ、とヘルムトは目を閉じた。
つ、とその目尻から一筋の涙が流れた。
「見たかったなあ……」
悔しい、心の底からそう思う。
「君の治める、新しい国をさ」
「僕は、ヘルムトさんが治める国を見たいです」
ヘルムトは力なく笑った。
「そんなことを言いながらもさ……君は気づいてないのかな。近頃君が、ブラントネルの事を僕たちの国って言ってることに」
「そう、でしたか……」
「そうだよ。君はもう、国民の事を考えている」
「僕に——そんなに期待をされても……」
「ふふ……君は、きっと引き受けてくれる」
だから、そうだ。悔しいと思う事などないじゃないか。
ヘルムトは目を閉じた。
目の前にいるのに、なぜか今にも消えそうに感じて。アルロはヘルムトの方に身を乗り出した。
「ヘルムトさん——?」
「本懐は、遂げた。私はやっぱり強運の生まれで、幸せ者だった」
ヘルムトの意識が今にも途切れそうだった。話しているのに、話していないような。
アルロは外に向かって、誰か、と叫んだ。
すぐにサン、スタンレー、ヒューケが入ってくる。しかしそれらにもヘルムトはもう反応することはなかった。
「ありがとう、アルロ君。ほんとうに、ありが、とう……」
ヘルムトはそう言って、唇の動きを止めた。すう、と息を吸って、またゆっくりと吐いて。
その呼吸は穏やかに、徐々に小さくなっていって、やがていつの間にか止まった。
誰もが息を殺してその様子を見守っていた。
長い、長い間、誰もが微動だにしなかった。
「——っふ、う、う、うぅっ……」
やがてサンがボロボロと嗚咽を漏らしながら涙を流した。
スタンレーもヒューケも、それからアルロも気が付けば黙って涙を流していた。
ああ、本当に逝ってしまった。
サンが縋りついて揺すっても、本当に動かなくなってしまったヘルムトの穏やかな顔を見て。
アルロはとてつもない喪失感と悲しみに、どうしていいかわからず立ち尽くした。
目を閉じれば、熱い涙がどんどん溢れてくる。
そうか、別れって、こういう事なのか。
——僕も伝えたかった。ヘルムトさんに、ありがとうって……。
ヘルムトの死はすぐにブラントネル軍に伝わった。
いっそシャーン国の暗殺という事にしたらどうかと言う幹部もいた。ヘルムトを失った悲しみ、いかりのまま城へ攻めれば、勝利は間違いない、と。
これにはアルロが反対した。
「ヘルムトさんは、本懐を遂げたと僕に言いました。初代国王陛下の最期を、そんなうしろ暗いものにしてはいけない」
ブラントネル初代国王、病により逝去——その報せは瞬く間に周辺国に知らされた。
戦時下なので、葬儀は簡潔にのみ、粛々と執り行われた。
黒い半旗を掲げ、城壁の一角で、皆で順番に藁で編んだ造花を手向けて行く。シャーン国には長らく花がないから、葬儀と言えばその花が使われているらしい。棺を取り囲み別れを告げるだけの時間だった。それが終われば安置所に運ばれる手筈になっている。
アルロの順番が来て、アルロも花を手向けた。振り返ると、次の順番を待つものはおらず、皆一様に胸に手を当てて、一段下がった所からアルロを見上げていた。
「アルロ……」
戦時下だから、皆鎧を着けたままだ。スタンレーも鎧のまま、アルロにこそ、と声を掛けた。
「何か言ってやってくれ」
「何か——?」
「ヘルムトの最期の言葉を聞いたのは、アルロだから」
「ヘルムトに向けた言葉でもいい、彼らにでもいい。何か」
そんな、自分なんかが——そう思ったが、目の前の人々の顔が、言葉を待っているようで。
アルロは少し考えて、ゆっくりと口を開いた。
「国王陛下の最期は……」
どうだっただろうか。ヘルムトの最期。
アルロはごくりと唾を飲み込んだ。言葉にするのは、少し難しい。
「僕は……国王陛下の事を、皆さんよりも知りません。——飄然としたつかみどころのない人。ふらついているようなのに、芯があって揺るがない人。とてつもなく賢く、勇敢で、恐れ知らずの人。僕が知っているのはそれだけで……」
間違いなく第一印象から長い間、ヘルムトはろくでもない怪しい男だった。それが今は、もっと話したかったと思う。
「結局は僕も、陛下の思い通りに、こうしてここに立っているのだから……。やっぱり、とても、偉大な人だったんだと思う」
どこからが策で、どこからが予想外のことだったのだろう。今となっては分からないけれど、結局ヘルムトの思い通りになっているのだと思うと、最初から最後まで手の内にあったのではないかとさえ思う。
そう思うと自然と笑みがこぼれた。
そのアルロの穏やかな表情に、それを見た何人もの参列者が涙を流した。
アルロはもう一度、ヘルムトへ向き直り、穏やかな死に顔を見た。
「国王陛下の冥福を、心から祈ります。貴方は、とても勇敢な人でした。いつも穏やかで、大きな温かさで僕達を包み込んでくれました。時には奇策を用いて人を驚かせ、楽しませてくれる、不思議な人でもありました。貴方の生き様そのものが、道を示してくれる師匠のようでもありました。だから、僕は、僕達は貴方と素晴らしい時間を過ごすことができました。貴方は最後まで……人の心を、諦めない人でした。貴方と同じ時代に生き、共に戦えたことが僕達の誇りです」
アルロは最後、声が震えてうまく話せなかった。けれどその言葉は皆にも聞こえていたようだ。
一つ深呼吸をして、また皆の方を振り返る。
もう、誰もが涙していて、それも霞んで見えない。
アルロは涙を拭った。
「——本懐は遂げた——国王陛下の最期の言葉です。陛下は大業を成し、そうしてブラントネルの繁栄を願いながら、安らかな眠りにつき……その次は我々に託された」
人々の間から、嗚咽が漏れていた。むせび泣くものもいる。それぞれの胸の内にヘルムトの存在を感じた。
——ここにいた。
そう思うと力が湧き上がってくるようだった。
「——取り戻しましょう、僕たちの手で、必ず。僕たちの国の、本来の姿を」
「おう!!」
城の鐘がゆっくりと鳴る。
鐘の音はその日、人々の歓声、叫び声と共に大地を揺らした。
本年も本当に温かいご声援の数々、ありがとうございました。
皆様のおかげで本当に素敵な一年になりました。
いつもたまたま。行き当たりばったり。
作中と共に年末を迎えましたね。なので、明日も更新します。
みなさまどうか、良いお年を!!




