2. 同朋
——ブラントネル国王として言っているのなら、容赦はしない。
マリーヴェルへ求婚する許可が欲しいと申し出たら、ライアスにはそう言われた。
アルロもそのつもりだったし、迷わずにはいと答えた。
ペンシルニアの屋敷にはこの日シンシアもマリーヴェルもいなかった。その足で闘技場に連れて来られて、今に至る。
アルロは手足にうまく力が入らず、そのまま地面に横になった。
「……い、生きてるか?」
「大丈夫か……」
心配そうに騎士等が取り囲んでアルロの腫れ上がった頬に、顔を歪める。
大丈夫、と言いたくてもうまく口が開かなくてアルロは力なく手を振った。そのまま、ぱたりと地面に手足を投げ出す。
——予想はしていた。そう簡単に許しを貰えることはないだろうとは。
そもそもペンシルニア騎士団の間では有名な話だ。ペンシルニアの公女を妻に望む奴は、ライアスとエイダンに勝たないといけない——つまり、人間では無理だ、という。
勝てるとは思っていなかった。
ただ、こんなにも、完膚なきまでに叩きのめされ、出て行けと言われるなんて。
「——アルロ、もしかして……い、言ったのか」
顔なじみの騎士が恐る恐る、聞いてくる。微かに頷いたのが分かったのだろうか、騎士等がおいおい、と言った様子で顔を見合わせた。
「まじか。思い切ったな……」
「いや、言えただけでもすごいよ。勇者アルロだよ」
「……こええよー。あんな戦い見せられたら、俺もう、訓練でも公爵様に剣を向けれねえ」
「ほんと。よく生きてたな。俺なら3秒で吹っ飛んでたわ」
上級騎士とは思えない発言である。
「何だかんだ言っても、アルロなら許してもらえるって思ってたんだけどなあ」
「俺も」
「アルロでだめなら、もう……お嬢様は嫁に行けねえぞ」
うんうん、と頷きあっている。誰かが冷たく絞ったタオルを渡してくれた。アルロはお礼を言いたかったが、起き上がる元気もない。そのタオルを顔に掛けて、目を閉じた。
冷たくて気持ちよかった。
「——はいはい、みんな仕事に戻れー」
聞きなれた声がして、アルロはタオルをずらして声の方を見た。
夕日みたいに眩しい赤い髪と、この世の祝福を集めたような黄金の瞳——エイダンだ。
少し前に王国騎士団長の位を拝命し、今は黒の騎士服と紫のマントに身を包んでいる。
すらりと伸びた身長は相変わらずアルロより頭一つ分くらい大きいし、恵まれた体格もますます立派になって、もうライアスと変わらない体型をしている。あの筋肉量と重量があれば、もう少し戦えたのだろうか。そんな事を思いながら、じっとエイダンの体を見てしまった。
「——な。なに。そんなに僕の胸を見て」
視線を感じたのか、エイダンが両手で胸を押さえていた。
人が去って、闘技場にはエイダンとアルロだけになる。
「……………」
「……………」
今更二人の間に気まずさのようなものはないが、それでも何となく、次の言葉が見つからなかった。
しばらく沈黙の後、エイダンがアルロの横にお尻をつけて座った。
はあ——と、アルロから長いため息が漏れる。
「——手も、足も出ませんでした」
「そりゃそうでしょう」
そうは言っても、エイダンだったらもっとうまくやっただろう。
エイダンには天賦の才能がある。剣術に関しては敵なしだ。土属性でペンシルニア剣術との相性もいい。それに比べてアルロの闇属性は、剣術と相性がいいとは言えない。筋肉はついても、幼少期の栄養不足のせいかやっぱりどこか細いままで、重量がない。単純な体当たりだけでも確実に負ける。
「闇の魔力を向けてみろ、と。….…確かに、それくらいしないと一太刀どころか、まともに斬り合いの舞台にも立てていない気がします」
「闇の魔力って……」
ライアスが何を考えてそう言ったのか、エイダンにも分からなかった。確かにそれくらいしないと、アルロはライアスには太刀打ちできないだろう。それも、生半可な操作ではなく、瘴気を操り、闇の攻撃までしないと。
でもそんな事をしたら、お互い無傷では済まない。
アルロがいつまでも起き上がらないから、相当落ち込んでいるんだろうなと思う。
「治癒しようか」
「いえ」
伸ばした手を、やんわりと押し返される。アルロがようやく起き上がった。
左頬は赤紫に腫れ、口の端からは血が滲んでいる。歯は抜けていないようだけど、頬骨が折れていないか……元々表情があまり動かないアルロだから、よく分からなかった。
「大丈夫です」
はあ、とアルロは視線を落とした。
「どこも折れてません。自戒の為にも、このままにしておきます……」
「アルロ……」
一体何を戒めるんだろう。
エイダンは眉尻を下げてアルロを見つめた。
出会った時から今まで、一国の主となった今でも、アルロは相変わらず謙虚で、慢心とは程遠い所にいる。
アルロはその身を国に捧げている。献身——いや、犠牲と言っていいくらいだと思う。
「何も恥じるようなことをしていないんだから、戒めはいらないんじゃないの」
「いえ……」
頑なに断られては、エイダンも無理に治癒することはできない。
そんな顔で帰ったら、マリーヴェルが烈火の如く怒り狂い、シンシアもライアスへお説教をして——間違いなく、家庭が荒れる。
エイダンは既に、今日話す内容をアルロから聞いていた。
求婚の許しだ。至極まっとうな手順だと思う。
求婚しただけで決闘を申し込まれていたら、マリーヴェルに届いていた求婚状の数だけ死体が積みあがることだろう。シンシアとマリーヴェルが不在の時に申し出たと言うのも、ちゃんとライアスと正々堂々向き合ってすごいと思うのに。
アルロとマリーヴェルはこの4年、本当に健全な付き合いを続けている。
そんなアルロに、ライアスがそこまで反対する、というのが分からなかった。
マリーヴェルはもう16になる。婚約ぐらいしてもいい年頃だ。とにかくあの可愛いけど気が強くて我儘な妹が、真面目にこつこつ勉強を続けているのだって、ひとえにアルロと結婚するためだけだ。
エイダンもここまで来たら反対はしないし、応援している。寂しくはあるけど。
「——どうするの?」
「諦めません。でも……」
いつかは乗り越えなければいけないと思っていた壁は、想像していた何倍もの高さと分厚さで、ただただ圧倒されて終わった。
魔力なしでも、もう少しできると思っていたし、心のどこかでライアスは許してくれると思っていたのかもしれない。
全くそんなことはなかった。容赦なく叩きのめされたし、打ち合うことでしっかりと感じた。ライアスが微塵も手加減を加えるつもりがないことが。
甘かった。
「全く、勝てる気がしません」
「そりゃ、父上だもん」
そう言いつつも、エイダンは少し前にライアスから勝利をもぎ取っている。もちろん魔力なしの木剣の単純な剣術勝負だったが。それだって、アルロなら勝てなかっただろう。
その思いを読み取ったのか、エイダンが苦笑を漏らした。
「あのさ、アルロは国王陛下なんだから。僕は騎士なの。役割が違うの」
エイダンは更に小声で続けた。
「それから、僕は勇者で、あっちは勇者の父親なんだからね」
最近では勇者と魔王という事も、こうして軽口の範囲内になった。それくらい、ありえない話になったのだと思う。
アルロは腫れた頬に触れた。
エイダンに殴られて闇の中から救い出されたのが、もう随分と昔の事のように思う。
お互いもう成人したし、背負うものも大きくなった。けれども心の距離は変わらず、ずっと近いままで。
軽口をたたきながらも、心配そうに覗き込むエイダンの目に、甘えてしまいそうになった。
——僕の兄弟。僕の同朋。かつて、僕の唯一の理解者だった人。
お互いに握り合った腕に力を込め、そう言ってくれた言葉を、忘れた日はなかった。だからこそ、ここでエイダンに甘えるのは違うと思う。
きっとこれは、自分が答えを見つけないといけない事。
アルロは重い体を持ち上げて立ち上がった。
「ありがとうございます。帰ります」
「屋敷に?」
「いえ……ブラントネルへ」
「えっ、今から?マリーは!?」
「合わせる顔がありませんので……」
アルロはぺこりと頭を下げて、そのまま、本当に愛馬に乗ってブラントネルへ向けて発ってしまった。
その顔があまりに暗くて。
「——え、瘴気出てなかったよね」
思わず独り言で確認してしまった程だ。




