12.ルクレシア教
戦闘が街中では行われなかったからか、今まで見た街の中ではアリアドは一番街らしいと言ってもいいかもしれない。
歴史のありそうな、古い建造物が立ち並ぶ。シエラリードを陥落し終えた革命軍も、続々とアリアドに入って来た。
「アルロ、怪我はないか?」
ベンの問いかけにアルロはゆっくりと頷いた。
傾斜のある草原での戦闘は少し苦戦した。足元を気にして戦うというのはなかなかに難しい。何度もベンに助けてもらった。
「ありがとうございます」
「あれだろ?ちょっとでも怪我したら、エイダン様に会いに帰らないといけないんだろう?」
「はい」
出立前のエイダンの顔を思い出して、アルロの緊張は少し和らぐ。
「その手……」
手袋が破れて微かに出血している。あの乱戦の中、流石に無傷とは行かなかったようだ。
アルロはもう片方の手で傷を覆った。
「これは、かすり傷の一歩手前ですね」
「——まあ、そうか」
ベンはぽん、とアルロの肩を叩いた。
戦闘に次ぐ戦闘で、初めて人に向けて剣を振るうアルロの事を心配していたが、どうやら問題なさそうだ。
淡々と必要な事をやるのみ——そう思っているようだった。
それがいい。戦争においては、淡々と己の役目を果たすだけに集中する。意味も何も考えない方がいい。そして、張り詰めた糸を時々、上手く緩める。
ペンシルニアの騎士らはそうしている。アルロはそれを真似たようだった。
占拠することに慣れている革命軍は、瞬く間にアリアドの市庁舎、警備といった武装の組織を支配下に置くと、街は蜘蛛の子を散らすように人の気配を失って閑散とした。
「被害状況がよくわかりませんね」
鳴りを潜めていて、怪我人がいるのかどうかも。まさか民家を一軒ずつ回って確認するわけにもいかない。
大丈夫だろうかと思うアルロ達に、スタンレーは慣れた様子だった。
「民間人は一度隠れて、ほとぼりが冷めて安全だと分かると、次第に顔を見せ始める。待ってやるしかないな。支援物資が届くから、そうすればすぐに扉を開く」
妙に静かなアリアドの街は革命軍に任せて、アルロは帰還の準備を始めた。
「——本当に休む間もないんだな」
スタンレーが苦笑する。
「そんなに急がなくても、混乱の中だ、問題ないと思うが」
「それもそうなんですが……」
アルロの懸念はもう一つあった。
ヘルムトの、建国宣言である。
おそらくヘルムトに残された時間は多くない。そのため、準備が整えばすぐにでもブラントネルの建国宣言するはずだ。そうしたら、首都の軍隊がヘルムトに向けて動き出すかもしれない。
アルロはファネリアへ向けて発つ前にシエラリードに立ち寄った。
シエラリードは、教会以外はほとんど壊滅状態だ。長い戦闘のせいで草も生えていない。
こんな何もないところによく人が住んでいたものだと思うくらい、街とは言えない廃墟だった。
教会に立てこもった領主らは教会の外に平民を集めた。怪我人も病人もひしめき合って、ひどいありさまだったのだろう。息のあるものはアリアドに運んで治療を開始しているが、あちこちに血痕と異臭はまだ残っている。
おそらく、この街はもう地図から姿を消すだろう。
歴史のある街だった。こういった街がシャーン国のあちこちにあって、同じように消えていくのだと思うと、アルロはせめて最後にその姿を覚えておこうと思った。
残った建物がほとんどないから、すぐに回り終えた頃。教会の入り口の方から、怒声が上がった。
複数人の喧嘩の声のようだ。残党兵でもいたのだろうかと、ペンシルニアの騎士らとスタンレーは頷き合って駆けつけた。
革命軍の兵士が、街の住人と言い争いになっているようだった。痩せ細った街の住人と、包帯だらけの革命軍兵士。それぞれ胸ぐらを掴み合っているから、既に殴り合ったのかもしれない。
「おい、何してる!」
スタンレーの声に、革命軍の兵士が反応した。相手を突き飛ばし、奪い取った道具を見せてくる。
「こいつらが……!」
「これは……」
ベンが素早くそれを受け取った。
かなり古い道具のようだ。ベンの手の中にあるそれをアルロは見たことがなかった。
「これは……どういう」
「昔の戦争で使われていた、爆発の魔道具だ」
「え……」
ベンはそう言って慣れた手つきでどこかを開けて、魔石を取り出した。
「魔石がはめられているから、操作をすれば魔力のない者でも爆発を起こせる。だがこれは——その手で起爆のボタンを押すしかないタイプだな」
つまり、起動と同時に爆発が起きる——押した人間も爆発に巻き込まれるしかない。
ベンは取り出した魔石を懐に入れ、残った魔道具を放り投げた。石畳に落ちた魔道具は粉々に砕け散る。
「この手のものは古くて危険だから、見つけたらすぐ分解して壊した方がいい」
シエラリードの戦闘では、爆発が多く起きていた。建物が粉々になっているのはそのせいだ。
街の住人が爆発の魔道具を持って、革命軍に身を投げて来る。革命軍に辿り着く前に爆発したものも多かった。
「——他にもないか確認しねえと。残ってても危ねえな」
スタンレーが指示を出そうとしたら、革命軍の兵士が再び街の住人に掴みかかった。
「敵味方もなく吹き飛ばしやがって!恥ずかしくないのかお前ら!」
怒りの形相で、その兵士自身もひどい怪我をしている。
「出せよ、残り全部!」
胸倉を掴まれた男は怯まなかった。
「こんなことをして……神がお許しになるはずがない」
「……神、だと……?」
男は歯を食いしばりすぎて、ぎりぎりと音が聞こえてきそうだった。じわりと包帯に血が滲んでいる。
「お前ら、まだ信じてるのか?それで……こんなむごいことをしたのか」
兵士の男は相手を突き飛ばした。
「神のために自ら死ぬのか?——あんな、子供にまで……」
「子供……」
アルロが思わず声に出した。子供の姿をここまでほとんど見なかったからだ。
「まさか子供にさせるだなんて……それを止めようとして、あいつ……」
男は泣いていた。きっと、仲間を失ったんだろう。誰も何も言えなかった。
「——神がいたなら、助けてくれただろうよ!俺の家族が飢え死にする前にな。そんなもんいない!」
教会の、象徴ともいえる堅牢な建物を見上げて、そこに聳え立つ女神像を男は鋭く睨み上げた。
「神などいるものか!そんなこともまだ、分からねえのか……!」
尻餅をついたまま立ち上がることもできず、突き飛ばされた方の男は頭を抱えていた。
長い沈黙の後、ぽつり、ぽつりとか細い声を漏らす。
「教会の壁となれと……私の子供らは連れて行かれた……。教会が間違っていたと言うのなら……あの子の犠牲は、どうなる……」
やがてすすり泣く住人らの中から、一人がのそのそと出てきて、その男の肩を支えた。背中に赤ん坊を負ぶった母親のようだった。
「——私らも、あんたみたいに……いっそ神を恨んでしまいたい。でもそんな事して、もしこの子に不幸が訪れたら……」
怖いの、そう言って、もうやめてくれと懇願した。
泣くこともしない赤ん坊が、空虚な目をして、反り返って空を見つめている。
「——アルロ、俺は知らないんだが……シャーン国の信仰は、そこまで深いのか」
ベンがひそひそと聞いて来た。
ファンドラグはそれほど教会の権力が大きくない。国教として光の女神ルクレシアが崇拝されているのは同じだが、生まれてすぐの洗礼で訪れるくらいで、日々の生活と密接にかかわっているかというと、そうでもない。魔力を測定したり、お祭りの度に仕事をする——どちらかというと、役所の一つという位置づけだ。
自ら死を選んだり、誰かの死を恐れたり。そんなことにまで本当に神の意志が及ぶと思われているのだとしたら、相当な信仰心だ。
「深いですね。——そもそも、シャーン国の信仰は強制なんです。生まれてから死ぬまで、週に一度の礼拝が義務付けられ、国へ治める税金とは別に、収入のうち一定額は教会へ治める必要がある」
アルロも体験しているわけではないが、ある程度学んではいる。
シャーン王国の金の流れを見ていたら、莫大な金額が教会に流れていたのも知っている。
おそらく、王朝建国以来、信仰を巧みに使って人心掌握を行って来たのだろう。政治的な支配に宗教を絡めることで、人々の心情は圧政ですら信念による支配にすり替わっていく。
——だから手出しができないのだ。
シャーン国の国民は、何か間違っているのかもしれないと心のどこかで思っていても。信仰を絶ってもし不幸があればと、その思いを拭えない。
馬鹿らしいと思いながらも、正しいことが何かを明記されていると、人は反抗しづらいのだろうか。
それがこの戦争をよりむごたらしくしていた。
宗教を先に捨てた者と、まだ捨てられずにいる者。強制された教えには、どれくらいの信仰が宿るのだろうか。アルロには分からなかった。
「ベン卿……お願いがあります」
「どうした?」
「教会を燃やせませんか」
ベンは意外そうに目を丸めた。
「珍しく……過激だな」
被害最小限に、できるだけ速やかにファネリアへ帰還する事。アルロは一貫してそのために動きベンに教えを請うていた。
それが一転、既に陥落した、もう廃墟同然の教会の破壊。これは余計な仕事のようにベンには思えた。
「あの人たちが前に進むためには、この信仰も壊さないといけないと思うんです」
断ち切れた者もいる。しかし大多数はまだ、宗教という思想を質に取られ、思うように動けないでいるのだとしたら。それを解き放たないと、真に街を解放したとは言えない。
この場で教会を破壊しただけでは大きくは変わらないかもしれない。けれど、この歴史ある街の巨大な教会は、やっぱりここの人々の心を見えない鎖で繋いでいるように思えてならなかった。
「スタンレーさん。駄目でしょうか」
革命軍で、アルロはまだお客様だ。スタンレーが駄目だというのなら、やることはできない。
スタンレーも驚いてすぐには返事ができなかったが、別れ際のヘルムトの言葉を思いだす。
アルロの言葉を、ヘルムトの言葉と思って——。それなら、スタンレーの返事は一つだ。
「かまわねえぞ。——中を確認するか?魔道具が他にもあるかもしれない」
目立った物品は回収したが、まだどこかに色々と隠しているかもしれない。宗教画である美術品の類も飾られたままだ。あれも売ればいくらかにはなる。
それにはアルロがきっぱりと首を振った。
「いえ。何も持ち出す必要はありません。きれいさっぱり壊しましょう」
むしろ爆発してしまえばいいとでも言いたげだ。きれいさっぱり、というのだから、下手に美術品なども残すまいという事だろう。
アルロの顔を見て、スタンレーはこれまでの自分の思い違いに気づいた。
——誰だ、平和ボケしてるなんて言ってたのは。——俺だ。
アルロに感情的なものはなく、冷静に壊してしまおうと言ってのける。革命軍ですら、手を付けるのに躊躇し敢えて壊しはしなかった存在だ。
——報復や見せしめだと言われた方が、人間らしい。だが、おそらくそうではない。
アルロは街の人々の前まで歩み寄り、膝をついた。
「僕が教会を壊します。それにより天罰が下るのなら、僕に下るでしょう」
あなた方はどうしようもないのだ。だって、侵略者が教会を燃やしたのだから。
「へ……」
まだ混乱したままの人々を避難させて、ペンシルニアの騎士等はあっという間に教会に火を放った。
乾燥した空気により、瞬く間に燃え上がる炎と黒い煙。人々は離れた所で、呆然とそれを見守った。
時折爆発が置き、教会はあっという間に轟音と共に崩れ落ちた。
いつの間にかたくさんの人が集まり、皆燃え上がる炎を見上げていた。泣き叫ぶものもいた。叫び声は、悲鳴のようなものもあれば、歓喜のようなものもあった。
色んな感情が入り混じって、最期には誰も声を発する事はなくなった。
爆発音が止み、崩れ落ちた教会の残骸が燃えている。それを背にして、アルロは先ほどの男と母親に向き直った。
「これまでの忍耐には、敬意を払います。——でも、僕たち革命軍はルクレシア教を是認はしない」
ヘルムトとそのことを話し合ったわけではないけれど。闇の魔力を象徴的に掲げると言っていたのだから、その天敵ともいえるルクレシアを掲げるという事はないだろう。否定まではしなくとも、良いものとは認められない。
「これからは、二度と何かを強いられる事はありません。どこまで犠牲を払えるかで、信仰心を試されることもない。——だから、天罰に怯えることがない事を願います」
アルロは立ち上がった。
——ありがとう……。
声はかすれて、かろうじて聞こえたかどうか。そんな声だった。
教会を燃やされて感謝の言葉を言うなんて、許されない。そう思うのに、それを口にせずにはいられなかった。目の前の黒い青年が、大丈夫だと言ってくれているようで。
アルロは黙って頷いて、その地を後にした。
この日以降、革命軍はこれまで手を付けていなかった各地の教会を破壊した。
予想された反発はほとんど起きなかった。
信仰によって強制的に繋ぎ止められていた思想がようやく解放され、国民は真の意味で解放された。それほどに教会が腐敗していたという事もあるが、何より、あらゆる行動、思考を強制的に支配されていることに民衆は疲弊しきっていた。
光への信仰から闇への信仰へ、舞台は更に加速し、整えられつつあった。




