15.鐘楼の鐘の音
ヘルムトは5日後にようやく目を覚ました。
その後も昏睡の合間に少し言葉を交わしては、また眠る。その繰り返しだった。
苦痛は麻薬を使ってやわらげるものの、眠っている間も表情は険しく、呼吸もか細い。
次に操作したら、きっともう、体がもたないだろう。
「——アルロ」
ベンがドアをノックして声を掛ける。
「飯は?食ったか」
「はい」
「………………」
ベンが黙ってアルロを見ている。
ベンは注意深く、アルロの事をいつも見ていた。アルロが少しでも体調を崩し始めたら、きっとヘルムトの操作するのを止めに来るのだろう。
そうやって守ろうとしてくれているのもわかるのが、心強いような、申し訳ないような気がする。
「——ほら、来てるぞ」
ベンが差し出したのは手紙だった。エイダンとマリーヴェル、それからシンシアからの手紙だ。
ずっと間を開けず、何ならアルロが手紙を書く前に届いたりする。
「お前も返事、書きに行け」
ベンはアルロをヘルムトの部屋から連れ出した。あまり思い詰めすぎるなと言われているように、ベンは時々こうしてアルロを連れ出す。
アルロは手紙とペンを渡された。食堂へ行って、まだ誰もいない席に座って手紙に向き合う。
シンシアに宛てる手紙には、率直に思った事を書くように言われている。
「もやもやしたものをな、口に出せなくても、筆にはのせられるって事もあるだろ?一旦書いてみてから、やっぱり出せないってんなら燃やせばいい。あまり深く考えすぎるな。——でも、知りたいって思ってるだろうよ、奥さまは」
ベンがそう言ったから、アルロは心の内を少しだけ手紙に乗せていた。ヘルムトを操作したことは流石に書けなかったが、前回も手紙に、中城門を突破したが、素直には喜べない、とだけ書いた。
ヘルムトの病状はベンから伝わっているだろう。
シンシアからの返事はいつも長文だった。アルロの素晴らしいところはね、と初めに長々と書いてくれる。だから無理をしないか心配しているの、と。その後で、ペンシルニアの何気ない日常が書いてあり、そして最後に、疲れたら、そうでなくても、気が向いたらいつでも帰って来るように、と続く。
帰りたい。
シンシアの柔らかい文字を見ると、無性にそう思ってしまう。
「帰りたいって書いたら、迎えに来てくれそう……」
顔を緩ませて手紙を読んでいると、ベンが違いない、と一緒になって笑ってくれた。
何を書こうかと考えているアルロに、温かいお茶をベンが入れてくれた時だった。
食堂に、一人の兵士が入って来た。
「し、失礼します!!」
ガチャガチャと鎧の音を立てながら駆け寄って来るから、自分に用事なのだろう。立ち上がったアルロに近付いて頭を下げてきた。
「大君に、城から手紙です」
「いや、その呼び方やめてって……」
ヘルムトが国王陛下と呼ばれているのに対し、アルロは初めは参謀殿とか若君なんて色々な呼ばれ方をしていた。それにいちいち違うと言っていたら、今では何故か大君と呼ばれるようになっていた。
国王ヘルムトがいるのだからその呼称はおかしい。ゆえにその都度訂正しているが、直らない。
アルロは兵士の手に持っている書簡を見て止まった。黄色い封蝋に太陽を象った紋章。
「——城っていうのは、ファンドラグじゃなくて、シャーン国の城……?」
「はい」
アルロは眉を寄せた。ベンと顔を見合わせる。
今まさに取り囲んで攻めている城から、という事だ。そもそもアルロには城どころかシャーン国に知り合いはいないし、公式な文書であればブラントネルの長であるヘルムトに宛てるはずである。
「俺が開けよう」
警戒してベンが受け取り、封を切った。
開いた手紙には特に細工はしていなかった。ただ、簡単に数行だけ。
『呪われた黒の反逆者を生み出した罪は重い。
内城門鐘楼にて、明朝その罪は贖われるだろう』
「なんだ……?これは」
二人でじっと手紙を見るが、全く分からない。
黒の反逆者……というのは、おそらくアルロの事だろう。
「呪いの手紙というものでしょうか。初めてもらいました」
そんなものがあると、マリーヴェルから聞いたことがあった。確か受け取ったら自分も三人に出さなければいけないのだとか。
「ばか、違うだろ」
呪いの手紙でないとしたら、益々意味が分からない。ペンシルニアにいた時にもアルロはよく意味の分からない手紙はもらっていた。うちの子にならないかとか、貴方の魅力的な黒い瞳が——云々。マリーヴェルがいつも激怒していた。
「手紙ってやっぱり難しいですよね」
アルロ自身も、何を書いたらいいか迷う。意図を伝えるのは難しいんだろう。
「そういう事じゃないだろ、これは」
「まあ……確かに、贖うという言い方が気になりますね」
贖うというのは、死をもって罪を償うという意味だ。
「要するに、誰かの処刑予告だろう。シャーン国はそういう事をよくする」
「そう言えば、そろそろ内通者の定期便が来るんじゃないですか」
外城壁を突破して以降、シャーン国に潜伏していた影たちと連絡が取れるようになった。とはいえ、頻繁に行き来していては正体がばれてしまうから、定期便は数日おきだ。何か動きがあればそれに加えて報せもあるだろう。
「昨日は、特にはなかったが……」
連絡場所を一応見て来るか、と言って出かけて行ったベンは、すぐに固い顔をして帰って来た。
「アルロ……」
言いにくそうな、言葉を選んでいるような。
「何か報せがあったんですか」
定期便以外で連絡があるという事は、不測の事態か何か。
「その……」
うぅん、とベンは唸りながら続けた。
「処刑予告には違いない。その人は、もう吊るされているらしい。ここからも……見えるところに」
「鐘楼に?」
「ああ。——それでな、その人の名前は、ルグライ・イロヴァ——」
わらわらと食堂に人が集まって来た。もうすぐ夕食の時間だ。
「アルロ、この名前に聞き覚えはないか?」
何となくそちらに目を向けていたアルロだったが、次の瞬間ベンに視線が引き戻された。
「——アルロの、その……お母上らしいが」
アルロの動きが止まる。
今、何て言っただろうか。
ベンが手元の紙を見ながら名前を読み上げた、その人名は、アルロにとって全く聞き馴染みのない響きだった。
それが、自分の母親の名前だという事も知らない。
あまりにも昔に別れたきりの、今の今まで忘れていた——いや、考えないようにしていた存在。アルロはそもそも自分の姓も知らなかった。それが父親のものか母親のものかも知らない。
「アルロ……」
ベンの心配そうな声が、遠くから聞こえるような気がする。
——ゴオーン、ゴオーン。
鐘の音が響いた。
城壁の鐘楼の鐘だ。毎日、日没に光の女神ルクレシアに感謝を送るために鳴らす。今日の鐘の音は少し鈍く聞こえてきた。
——もう吊るされているらしい。
ベンの先ほどの言葉が今になって思い出される。
アルロは荷物を置いたまま駆け出していた。
「——っあ、おい、アルロ!!」
ベンの制止も聞かず、夢中で駆け出していた。
見たからといって……いや、見ない方がいいんじゃないか?そう思うのに、足が止まらない。
中城壁の上に立ち、目を凝らす。遠くに見える内城壁はアルロの立つ城壁の、更に上の山の中腹にあった。
鐘に何かが巻き付いている。何か——人のようなものが。
人かどうかも分からないし、顔が見えたところでアルロの記憶では、母親の顔まではどうしても思い出せなかった。
夕日が沈んで城壁に篝火が上がる。その灯りでは、吊るされた者は全然見えなかった。
「——アルロ様」
どれくらい時間がたっただろうか。ひっそりと、背後から声を掛けられる。か細く泣きそうな声。サンだった。
振り返ると、憔悴しきったサンが目を伏せて立っていた。ヘルムトの看病をして、ヘルムトと同じようにやせ細っていっている。あの感情的で泣き虫だったサンは、近頃、泣かなくなった。涙も枯れ果てたようだった。
「——ヘルムト様が、目を覚まされました。アルロ様を、お探しで」
「様はいらないって、言ってるでしょう」
言いながら、拳を握りすぎていたことに気づく。
ぐちゃぐちゃになった感情に蓋をして、アルロは手の力を緩めた。そうして、ポン、と自分より小さなサンの肩を叩く。
「すぐ行きます」




