23.
ぴく、とライアスの指が動いた。
時間にしては30分程度だろうか。
冷えた身体が温まり、マッサージで循環が良くなったとはいえ。まだ食事も摂っていないから熟睡とまではいかなかっただろう。
隣から見上げると、微かに目が開く。
もうすっかり見慣れた濃茶の瞳が、ゆっくりとこちらに焦点が合うようだった。
「目が覚めましたか」
「シン、シア?」
寝起きのかすれた声が妙に色っぽい。
寝起きの顔を見られるのは恥ずかしいかと思い視線を逸らし、自分の手元を見つめておく。
「お疲れだったのですね。それにしても、置物のように動かずに眠って——」
突然、ぎゅっと抱きしめられる。
大きな体にすっぽりと収まり、視界が真っ暗になる。筋肉質な腕が背中に回り、分厚い胸板に顔を埋めることになる。
だ、抱きしめられている。
そのまま、すり、と首筋に頬ずりされて、くすぐったさに体がこわばる。
「ラ、ライアス・・・?」
寝ぼけているんだろうか。
ライアスは、はあ、と長いため息をついた。
「シンシア・・・愛しています」
「あ、はい・・・」
「離したくないのに・・・シンシア」
どういう意味だろうか。
「ライアス?私は離れませんよ?」
「貴方の声・・・貴方の香りだ・・・貴方の髪の毛一本、すべてが愛しい。日増しに貴方が、たまらなく・・・シンシア・・・私はおかしくなってしまったのでしょうか」
おかしく・・・というか、寝ぼけているのでは?
とりあえず抱きしめられて身動きが取れないので、かろうじて動かせる手だけで、ぽんぽん、とライアスの背中を叩いてみる。
「ライアス?」
「今日の貴方は、消えないのですね・・・」
「ええっと、現実ですからね」
「げんじつ・・・?」
がばっ、とライアスが離れる。
目が覚めたようだ。驚きに目を見開いてはいるが、今度はしっかりと私を見つめている。
「も、申し訳ありません!私は、何ということを・・・」
今度は青くなるライアスの手に、私は自分の手を重ねた。
「ライアス。謝らないでください」
抱き合うくらいで、大袈裟な。と思うが。
トラウマを植え付けた私が言えることではない。
ここでちゃんと伝えられるなら、伝えておきたかった。
——けがらわしい。泥臭い、土まみれの野蛮人。
——触れるな、見るな、声を出すな。
——ああ、なんておぞましいの。私が何をしたというの。こんな野蛮なけだものに、身体を許さねばならないなんて・・・!
「ライアス」
過去のシンシアが放ったセリフが、今私の胸を突き刺してくるようだった。
必死で言い訳を探すような、私を気遣うようなライアスの不安気な表情に。
「嫌でなければ、触れてください」
「嫌なわけが・・・!私ではなく、貴方が」
「私も嫌じゃないです。ライアス、あなたに抱きしめられて、温かくて、心地よかったから」
できるだけ微笑んでみる。
「シンシア・・・」
ライアスはすうっ、と深く息を吸って、鼻頭を押さえていた。
「ライアス?」
「ちょっと待ってください。鼻血が出そうです」
「何を言っているんですか」
気持ちが浮上したようで何よりだ。
「そろそろ軽食を運ばせましょうか」
「あの、もし、お嫌でなければ・・・」
ライアスは遠慮がちに言った。声がものすごく小さい。
「もう一度だけ・・・抱きしめてもよろしいでしょうか」
「は・・・」
ここで嫌だと言ったらまた逆戻りしてしまいそうな気がして。どうぞと言った方がいいんだろうか。
いや、そんな言い訳をしているけれど、単純に、ライアスの腕の中はこの上なく心地良かった。
「どうぞ」
私の顔も赤くなっていると思う。恥ずかしくて俯いたが、間髪を容れずライアスの腕が私を引き寄せる。
「きゃっ・・・」
ひ、膝に。乗せられてしまった。
「重いでしょう」
「幸せです」
答えがおかしい。
でも、本当に幸せそうな顔をしているから、それを見たら私まで嬉しくなってしまう。
ライアスは必要以上に私に触れないよう、慎重に両手を組んでいる。
抱きしめられているわけではないから、少し不安定な気がして。思い切ってライアスの胸にもたれるように体重を預けることにした。
ものっすごい鼓動が速い。それが何だか可愛いような気がして、ほっこりとする。
「肩は楽になりましたか?」
「はい。今まで重かったのが嘘のようになりました。力を使われたのでは」
「少しだけ」
「私などに、貴重なお力を・・・」
「少しですし、貴方に使わず誰に使うと言うのです。私の夫なんですから」
ぐっ、とライアスの腕に力が入ったような気がする。
「ライアス?」
「シンシア・・・」
見上げると、間近に目が合う。
うわあ。至近距離に耐える顔面だ。
少し目が潤んでる気がする。
やっぱりお疲れのようだ。
「忍耐には自信がありましたが・・・」
「あ、離れましょうか」
「いえ!できれば、もう少しだけ」
そう言うのなら。
ライアスが少しでも男としての自信というか、そういうものを取り戻せたらいいなあ、と思う。
ふと気になったことを聞いてみる。
「——離れたくないのに、と言うのは?」
「・・・・・私が言いましたか」
「ええ。何か心配事ですか?」
私が離縁するとでも思っているのだろうか。
上手くやってきていると思っていたけれど。
ライアスは少し考えていた。
「以前、貴族派閥の若者が定期的に集まっている、とお話ししたのを覚えていますか」
低い声。慎重に言葉を選んでいるようだが、すっかり仕事の声になっている。
「ええ」
「先日街で捕縛したモンテキュー伯爵は、その会の会員だったらしく、集会の参加証を持っていまして」
ライアスが私の髪を手で梳かす。
「今までなかなか調べられなかったことが、少しずつ明らかになり・・・」
「それでここ最近、忙しくしていたのですね」
「ええ。・・・集会に手の者を潜り込ませて、わかったことがいくつか。警備隊との癒着、怪しげな薬剤の販売」
ライアスの声がどんどん重く低くなっていった。
「——実は、以前、神殿の帰りに襲撃された件にも関わっているのではないかと思っています。奴らは、より強い力を求めている」
「この光の魔力ということですか」
「・・・・・・・」
髪から頬へ、ライアスの指が滑る。少し武骨な、ごつごつとした手だ。
「もっと調べて、何か分かればお話しします」
「お気遣いは不要です。——私の身柄が狙われているのは、物心ついた時から言い聞かされてきたことです。貴族派の集団でも、他国の者でも」
覚悟はできている。だからこんな箱庭に甘んじていたのだ。私も、シンシアも。
「光の魔力の使い手を手に入れたからといって、そう簡単に勢力が増すとは思えませんが」
「貴方は陛下の大切な愛娘ではありませんか。そして、私の最愛の方です」
ペンシルニアに嫁いで、利用価値が増えてしまったということだろうか。
私がそれほど動じていないのを見て、ライアスは意を決したようだった。
「実は、不穏な情報がありまして。——貴方の誘拐と街の爆破計画です」
「爆破・・・?」
それはもはや、反逆ではないか。テロ行為である。
そんなことをするほどまでにこの治政に不満が募っているのだろうか。
最近勉強を始めたが、そんな風には思わなかったのに。周辺国と比べても、比較的豊かな国である。
「陛下と相談し、シンシア・・・エイダンと共に、しばらく王宮へ避難していただくのはどうかと」
「え・・・そんなに、深刻なのですか」
それで離れる、ということか。
実家に帰ることで、貴族らがどんな噂を立てるだろう。せっかく不仲説を少しずつ払拭してきているのに。
でも、それを押してまで私達の身の安全をもちたい、ということか。
「念のためです。ペンシルニアの騎士も動員し、一斉に動き片をつけたい。そうなると屋敷が手薄になってはいけませんので」
ライアスは改めて私の体に腕を回した。
ぎゅっと、少し強く抱きしめられる。
「本当は、片時も離れたくありません」
「貴方の判断に従います。けれど・・・ライアスに危険はないのですか」
ないわけないだろう。王権派閥旗印の筆頭だ。
「大丈夫です。私はこの国の、誰よりも強い」
そう、小説でも、ライアスは死んではいなかった。
けれど・・・。やっぱり心配だ。
きっかけはあの酔っ払いだったんだろうけど。
原作とはもう別の話になっていると思う。何がどう影響していくかわからないし。
だからこそ心配だ。
爆破に巻き込まれたら、さすがのライアスだって・・・。
でも、私にできることは何もない。せめて邪魔にならないようにするしかない。




