22. お出迎え
街歩きの一件から、出歩きたいと言い出しづらくなり、しばらくは屋敷と庭で過ごす日々が続いた。
ライアスも忙しくなったようで、会うのは夕食後のみ、という日々が続いた。
せっかくエイダンの中での株が上がっていたのに。
このままではまたライアスのことを忘れてしまいそうだ。
「ライアスは今日も遅いようね」
食後の紅茶を飲む部屋で、お茶の時間がすっかり終わってもまだ帰ってきそうにない。
窓から見れば馬車が見えるので門の方を見てみるが、暗い夜の闇に、門衛の灯りが僅かに見えるだけだった。
外は大雨である。雨が時折窓に打ちつけてくる。
これほど大雨なら帰ってこなければいいのに、雷雨の日も大雪の日も、ライアスは必ず屋敷に帰ってくるようになった。
「帰らないように手紙を送ろうかしら・・・」
言って聞くかはわからないが、義務感のようなものがあるなら、それをやわらげてあげたいような。
「先ほど、王宮を出たと先ぶれがあったようです」
「そう」
一足遅かった。
もう帰ってくるだろう。
部屋を出ると、先ぶれを受けて執事や使用人らが用意を始めていた。
秋口である。雨に濡れたら寒いだろうから、お湯も沸かしているようだ。
玄関口に並ぶ使用人らの中心に立ってみた。
時間が不規則なのであまりお出迎えはしたことが無いが、雨に濡れて帰ってくるライアスを、せめて労うくらいはしたい。
「奥様、お出迎えですか」
執事が横に立って恭しく頭を下げた。
この初老の執事とは、最近屋敷のことを勉強する傍ら、よく話すようになった。
「ライアスは風邪なんてひかないでしょうけど。この雨は流石に」
「お喜びになりますかと」
「もしかして、毎日出迎えるものなのかしら、妻というのは」
「他家は他家、うちはうち、でございます」
執事がこんなにきっぱり言うということは。ライアスから何か言い含められているのかもしれない。
そうこうしているうちに、外が騒がしくなる。
扉が開かれると豪雨の音と共にライアスとお付きの者たちが入って来た。
一気に屋敷の湿度が上がったような気がする。
『お帰りなさいませ』
使用人一同が頭を下げる。それに手を挙げて答えてから、ライアスはコートを執事に渡した。
「変わりはないか」
「この雨ですので、一日屋敷内でお過ごしでございます」
これは私とエイダンの事だろう。いつもこうして聞いているらしい。
「おかえりなさい、ライアス」
「————っ、シンシア!」
ライアスが弾かれたように顔を上げた。
髪が濡れて年より幼く見える。燃えるような赤だったのが、今では紅葉の様な色になっている。前髪が少し視界を遮って、私に気づくのに遅れたようだ。
「すみません、気づかなくて・・・あ」
手を伸ばそうとして、濡れているのに気づき、その手を慌てて引っ込められる。
「ひどい雨だったのですね。泳いで来たみたいです。馬車停めには屋根がないのですか」
乗り降りの度にここまで濡れていては、改良の余地があるのではないだろうか。
「いえ、今日は少し外で調査をしていまして。——着替えずにそのまま帰ってきたのです」
「まあ・・・こんな雨の中」
大変な仕事だ。
暑い日も寒い日も、雨の日も雪の日も。外で仕事をする人というのを私は心の底から尊敬する。
「お食事は?」
「簡単に済ませました」
「ご主人様、よろしければ軽食を運ばせます」
ライアスが頷き、執事が指示している。
「シンシアは、まだ休まれていなかったのですね」
時間は午後9時。まだ寝るには少し早い。
私は笑いながら言った。
「エイダンは寝てますが、まだ眠るには早い時間です。——よろしければ、ご一緒してもよろしいですか」
「はい!では、急いで着替えてきます」
「急がなくて大丈夫です」
私はライアスの手を取った。どれくらい雨に打たれていたのだろう。いつもより顔が白いから心配したのだが、ライアスの手は今までになく冷たかった。
「シンシア・・・濡れてしまいます」
「すっかり冷えていますね。ちゃんとお湯に浸かって、温まってから来てください。いいですね?」
念を押しておかないと着替えだけしてきてしまいそうだ。
ライアスは黙って頷いた。
紅茶を飲みながら待っていると、ライアスは湯気を出しそうな様子でやってきた。
「お待たせしました」
やはり急いだようで、まだ髪は少し濡れている。
入って来たドアのところまでライアスを迎えに行き、ライアスを見上げてみる。
お風呂上がりのすこし濡れた髪と石鹸のいい香り。——思わず髪に手を伸ばしてしまった。
一つまみ触れてみて、やはり濡れていることに気づく。
「まだ濡れていますね。いつもこうなんですか?」
私はかなり髪が長くて、しかも細くて柔らかい。自分でやると絡まってしまうのでいつもメイド任せだ。それはもう上手に乾かしてくれる。
ライアスにはそういった人はいないのだろうか。首を傾げると、ライアスは不自然な息を吐いた。
「・・・・・っは、あ、その」
どうした。呼吸苦か。
「大丈夫ですか」
「あ、すみません。息を止めていました」
なんだそれは。
お疲れなのかもしれない。
私は手を引いてライアスを座らせた。
メイドに言ってタオルを持ってこさせ、後ろに回ってライアスの髪を拭いた。
メイドに任せてもいいんだけど。ちょっと触ってみたくなった。エイダンと同じ髪色・・・。
乾かしていくと、髪質がよく似ていた。太くもなく細くもない髪に、真っ赤な色。
ふと気づく。ライアスが微動だにしていない。
「ライアス?楽にしてください」
「こ、こんな・・・」
見れば、ライアスは両手で顔を覆ってしまっていた。
「あ、嫌でしたか」
そんなに恥ずかしそうにされると、さすがにまずかったかなと思う。メイドたちが微笑ましい、みたいに見守ってくれていたから平気なんだと思っていたのに。
「嫌なはずがない!」
ライアスは力強く否定した。
嫌でないのなら、もう少し拭いてあげよう。
「力加減は大丈夫ですか?」
「はい。——お上手です。やさしくて・・・心地いいです」
ふふふ。エイダンにいつもしてるからね。
そう言えば、エイダンはここを撫でると喜ぶんだけど——。
「・・・・っふぁ」
え。
ライアスが急いで口を押えた。
耳から首筋まで真っ赤になっている。
ちょっと耳の後ろを撫でただけなんだけど。すんごい可愛い声が出た。
つっこむと可哀想だから聞かなかった振りをして、タオルを脇に置く。
気を取り直して肩でも揉むことにする。
「——まあ。とても凝ってますね」
多忙を極めていたようだが、ずっと机に向かっていたのだろうか。
「シンシア、そんな・・・手を痛めてしまいます」
「そこまで弱くありません。気持ちよくないですか?」
「気持ち・・・いいです」
カチカチの、鋼の様な肩を揉んでいくと徐々に体の力が抜けていくようだった。
焼け石に水というか・・・この固すぎるボディに私の細腕では物足りないんじゃないだろうか。
あ、そうだ。
ほのかに手に魔力を纏い、ゆっくりと押し込む。
強張り筋張った筋肉が、少しずつ弛緩していく手ごたえを感じた。
肩こりにも治癒術が使えるなんて。万能すぎる。
はあ、とライアスが深く長い息を吐く。リラックスしていくようでやっていて嬉しくなってきた。
これをほぐしていくのも、なかなかに楽しい。
しばらく揉み続けて。
——よし。
柔らかくなった。
そう思いちら、とライアスを見れば、何とライアスは寝ていた。
静かすぎて気づかなかった。いつから寝ていたのだろう。
本当にお疲れなんだろう。王国騎士団長ともあろう人が、こんな無防備に。いや、それだけ気を許してくれているということかな。
それにしても、ライアスの寝顔は初めて見た。
寝顔だと幼く見える。疲れているけれど整った顔が、すうすうと寝息を立てている。
そうっと、音を立てないように毛布を取る。壁に立っていたメイドにしい、と指を立てて合図をすれば、頷いてそっと出て行かれた。
別に出て行かなくてもいいのだけど。
毛布を肩にかけて、ふむ・・・と考える。
メイドや侍従に任せてもいいのだけど、なんだかせっかくだから、見守っていたくなった。
倒れて怪我をしないように横に座ってみる。寝ているのに、特にぐらぐらしたりしないんだな。これって腹筋が鍛えられているからだろうか。
ライアスの微かな寝息と、窓から聞こえる雨音と。
静かで穏やかな時間が流れた。




